第28話リサとミサ

目的地は決まっていた。

葵は待ち合わせ場所に来た美佐の手を力強く掴んで無言で歩き出した。


「ちょ…ちょっと、葵っ」

「…」

朝に制服姿の女子高生が二人、下手すれば補導されるかもしれない。


「いた、痛いよ…葵」

「わかってるよ」

「…え?」

「そんなことわかってるよ!」

進める足を止めることなく葵は美佐に答えた。


ここまで怒鳴る葵を彼女は見たことがない。

与太郎を諦めて、中村先輩と付き合うことしたことに怒っているのだと思っていた。


「痛いのはわかってる、与太郎もミーも」

「…」

「私だって痛いんだよっ!」

「…葵」

友達が辛い思いをしているのに見ているだけしかできないこと。

諦めたくないのに諦めているのが許せない。

美佐が誰が好きで誰と付き合おうがもう葵にはどうでもよくなっていた。



「ど…どこに行くの?」

「喧嘩を売りに行くの」

「えぇっ!?」

今美佐と与太郎を会わせたところで逆効果なのは目に見えている。

だから向かう先は一つしかない。


「あの猫かぶり女のところに!」





住む世界が違うというのはこういうことを言うのだろう。

桜花高校で非行に走っているような生徒は一人も見かけない。

黒のリムジンに乗ってくる者もいる。


「…」

「葵?顔色悪いよ…?」

「黙ってて、油断したら腰抜かす」

与太郎や雄也のように根性があるわけでもない葵は、眼を踊らせながら校門を見つめていた。

何故学校に来るのにあんな長細い車に乗ってくる必要があるのか。


「十代ならチャリでしょうがっ!」

「ごめん、何に怒っているのかわからない…」


そうしていると校門前に一台の車が停車する。

後部席から降りてきた女性は爽やかな笑顔で周りにいる生徒達に挨拶をしていた。


「間違いない…奴だっ!」

「それ…誰目線で言ってるの?」

すっかりツッコミ役になっていた美佐だった。




「飯田リサ、さん!」

「…はい?」

駆け出して葵が声をかけた人物は誰でもない、飯田リサだ。


「あら、あなたは確か加嶋さんの友達の方でしたよね?」

「ちょっと面貸してもらおう、と思っています!」

「葵、キャラが定まってないよ」

美佐はため息を付きながら葵に近づく。


「まぁ、栗山さんも」

「…おはようございます」

「はい、おはようございます」

周りにお花畑が見えてしまうほどのリサの可憐さ。

こんなに美しい存在を美佐はこれまで見たことがない。



「それで、私に何かご用でも?」

「ちょっと面貸してもらおう、と思っています!」

「葵、さっきそれ言った」

一瞬リサの目が細くなったのを葵は見逃さなかった。


「わかりました、それでは乗ってください」

リサは運転手に行き先を伝える。

もちろんその場所とはあそこに決まっている。


「行きましょう、リトライへ」

本日、喫茶リトライは戦場となる。





「はい、どうぞ」

「ありがとうございます、オーナー」

雪が持ってきた飲み物を受け取り頭を下げるリサ、二人もそれに釣られてお礼を言う。


テーブル席にはリサ、その正面には葵と美佐が座っていた。

ただ事ではない空気が出ている中でもカウンターにいる雪はいつも通り笑顔だった。



「聞かせてもらってもよろしいでしょうか?」

「言っとくけど、その猫かぶりバレてるわよ」

いきなり勢いの入ったストレートをぶちかます葵。

異常な勘の鋭さを持つ彼女はリサの演技を初めから見破っていた。



「何のことでしょう?」

「…まぁいいわ」

葵は呼吸を整えて気持ちを落ち着かせる。



「単刀直入で聞く、与太郎のことどう思ってるの?」

「加嶋…さんのことを?」

「そう」

実はリサは東田葵という人物について与太郎から話を聞いたことがあった。

彼女に隠し事は一切通用しないということを。


「いい方だと思っています、でもそれは恋愛感情ではありません」

「知ってる」

では一体何が聞きたいのか。


リサが与太郎のことを好きなのではないか、それを聞きに来たものだと美佐は思っていた。

もし彼女に好意があったとしても、与太郎の想いがどこにあるかは美佐本人も知っている。


「でも与太郎が必要なんですよね」

「…」

恋愛感情はなくても彼のことを大切に想っている、と葵の勝手な推測。

あながち間違いではない。


ゆっくりと眼を細めていくリサ。


「栗山さんは加嶋さんの事が好きなんですか?」

