第47話 愛する人と生きる世界・3

 そうして琴子も、その騎士団長の恋人として、また聖女の同郷の女性として注目されてしまっていた。足が治るまで店は休んでいるが、その琴子が働いている店として、マリアの店はますます繁盛して忙しいらしい。

「わたしも早く足を治して、マリアおばさんを助けないと」

 マリアも琴子の恩人であり、大切な人だ。

 アドリアンと恋人になったことを報告すると、彼女はとても喜んでいた。琴子のレシピ本が完成したら、今度はマリアのレシピを本にする計画も出ている。マリアの知識なら、何冊も本が出せるだろう。

 何度も試行錯誤を重ね、レシピを見直し、イラストも吟味して、とうとう琴子のレシピ本が完成した。

 刷り上がったばかりの真新しい本を抱き締めて、琴子はこの世界に来てからのことを思い出す。

たくさんのことがあった。

見たことのない食材もたくさん知ることができたし、マリアからもこの世界のレシピを教わった。

とても、しあわせな時間だった。

「ようやく完成したな」

 その声に振り向くと、最愛の恋人が、優しい顔をして見守ってくれていた。

「ええ。でもこれが終わりじゃないわ。これからもたくさん、レシピを紹介していきたいし、色んなレシピを知りたい」

 まだまだ、やりたいことはたくさんある。

「料理に夢中になるのもいいが……」

 ふと手を引かれたと思ったら、いつのまにかアドリアンの膝の上に乗っていた。

「えっ?」

 いつのまに、と驚く暇もなく、そのまま唇が重ねられた。

「……っ」

 頬を赤く染めてアドリアンを見上げると、彼はいつの日か見たように妖しいほど色気を含んだ瞳で琴子を見つめていた。反射的に目を反らそうとするが、アドリアンは琴子の頬に手を添えて、唇をそっと指でなぞる。

「アド……リア、さん」

「レシピ本が完成したら、言おうと決めていた。琴子、俺の妻になってくれないか?」

「……ふぇ」

 驚きすぎて、思わず間抜けな声が出てしまった。愛する人にプロポーズされたというのに何ということだと、頭を抱えそうになる。

「琴子?」

「も、もう一回、お願いします……」

 思わずそう言うと、アドリアンは極上の笑みを浮かべ、琴子の耳もとで囁くように告げた。

「琴子、愛している。俺と結婚してほしい」

「……はい」

 こくりと頷くと、もう一度唇が重なる。

 いつもより少し長めの、濃厚なキス。

 唇が離れたあと、彼の胸に寄り掛かると、壊れ物のように優しく抱き締められた。

(夢、じゃないよね。わたし、アドリアンさんと結婚するんだよね?)

 そっと手を伸ばして頬に触れると、たしかな温もり。一度は手放した愛が、こうして今、実ろうとしている。琴子は微笑み、アドリアンに語りかけた。

「不束者ですが、どうぞよろしくお願いします」

 


 婚約を報告すると、ジークフリートも由依も、マリアもとても喜んでくれた。結婚式をどこでするのか、主役のふたりを差し置いて盛り上がっているようだ。それも、関係者一同で何度も話し合いをしてようやく決まった。

式は、騎士団長であるアドリアンのために王城で。

そしてパーティは、マリアの店で常連さんたちを招いて賑やかに。もちろん料理はマリアと琴子が作る。

 しかも日程は、宣伝になるからとレシピ本の発売日にすることになった。

 そう決まってから、琴子は大忙しだった。ドレスの仮縫い、パーティの料理の準備。やることはいっぱいある。

(里衣ちゃんも、こんなに忙しかったのかな?)

 向こうの世界での友人、里衣が結婚間近だったことを思い出し、ついそんなことを思ってしまう。

 純白のレースをふんだんに使った贅沢なウェディングドレスは、由依からの結婚祝いだ。一度しか着ないのにあまりにも豪華で、琴子は慌てて辞退しようとした。だが、自分の召喚に巻き込んでしまったお詫びも込めていると言われると、断り続けることもできなかった。

 パーティの料理は、やはりレシピ本の宣伝も兼ねているので、本に載っている料理を優先に。それでもマリア得意のキリャ鳥の揚げ物は、強請って作ってもらうことにした。

もちろん結婚後もマリアの店で働くつもりだ。

でも夫婦の新居は、王城にあるアドリアンの屋敷になる。

ひとりになってしまうマリアを心配していたが、何とマリアの三人目の孫が料理好きで、琴子が住んでいた二階に住み、料理を習いながら店を手伝うことになった。琴子もマリアもレシピ本の執筆に忙しくなるので、とても有難いことだ。マリアも孫と一緒に暮らすことができるので、嬉しそうだった。


 そして、結婚式当日。

 季節は冬にも関わらず、晴天でとても暖かい日だった。

 式は、王城で厳粛に。

 正装したアドリアンは、彼の容貌にはさすがに慣れた琴子も、思わず頬を染めて視線を反らしてしまうくらい、凛々しかった。本当にこんな人が自分の夫になるのかと、結婚式当日でさえ、信じられない気持ちだった。

 そして琴子も、由依からプレゼントされたウェディングドレスを着ている。実年齢よりも幼く見られてしまう自分に似合うかどうか心配だったが、アドリアンが目を細めて、綺麗だと言ってくれたのでそれでいい。他の誰かが似合わないと思っても、愛する人の目に綺麗に映れば、それだけで充分だった。

でもこのドレスは豪奢な分とても重くて、琴子は式の最中、何度も転びそうになる。でもそのたびに、アドリアンがしっかりと支えてくれた。いつも彼が傍にいて支えてくれるから、琴子は恐れずに歩くことができる。

式が終わると、琴子は大急ぎで着替えをして、マリアの店に急ぐ。もうマリアと彼女の孫のミィナが、料理の準備をしてくれているだろう。

アドリアンと一緒にマリアの店に駆け込むと、それからパーティのための料理をする。結婚式の披露宴としては、少し地味かもしれないが、それでも心のこもった料理ばかりだ。もちろん、アドリアンも手伝ってくれた。

マリアの店は小さいので、招待した人数もそう多くはない。いつも来てくれる常連さんと、それからお忍びで国王夫妻も来てくれた。

由依はひさしぶりの日本食に大喜びだった。

「おいしい……。琴子って本当に料理が上手なのね。ああ、ハンバークに野菜の煮物。オムレツに味噌汁。おいしすぎる……」

聖女として、そして慈悲深い王妃として有名な由依が、そんなことを呟きながら次々と料理を平らげている。最初は驚いていた他の客も、由依があまりにもしあわせそうなので、思わず笑顔になった。おいしいものは、人をしあわせにしてくれるのだ。

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