第22話お嬢様達の看病

「加嶋は風邪で休みだ」

成大高校2年3組の朝のHRは大騒ぎだった。

あの男が風邪を引くなんて、といったような台詞が飛び交う教室。


「…与太郎が風邪なんて珍しい」

小声で呟いた葵だが何故そんなことになったかはだいたい検討が付く。

昨日は午後から雨、もちろんあの与太郎が傘を用意しているわけがない。


「太郎が……太郎がっ!!」

「いや、驚き方どうなのよ…」

まるで大事故にあってしまったかのようなリアクションを取っている雄也にすかさずツッコミを入れる葵。


彼の後ろの席に座る美佐は文化祭以来積極的になってきているが、さて今回はどう動くのだろうか。







「どくしょん!」

喉の痛み、39度の熱、完全に風邪を引いた与太郎。

眩暈がひどく、歩くのですらままならない状態。


「だっしょい!」

クシャミも全く止まらない。

こんなことならいろいろと買い置きをしておけばよかったと昨日までの自分に後悔する。

基本薬を持たない彼は水分を取ってゆっくり休むしか治す方法はない。


チャイムが先ほどから鳴り続いているがおそらく新聞の勧誘か何かだろうと無視をしていた。

学校の連中は授業中、リサだとしたら持っている鍵で勝手に入ってくる。


―――それにしてもしつこい。

かれこれ5分は鳴らしている。

もしかしたら美佐か葵が学校を早退してお見舞いに来てくれたのかもしれない。

フラフラになりながら玄関へと向かい、ドアの穴から外の様子を伺う。


「…」

見たくないものを見た彼は一歩下がって息を殺す。

何故か金剛菜月が与太郎家の前に立っていた。


「…留守、ですか」

扉の向こうから聞こえてくる諦めの声。

そうだ、そのまま帰ってしまえと心の中で叫んだ。


「まぁ、とりあえず扉壊しましょう」

「頭どうなってんだお前はっ!」

鍵を開けて扉を勢いよく開け放つ。


「いたんですか」

「…はぁ…はぁ、いなかったら壊すつもりだったのか」

「いえ、朝早くから家の前で待ってましたが一向に出てこなかったので」

菜月は彼がまだ家の中にいることはわかっていた。

無理矢理開けさせるためにあんなことを口にしたのだ。

この家の場所も彼女たちからすれば簡単に調べられる。



「…お前、学校は」

「行かなくても怒られませんよ」

「金持ちの世界って怖いな…」

桜花高校の教師も自分の身が大事なのだろう。


「お姉様についてお話に来ました」

「…あ、あぁ」

「何度も言っていますが、あの方には素敵な婚約者がいるんです」

「…そう、だな」

「ですので、庶民であるあなたに入る隙などないのです」

「…」

「身分というものを…あれ?」

いつもなら言い返してくるはずの彼が全く口を開かない。

俯いた与太郎は今にも倒れそうな勢いだった。


「ちょ…え?大丈夫ですか?」

「…風邪…引いてんだよ」

この時間帯に家にいる不自然さに気づいてほしかった彼だった。


「か…風邪って、人間じゃあるまいし…」

「アイムヒューマン!」

癖で思わずツッコミを入れてしまった彼は大きくむせて座り込んでしまう。

もうどうでもいいから早く帰ってほしいと口にしたい気持ちを抑えた。


「…加嶋与太郎」

「心配はいらん…寝てたら治るはずだ」

「トドメ…刺しましょうか?」

「楽にはなりたいがそういう意味じゃねぇ!」

やはりクセというのは勝手に出てしまうものだった。



「大人しく寝てください」

彼の背中を押してベッドまで連れて行く菜月。

高そうな学校指定のカバンからスマホを取り出して耳に当てる。


「私です、風邪薬を持ってきてください」

家の前に止めさせていた車の運転手に伝えるとすぐにエンジン音が遠ざかっていく。



「お前…」

横になった与太郎は感動で泣きそうになっていた。


「やはりお姉様はここに来られてるんですね」

「…え」

「少しお姉様の匂いがします」

「お前は警察犬になればいいと思うよ」

感動は恐怖に変わっていた。



「全く、お姉様はこんな軟弱者のどこがいいんでしょうか」

「お前にはわからない魅力が俺にはあるのだよ」

「そうですね、私にはバカという者が理解できませんので」

「おほっ」

菜月自身も本当はわかっていた。

好意ではなく、彼という存在が今のリサにとっては楽だということを。




玄関先で薬を受け取った菜月はコップに水を入れてテーブルの上に置いた。


