第21話一人の王子様

成大高校の文化祭の朝はスタート時から大盛り上がりだった。

校門の前の大きなアーチには【成大祭】と色とりどりに描かれている…、

―――はずだった。

当日の朝、生徒達は笑いながら校門をくぐっていた。


アーチには教師達の昔の顔写真を拡大したものが大量に貼られていた。

朝っぱらから脚立を伸ばし必死で剥がす作業を教師達は行っていた。


たくさんの生徒のスマホに保存されたことだろう。



犯人は言うまでもない。

与太郎と雄也は昨晩学校に忍び込み事前に用意しておいたデータをプリントして飾りつけた。

登校時教師達に問い詰められた彼らだが、証拠がなかったため無罪となった。




「全く、二人ともやりすぎだよ」

「ふひひ、だが盛り上がってただろう?」

与太郎の着替えを手伝う葵。

彼らにイタズラをさせたら右に出る者はいないことに彼女は呆れを通り越して関心していた。


演劇は体育館で行われる。

2年3組の裏方の生徒達は準備で走り回っていた。



「頑張ろうね、加嶋君」

「お…おう、って言っても俺の出番は最後だけなんだけどな」

美佐の白雪姫姿が美しすぎて眼が泳いでしまう与太郎。

彼女の手が緊張で少し震えている。


「大丈夫だって、気楽に行こうぜ姫様」

「…うん」

少し顔を赤らめて微笑む彼女は本物の姫のようだった。



「2年3組、準備してください」

裏で控える生徒会から声がかかる。

舞台裏の隙間から中を覗くとすでに満席の状態。

事前に校内に張っていた栗山美佐の白雪姫ポスターが効いたのだろう。




「え~っと、これの次がこれで…」

照明スイッチを再度確認する雄也、その後ろには葵の姿もあった。


「山」

「ん?何だ葵」

「ちょっと変更したいことがあるんだけど」

「え、このタイミングで?」





『鏡よ鏡、この国で一番美しいのは…』

与太郎は自分の出番が回ってくるまで舞台裏で待機していた。


白雪姫の登場に観客席から大きな拍手が聞こえる。

大丈夫いつも通りやればいい、と心の中で彼女にエールを送る与太郎。


だが人の心配をしているようで彼も緊張で頭がどうにかなってしまいそうな状態だった。

決して人前に立つことによるものではない。


―――白雪姫の額にキスをする。

美佐に恋を抱いている彼の心臓は破裂寸前。


「(大丈夫…、一瞬だ)」

緊張で台詞を飛ばさないように必死で正気を保つ。



『可哀想な白雪姫っ』

『ああ、一体どうすれば…』

舞台裏のクラスメイトが一斉に彼に視線を向ける。

頬を軽く叩いて彼は歩き出した。



『小人たちよ、どうしたんだい?』

『王子様っ、聞いてください!』

彼の登場に観客の動きはない、どうやら違和感なく演じれているようだ。


『おぉ、なんて美しい女性なんだ』

王子の眼の前で横たわる白雪姫。


『…』

その美しさに言葉を失ってしまう。



これは演技である。

物語ではこの後白雪姫が眼を覚まして王子と幸せに暮らす。


―――これは、演技である。

リアルでは結ばれない二人。

すぐそこにいる彼女には好きな人がいる。

突然与太郎に現実が襲い掛かってきた。


『ど、どうかしました?王子様…』

固まった与太郎にアドリブで問いかけるクラスメイト。

緊張などすでにどこかにいってしまっていた。


『…私が、眼を覚まさせてあげましょう』

今にも泣きそうな感情を殺し、ゆっくり彼女の額に顔を近づける。




「山、今よ」

「了解」


突然舞台の照明が落ちる。

ざわつく観客と何も知らされていないクラスメイト達。


驚いた与太郎は顔を上げて確認を取ろうとした。

その時だった。


『…え』

口に何か柔らかいものが当たる。


証明が消えていたのはほんの一瞬のこと。

明るくなった舞台では小人役が挙動不審な動きをしていた。



『…』

『…』

クラスメイトも観客も一斉に言葉を失う。

何よりも彼自身が驚いていた。


『ふぁ~、よく寝ましたぁ』

『…ぉ…え?』

『あら、あなたは一体…?』




「お…おい、今…口にしてなかったか…?」

葵の指示通りに動いた雄也はたった今、目の前で起きたことに驚きを隠せないでいた。


「…ふ」

実のところ葵は事前に美佐に伝えていた。

もしかするとラストのシーンで一瞬だけ照明が落ちるかも、と。

間違えて本当にキスをしてしまったと思わせるために。



『し…白雪姫が生き返った!』

『やったー!』

究極のアドリブのあとでも続けるクラスメイト達、観客は盛り上がっていた。




出演者が一列に並んで礼をし、舞台の幕が下りる。

与太郎は今自分がどういう状況に置かれているのかわからないでいた。


観客が見えなくなると同時に一同が騒ぎ出す。

本当にキスをしたのだから当然だろう。

雄也が現れて照明のスイッチを間違えたと謝罪を入れる。


「く…栗山…、俺…」

「事故だからしかたないよ、ね」


ただ彼は顔を近づけただけでそれ以上は動いていなかった。

美佐が少しズレて乗り出さない限りあのようなことにはならない。


だけど今の彼にはそんなこと考えている余裕などなかった。