「…えっ」

急に話を逸らし始めるが葵はツッコもうとしない。



「…私は今、別の方とお付き合いしています」

「そんなことを聞いているのではありません」

「…っ」

「好きなんですか?」

容赦のないリサの攻撃。

嘘が通用しない親友と誤魔化しの効かない状況。

俯きがちだった顔を上げてリサの眼を見つめる美佐。


「好きです、大好きです」

「…ミー」

「憧れを好意と勘違いして、私は彼にひどいことをしました」

だいたいのことはリサも知っている。


「…それでも彼は優しくて」

与太郎と一緒にいた時間が美佐の頭の中で投影される。


「…彼との思い出が優しすぎて」


  「浴衣、どうかな?」

  「すげぇ似合ってるって!」

一秒一秒が大切だと思えた彼との時間。



「私には、彼との思い出を作っていく資格なんてないんです」

「…ふぅ」


リサはネクタイを緩め、シャツの一番上のボタンを外した。


「しょうもな、くだらなさすぎて反吐が出る」

「…え?」

急に態度が変わったリサに呆気を取られる美佐。

最初から気づいていた葵は当然驚きもしなかった。



「あんなゴミクズのどこがいいんだか」

「か…加嶋君はゴミクズなんかじゃ…」

「あのバカに辛い思いをさせたからこれ以上は進めないって?ホントバカね」

「そんな言い方…」

「思い出が優しすぎる?知らないわよそんなこと」

言い返すことのできない美佐は手を強く握り締めた。

ここで口を出してはいけない、と葵は黙ったまま二人を見守った。


「聞きなさい」

そしてリサは真実を打ち明ける。


「アタシには四月以前の記憶がないの」

「…っ」

驚いた美佐と葵はカウンターにいる雪の方へ視線を向ける。

複雑そうに彼女は静かに頷いた。


「外傷はなく、医者からは一時的なものだと言われた」

いずれ治る、と。


今のリサと前のリサとは180度違っていること、それをバレないように猫を被って生活をしていること、勘の鋭い葵でもそこまでは予想していなかった。



「質問よ、もしアタシの記憶が戻ったらどうなると思う?」

「…それは」

「おそらく記憶を失っていた間のことは覚えていないだろう、そう言われたわ」

これは与太郎にも言っていないことだった。



「ここで話をしたことも、彼と出会ったことも」

「…そんなっ」

「当然、アタシには過去の思い出がない」

少しだけ、彼女は寂しそうな表情を浮かべた。


「思い出を作っても忘れるのよ」

もうすでに喧嘩を売りに来た二人に戦意はなかった。


「アタシが抱くものは全て偽物なの」



美佐の眼から涙が零れ落ちる。

自分の想いや自分がしてきたこと、苦しさやせつなさ。


彼にひどいことをしたから諦めるだなんて、

そもそもリサには諦めることすらできないというのに、


―――なんて贅沢な悩みだ。




「それともう一つ」

「はい」

「あのバカはひどいことをされたなんて思わないわよ」

「…っ」


もちろんその事は美佐が一番、


「…ええっ、わかっています!」

勢いよく席を立つ美佐、行き先は当然決まっている。


「お代は結構よ」

「…ありがとう、ございますっ」

優しい笑顔で雪は頷いた。

涙を拭いながら駆け出し、扉の前で一旦足を止めた。



「飯田さん、いえリサさん」

「え?」

「加嶋君の事、好きですか?」

「いや、だから何度も言うけどアタシは…」

背中を向けたままの美佐は大きく首を横に振る。


「好きじゃなくても、大切だとは思っていますよね」

「…それは」

「あなたは忘れても、彼はあなたと過ごした時間を忘れません」


美佐の心の中にあった植木鉢から小さな芽が顔を出した。


「だからあなたと私はライバルです!」


リサの返答を聞く事もせず美佐は全力で走り出した。



―――まずやるべきことがある。

あの人にはきっと最低な女子だと思われるだろう。

それでも構わない。

自分勝手な女と言われようが走り出したこの足はもう誰にも止められない。






「ライバルだってさ」

「ホント、クソ迷惑ね」

残された二人は落ち着いた様子でお茶を飲んでいた。


葵のやるべきことは終わったわけではない、まだこれからもどんどん増えていくだろう。



そう、これからもずっと―――。

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