第46話 愛する人と生きる世界・2
地面に転がった男達は、命こそ奪われていないもの、動くことができないくらい痛めつけられていた。琴子が剣戟の音を聞いてから、あまり時間が経っていない。改めて、彼の強さに驚く。
「琴子のお陰だ」
息を呑む琴子に、アドリアンが優しく言った。
「以前の俺なら、ここまで動けなかった。琴子が料理を教えてくれたお陰で、いろいろなものが食べられるようになった。そのお陰で、以前よりも体力がついたようだ」
「本当に? わたし、アドリアンさんの役に立てた?」
「ああ、もちろん。琴子が俺を救ってくれたんだ」
彼の言葉が、ゆっくりと心に沁み込んでいく。
(この世界に来てよかった。アドリアンさんと出逢えて、本当によかった……)
ほどなくして、複数の騎士が駆けつけた。アドリアンは彼らに指示を出し、捕縛した男達を押収した荷馬車に詰め込ませる。だがその間も、ずっと琴子を腕に抱いたままなので、恥ずかしくて仕方がなかった。
(お姫様抱っことか! 嬉しいけど、人前だと恥ずかしすぎる!)
下ろしてほしいと懇願しても、足を痛めているから駄目だと言われてしまう。
「琴子。王妃陛下が心配している。帰ろうか」
「はい」
きっとあの優しい由依は、自分のせいだと思い詰めているかもしれない。早く帰って、安心させたいと思う。
アドリアンと一緒に馬に乗る。思っていたよりも高くて怖かったが、アドリアンが背後から抱き締めるようにしてくれたので、怖さはすぐに消えてしまった。
琴子を気遣ってか、アドリアンはゆっくりと馬を走らせた。
もうすっかり夕方になっていたらしい。
空が綺麗な朱色に染まり、その鮮やかな色に目を細める。馬車は地方に向かっていたのか、ここは王都から少し離れた街道のようだった。
「……アドリアンさん」
背に感じる温もりが愛しくて、琴子はそう語りかけた。
「どうした?」
優しい声。穏やかな眼差し。この人を誰にも渡したくない。独り占めにしたいと思う。
「助けに来てくれて、ありがとうございました」
「いや、王城だからと警戒を怠ってしまった、俺の落ち度だ。怖い思いをさせてしまってすまない」
「どうしてわかったんですか?」
「今回の主犯は、クロード公爵だ。彼の動きは以前から警戒していたが、琴子がいなくなったと報告してきた侍女は、前々から公爵の手の者ではないかと怪しんでいた女性だった。詰問したら今回の計画を漏らしたので、急いで馬を走らせてきた」
王命では、明確な証拠を上げるために、馬車が公爵の屋敷に着くまで見守れということだったらしい。だがアドリアンはその命に背き、琴子の救出を優先させた。
「だが、侍女は捕らえてあるし、さらに男達が首謀者の名前を吐けば、公爵も言い逃れはできないだろう。王命に背いた罰は、受けなくてはならないが」
「どうして、そんな……」
「琴子を、一刻も早くこの手に取り戻したかった」
それだけのために、忠実な騎士である彼が王命に背いたのか。そう思うと胸が苦しいくらい切なくなって、琴子は背後にいるアドリアンに身を預けた。
「琴子?」
「アドリアンさん。わたしは、ここではない世界から迷い込んできました」
「ああ、そうだったな」
「でもわたしは、今日、由依さんに教えられるまで、帰る方法がないことを知らなかったんです」
そう言うと、アドリアンは息を呑んだ。彼も国の上層部にいる者として、そのことを知っていたのかもしれない。
「だから、いずれわたしの意志とは関係なく、もとの世界に帰る日が来るかもしれない。そう思っていたので……。愛しく思っている人から愛を告げられたのに、頷くことができませんでした」
「それは……」
「アドリアンさん」
琴子は半身を捻って、背後にいるアドリアンを見上げた。彼の綺麗な緑色の瞳を見上げて、微笑む。
「今さらかもしれませんが、言わせてください。わたしは、あなたが好きです」
ようやく告げることができた。そう言うと、アドリアンは馬を止め、そのまま琴子を抱き締める。
息もできないくらい、強い抱擁。
それが嬉しくて、言葉にできないくらい、愛しくて。
ここで、生きていく。
愛するアドリアンのために料理をして、彼と一緒に生きていこう。
琴子が目を閉じると、唇が重なった。
触れるだけの、優しいキス。
言葉にできないくらいの幸福感が、胸に広がっていく。
夕陽がゆっくりと地平線に沈んでいく。
馬上の影はいつまでも寄り添い続けていた。
琴子が王城に戻ると、由依が泣きながら抱きついてきた。
ごめんなさい、私のせいで。
そう言い続ける彼女に、アドリアンが助けてくれたから大丈夫だと、琴子は微笑む。
「でも、怪我を……」
「これだって、自分で馬車から飛び降りたときにくじいてしまっただけです。それより、アドリアンさんは罰せられてしまうのでしょうか?」
王命に背いてまで助けてくれたことを話すと、由依は少しだけ考え込む。
「……そうね。さすがに正式に出してしまった王命に背いてしまったら、お咎めなしというわけにはいかないわ。でも、公爵の手の者だった侍女と、琴子を攫った実行犯を捕らえたのもアドリアンだからね。その功績も考慮されると思うわ」
「そうですか。よかった……」
胸を撫でおろす琴子に、由依は優しい笑みを向ける。
「私の召喚に巻き込まれてしまった琴子が、しあわせになれるように力を尽くすと誓ったけれど。その役目は、私ではないようね」
アドリアンと相愛であることを、由依は見抜いたのだろう。わずかに頬を染めて、琴子はこくりと頷いた。
「はい。アドリアンさんのことが好きです」
「よかった。彼もようやく報われたのね」
どういうことかと思って首を傾げると、由依と国王であるジークフリートは、かなり前からアドリアンが琴子に恋をしていると気付いていたらしい。
「五日に一度はちょっと浮かれていたし。急に山の獣を討伐すると言い出すし。かと思えば、声をかけるのも躊躇うくらい、落ち込んでいたからね」
「そ、そうだったんですか……」
五日に一度というのは、料理教室のことだ。そして山の獣を討伐したのは、アドリアンが言い出したことらしい。たしかに近隣の村は助かったようだが、もともとは琴子が、キリャ鳥が好きだと言ったからのようだ。
知らなかった事実に、恥ずかしくなって両手で顔を覆う。
「しあわせになってね」
「……はい。必ず」
ふたりでしあわせになる。そう決意して、琴子は頷いた。
琴子を拉致しようとしていた公爵は、侍女と実行犯の男達の証言。それから他国から移民を引き入れていた罪を暴かれて、失脚した。王都に不正滞在していた男達も一斉に検挙され、国外追放となった。これから少しずつ、町は秩序を取り戻していくだろう。
レシピ本の制作も、順調だった。
同郷である由依の意見も大いに取り入れ、簡単でわかりやすく、しかもおいしいレシピを厳選した。イラストを描いてもらうため、王城にある厨房で料理をしているのだが、まだ足が完治していないため、移動するときはアドリアンが抱きかかえてくれる。王城には人も多く、恥ずかしくて仕方がないのだが、彼はどうしても聞き入れてくれないのだ。
(でも、恥ずかしいんだよ……。王様なんか、すれ違うときにニヤニヤして笑っているし)
王命に背いたアドリアンは数日間、謹慎した。だが恋人を助けるために単身乗り込んでいったと知って、町ではかえって人気が上がっているらしい。ただでさえ、あの容貌だ。その熱は、しばらく収まることはないだろう。
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