「何か食べてからの方がいいですね」

「さ…さくせす!」

「…どういうクシャミですか」

冷蔵庫を開けて呟く彼女、与太郎は制服姿の恋人が家にやってきた気分だった。

彼は眼を閉じて菜月の優しさに甘えることにした。


「卵ってレンジに入れるんでしたっけ…」

「やっぱ触らないで!」

それが彼の現実だった。





身の回りのことは全て家の者がしているため、当然菜月に家事などできるわけがない。

彼に何もしてやれないことではなく、自分が何もできないことに苦を感じていた。


「やっぱここか」

「…え?お、お姉様!?」

扉から入ってきたリサは靴を脱いで彼のもとに近づいた。


「殺ったの?」

「殺り損ねました」

「…物騒な会話はやめなさい」

眼を閉じていても意識はある。

喉や頭の痛みのせいで眠りにつくことができない。


「まさか風邪?」

「…そのようだ」

「ゴミでも風邪引くんだ」

「バカだよね!バカじゃないけどね!」

ツッコミを入れる人間が増えてしまった。


「何か食べた?」

「卵をレンジに入れようとした小娘を阻止したところです」

「…」

菜月に変わり今度はリサが冷蔵庫を開ける。

食材とにらめっこしたところで彼女もお嬢様、家事ができるとは思えない。


「いけそうね」

「お姉様作れるんですか?」

「みたいね、頭の中でレシピが思い浮かんだわ」

実は記憶喪失前のリサは花嫁修業をしていた。

知らないのに知っている、未だにこの不思議な感覚は慣れない。



狭い台所に女子生徒が二人。

菜月はほぼ手伝いだが一生懸命リサの指示通りに動いていた。




「食え」

「言い方っ」

リサからおかゆを受け取った彼は恐る恐る口に運ぶ。


「…うまいな」

「だってよ、菜月」

「…よかった」

生まれて初めて家事をした菜月の表情が明るくなった。





食べ終え、薬を飲んだ与太郎はすぐに睡魔に襲われて眠りについた。

彼の使った食器を洗うリサを見つめる菜月。


「そういえばお姉様は何故ここに?」

「ん」

手を止めることなくリサは答える。


「アンタが学校来てないって聞いてね」

普段なら感じない直感が働いた。

与太郎の家の前に来たら案の定金剛家の車が止まっていた。


そして菜月のもう一つの疑問、そんなことは聞くまでもない。


「ここの家の鍵なら持ってるわよ」

「…どうして」

「深い意味はないわ」

合鍵を持っていて二人の関係が何でもないわけがない。

それくらいは箱入り娘の菜月でもわかる。



「言っておくけどね、与太郎には好きな人がいる」

「…え?」

「コイツは私に恋を抱かない、もちろん私もそう」

寝ている与太郎の額を優しく突くリサ。


「楽なのよね、バカだし」

「でもっ」

「婚約者がいることくらいわかっているわよ」

「…」

「記憶が戻るまでよ」

記憶が戻ると同時に彼との関係は終わる。

だってそれは、



―――今の自分が消えるということなのだから。


「今アンタ達が見ている飯田リサは幻なのよ」







先に菜月を帰らせ、リサはテーブルに置手紙を用意した。

コンビニで購入したスポーツ飲料を冷蔵庫に入れ、彼の枕元に冷えピタを置いて加嶋家を後にする。

事前に連絡して来させておいたタクシーに乗り込んだ。

静かなエンジン音と心地よい揺れ。


「早く元気になれよ、バ~カ」

運転手に聞こえないよう小声で手に持つクマのキーホルダーが付いた鍵に向かって呟いた。





与太郎が眼を覚ましたのは夕方だった。

まだ熱はあるようだが菜月の持ってきた薬が効いたのかだいぶ楽になっていた。

ベッドから起きるとテーブルの上にある置手紙に気がついた。

そこには彼女らしい二文字が書かれてあるだけだった。


「ったく誰がバカだ、…まぁ今回は許してやるか」

そして彼はその紙を捨てることなく引き出しへとしまった。







「…」

美佐は下を向いて帰宅していた。

授業中も考えるのは彼のことばかり。

手にはコンビニの袋、中には飲み物と簡単に食べられるものが入っている。


だが、それを渡すことはなかった。


海に行った日。

好きな人はいない、と与太郎は言った。



だったら何故、


彼の家から飯田リサが出てきて、彼女が鍵を閉めて出て行ったのだろうか。

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