事故とはいえ、ファーストキスを美佐としてしまったこと。

感情が沸騰してどうにかなってしまいそうだった。




フラフラと舞台裏に戻る与太郎。

結果大成功となったことにクラスメイト達は手を合わせて喜び合っていた。



「ファーストキスの相手…加嶋君になっちゃった」

「…はわわ」

頬を赤らめながら唇に人差し指を当てる美佐。

謝って済む問題でもなければ謝る筋合いもないこと。


「ご…、本当にご」

「加嶋~、さっきからお前の携帯鳴ってるぞ」

「おほっ」

クラスの男子が彼のスマホを放り投げる。

慌てて受け取り、画面を確認するとそこには喫茶リトライの文字が表示されていた。


「はい、与太郎ですが…」





彼の沸騰していた感情は冷静を取り戻していた。

スマホを衣装の下に着ている制服のズボンにしまう。


「わりぃ!ちょっと抜けるわ!」

クラスメイトを押しのけて駆け出す与太郎。


「か、加嶋君?」

「ごめん、打ち上げには戻るから!」

「…え?」

美佐の最後の言葉を聞くことなく全力で彼は飛び出した。









もう一つの白雪姫。

観客からはバレない大きさのインカムを出演者と裏方全ての生徒が装着していた。

もし台詞を忘れたとしても他の生徒に教えてもらうことができる。

リサは一度も噛むことなく姫を演じていた。


たかが高校の舞台でここまで金をかけるのはこの学校だけだろうと彼女自身呆れていた。



『あぁ、哀れな白雪姫…』

物語も終盤、彼女にとって一番嫌なシーンがやってきた。

きっと伊集院の登場で観客が黄色い声で大騒ぎをするのだ。


彼女は眼を閉じながら誰にも聞こえないようにため息をついた。



「え…っ、どうするんですか!?」

耳に着けているインカムからクラスメイトの会話が聞こえてくる。


「伊集院様…急なお仕事が入ったそうで…」

「そんな…っ」

高校生が仕事ってどうなのよ、とツッコミを入れそうになるリサ。


「代役を…」

「衣装もないですし、もう出ないといけないシーンですよ…」


あれだけ告知しておいて失敗に終わる、生徒達は絶望に陥り膝を付いた。

リサにとっては悔しさよりも呆れが大きかった。


「(本当に…)」

―――退屈な…。


『お…おぉ、なん…て美しい、女性なんだ…』

『…っ』

彼女の耳に直接入ってくる聞きなれた声。

ここまで聞こえてくる荒れた息遣い。


突如現れた王子はフラフラになりながら眠り姫に近づいた。


「ちょっとあれ誰っ!?」

「し、知りませんっ」


―――本当に、退屈しない奴。



  「王子様役の子が出演できないみたいなの!」

リサの母親から聞いた雪が急いで彼に伝えた。

与太郎は自分の演じた王子の衣装を着たまま桜花高校まで全速力で走った。




『続けてください』

小声でリサがクラスメイトに伝える。


『お、王子様、どうか白雪姫を助けてください』

彼女の言葉を聞いて続行する出演者達。


『私が…眼を覚まさせて、あげ…』

そこで重要なことに気がついた王子様の与太郎。

彼女達の物語のラストに使うペンダントを受け取っていない。



『…えっと』

『…ぉぃ』

薄目を開けて与太郎にツッコミを入れるリサ。


『あ~…、ほ…本当に美しい』

テンパりながら何か使えそうな物はないか身体中を探る。


『…っ』

下に着ている制服ズボンに入っていたものを取り出す。



『さぁ、これで眼を覚ますことでしょう』

『あ…』

彼が取り出したのはクマのキーホルダー、彼女が欲しがっていたもの。


照明による豪華な演出が流れ、姫は目を覚ました。


上半身を起き上がらせたリサの手にそれは渡った。

少しの間彼女は受け取った物を眺めていた。


「リサさん台詞っ」

『…ぁ』

インカムで声をかけられて我に返るリサ。

顔を上げると呆れた表情で笑う与太郎の姿があった。


『ありがとうございます、王子様』


強く握り締めて彼女は嘘偽りのない台詞を呟いた。









マラソン選手もびっくりの距離を全力で走り続けた与太郎。

役目を終えた彼は急いで自分の通う高校へと戻っていた。


太陽は沈み、校内に残っている生徒はすでにいなかった。

打ち上げに参加できなかった彼は教室の端で座り込んだ。



「何やってんだか、俺は…」

今日一日いろいろありすぎて整理ができない。

だけど不思議と満たされた気分だった。



「おかえり」

「…く、栗山?」

暗い教室の後ろから現れたのは衣装を着たままの美佐だった。


「何でまだ…」

「戻るって言ってたから」

「あ…」

美佐は打ち上げが終わってからもずっと着替えずに彼を待ち続けていた。


彼のもとへ歩み寄り、窓を開けて隣に座る。

気持ちのいい風が入ってくる。


「何があったかはわからないけど…」

「…」

「頑張ったね、王子様」

「…ああ」

たったその言葉だけで必死になった甲斐があった気がした。



ただ…、もしこれ以上の贅沢を言っていいのなら。

もう少しだけこのままでいさせてください、と彼は心から願った。

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