第45話 愛する人と生きる世界・1

 がたん、と強い衝撃を受けて、琴子は目を覚ました。

(え、何?)

 ソファーから落ちてしまったのかと慌てて起き上がろうとしたが、視界は暗いままで、手足も自由に動かせない。

(え? ここはどこ? どうして?)

 パニックになりながらも、両手を動かせるだけ、動かしてみる。どうやら棺桶のような細長い箱に閉じ込められているようだ。

 どうしてこんなことになっているのだろう。

 琴子は耳を澄まして、外の気配を探る。

(車輪が回る音がする。……それに馬の嘶き。馬車に乗せられているのね)

 どうやら道が悪いらしく、馬車はがたがたと揺れる。

 王城の客間で寝ていたのに、どうしてこんな箱に押し込められ、馬車に乗せられているのだろう。

 とにかく状況を把握しなくてはならない。

琴子は静かに思案する。

(わたしがあの部屋で休んでいたのは、由依さんの指示。でも、あの人はそんなことはしない。接客業で、いろんな人達を見てきたからわかる。あの人は、心の底から善人だわ)

 何せ、聖女として召喚されたくらいだ。

(だとしたら、王城に敵がいたということ。初めて訪れた場所だから、わたしの敵ではないわ。誰の敵なの?)

 それは国王か、それとも王妃である由依か。

 もしくは、自分を王城に連れてきた、アドリアンか。

 アドリアンの敵に、利用されてしまうかもしれない。そう思った途端、胸が痛む。

 どうしてあんなところで眠ってしまったのだろう。

 無防備だったことを後悔するが、もう遅い。

(どうしよう。何とかしなきゃ。せめて、敵の正体だけでもわかれば……)

 琴子は息を殺して、周囲の様子を伺う。

 これがプロの犯行なら、余計なことなど話さず、ただ黙々と与えられた仕事をするだけだ。でも、さきほどからときどき、舌打ちや文句らしい言葉が聞こえてくるのだ。ならば、相手はただの下っ端。

彼らは口が軽いものだ。

「しかしよ、いくら聖女と同郷の娘とはいえ、あんなガキを嫁にするなんて、公爵様も物好きだよな」

(よっしゃ、さすが小悪党。そのまま雑談をお願いします)

 ガキと呼ばれていることには、今は目を瞑ろう。そう思いながら、琴子は耳を澄ませる。どうやら犯人は公爵と呼ばれる人物らしい。

しかも琴子が王城にいて、由依と会話したのはそんなに長い時間ではない。その公爵とやらは、王城内に多くのスパイを潜り込ませているのかもしれない。

「やっぱり聖女といえば、五百年に一度しか召喚されない聖なる存在だ。それに近い存在が、もうひとり手に入ったんだからな」

 男達の雑談は続く。

(なるほど。そういうことね……)

 どうやら、聖女という存在は思っていた以上に重要なようだ。

国王が若くして即位したのも、由依を娶ったから。そして同じ日本から来た琴子は、聖女に近い存在と思われているらしい。

(そんなことあるわけないよ。わたしなんか、異世界召喚に巻き込まれただけのモブでしかないのに)

 しかも五年という時差で。

そう思うと少しやるせない。

 その後も耳を澄ませて聞いていると、どうやら公爵は国王を蹴落とそうとしているらしく、外国から柄の悪い奴を王都に引き入れて、治安を乱しているらしい。だから王都の治安がいつまでも良くならず、国民は不満を抱いているようだ。

(その公爵のせいで、アドリアンさんが忙しく働いているのね。許せない)

 そんな男のもとに、献上品として連れて行かれるなんて冗談ではない。

何とか逃げなければ。

だがこの箱から脱出できたとしても、走り続ける馬車から飛び降りるのは危険なことだ。荷台が軽くなれば、男達も琴子が逃げ出したとすぐに気が付いてしまう。

(それに自慢じゃないけど、体力にはあまり自信が……)

 こんなことならもう少し鍛えておけばよかったと思うが、まさか王城で誘拐されるなんて思わなかった。

どうしたからいいかと迷っているうちに、馬車が止まってしまった。もしかして目的地に到着してしまったのだろうか。そう思って青ざめる。

(どうしよう。とにかくここから逃げないと……)

 手足は拘束されているようだが、箱は施錠されていないようだ。

 何とかここから飛び出して、逃げなければ。

 身体を起こし、肩と頭を使って箱をこじ開ける。手は後ろではなく前で縛られていたから、何とか箱から顔を出すことができた。どうやら閉じ込められていた箱は、幌馬車の荷台に置かれていたらしい。あまり広くはなく、周囲には誰もいないようだ。

 今なら逃げられるかもしれない。

「お、おい。あれ……」

 そう思ったとき、さきほどよりもクリアに、男達の声が聞こえてくる。

「何でこんなところに……」

「あれって、騎士団長だろう?」

(騎士団長?)

 そう呼ばれる存在は、この国にひとりしかいない。

 琴子は思わず声を上げそうになり、慌てて押し殺す。

(アドリアンさんが来てくれたの? アドリアンさん!)

 いつでも、助けてくれるのは彼だった。暴漢に襲われたとき。そして、役所で困っていたときも。

そして今も、琴子のピンチに駆けつけてくれた。

(本当に、物語のヒーローみたい)

 愛を告白しようと思っていたことを思い出す。

琴子にとって、誰よりも愛しい最愛のヒーローだ。

だが、物騒な男達の話し声が聞こえてきた。

「おい、どうする?」

「相手はひとりだ。あんな顔だけの奴、強いはずがないだろ。やっちまえ!」

 雑談をしていたのはふたりだけだったが、他にも仲間はいたらしい。複数の男達が駆け出す音。そして剣戟の音がする。

(アドリアンさん!)

 身のこなしから察するに、彼はただの飾りの団長ではない。でも、相手は複数の男だ。アドリアンが危ないかもしれない。そう思った琴子は、箱から抜け出そうと必死にもがく。

 だが縛られた身体は容易には動かず、剣戟の音が聞こえてきた。

 もし、彼が怪我でもしたら。

 そう思うと恐ろしくて、涙が滲んでくる。

 無理矢理箱から抜け出して、幌馬車の荷台に転がった。縛られたままの両手で足の拘束を解き、馬車から飛び降りる。

「……っ」

 思っていたよりも馬車の荷台は高い位置にあった。足をくじいてしまい、思わず呻き声が漏れる。それでも痛む足さえ顧みず、琴子は必死に身体を起こした。

(アドリアンさん! どうか、どうか無事で……)

 剣戟に怯えていた馬は高く嘶きの声を上げると、琴子が転がり落ちると同時に走り去ってしまった。その勢いに驚いてよろけながらも、愛する人の姿を求めて、琴子は周囲を見渡す。

 彼は、剣を構えたまま中央に立っていた。

 周囲には、呻き声を上げる男達の姿。

 ひとり残らず打倒したアドリアンは、琴子の姿を見つけると駆け寄ってきた。

「琴子!」

「アドリアンさん……」

 走り出そうとして、足の痛みによろける。そんな琴子を、アドリアンはしっかりと抱き留めてくれた。

「琴子、怪我はないか?」

「アドリアンさん、無事ですか?」

 互いに相手の安否を気遣い、しっかりと抱き締め合う。

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