第40話 レシピ本をつくりたい・7

「レシピを本に。それはすごいね。計画がうまく運ぶといいねぇ」

 やっぱりアドリアン様に相談して正解だったねと微笑むマリアに、琴子も同意して頷く。

「でも料理教室は、一旦終了のようです。アドリアンさんにそう言われました」

「そうかい。でも琴子のお陰でかなり改善されたようだし、姉も喜んでいると思うよ。ありがとう」

「いえ、わたしなんか、何も……」

 アドリアンの食生活が改善したのは事実だし、彼が必要ないというのなら、強制することはできない。でも彼との繋がりがなくなっていくようで、寂しく感じてしまう。

 もし、あのときアドリアンの告白を受け入れていたら。

 考えても仕方がないと何度も思ったのに、まだそう考えている自分に気が付いて、琴子は首を振る。過去のことを思い返しても仕方がない。今できることを頑張る。それが琴子の生き方だったはずだ。

(今はレシピ本を作るために、全力を注ごう。それしかないもの)

 それからは店の営業の合間に、企画書を書き続けた。本の内容は、料理のレシピ。出版の目的は、この国の食生活を豊かにするため。食文化が向上すると、人はしあわせになる。しあわせだと争いも減る。琴子はそう信じていた。

 企画書に書くレシピは、あまり難しいものではないほうがいい。

マリアにそうアドバイスを受けた琴子は、メイン料理としてハンバーグ、副菜として煮干しのだしを使った野菜の煮物。そしてデザートには、あの屋台でも売っていたシフォンケーキのレシピにした。何度も作りながらレシピを確認し、最良の状態を作り上げる。

そうして十日後。琴子は企画書を仕上げてアドリアンを待っていた。

彼が訪れたのは以前のように夜ではなく、早朝。琴子が薪を運んでいるところに現れ、運ぶのを手伝ってくれた。かまどに火を入れ、大きな鍋に湯を沸かしながら、企画書を読んでもらう。

「食生活の向上のため、か。たしかにマリアの店で食事をしている人達が、しあわせになっているのは事実だ。それを提出してみよう」

「はい、よろしくお願いします。あの、企画書ってどこに提出するのですか?」

 今さらだったが、気になったので尋ねてみる。

「ああ、言い忘れていたな。国王陛下だ。本を出すには、陛下の許可が必要になる」

「ええっ? こ、国王陛下?」

 まだマリアが起きていないのに、思わず大きな声を上げてしまった。

「どうしよう。まさか提出するのが国王陛下だったなんて」

 よくよく聞けば、この国の本はすべて国で発行しているらしい。だから制作費用は国が負担してくれるが、発行のためには国王の許可が必要とのことだ。

「レシピ本なんて、国で発行してくれるのかしら……」

 しかも琴子はこの国の住人ではないのに。

「そんなに慌てなくても大丈夫だ。この企画書はよくできているし、それに琴子が作ろうとしている本は、王妃陛下の計画に沿った内容だと思う」

「王妃陛下?」

 そういえばアドリアンの口からよく聞くと思い出して、琴子は首を傾げる。そしてすっかり馴染んで、いつもは付けていることを忘れてしまう腕輪を見つめた。

「犯罪被害者の保護とか、女性がもっと自由に生きられるようにしているっていう、あの王妃様?」

「そうだ。王妃陛下は、食文化の向上にも力を入れたいと仰せだった。だからこのレシピ本はきっと可決されるだろう」

「わたしも、王妃様のお陰でこうして平穏に暮らせています。だから、本当にこの本が役に立てたのなら、嬉しいです」

きっと優しくて慈悲深い、素敵な方なのだろう。琴子はそう思う。

「今日の夜、結果の報告に行く。結果によっては企画書の再提出をしなければならないが……」

「はい、大丈夫です。何回でも書き直しますから!」

 力を込めてそう言うと、アドリアンはそんな琴子の意気込みに優しい顔をして頷いてくれる。

「そのときは、一緒に頑張ろう。夜にまた来る」

「はい。お待ちしています!」

 この日は昼も夜も、そわそわして落ち着かないまま、仕事をしていた。企画書を提出して、夜には結果が出るとマリアには話してあったので、彼女もまた落ち着かない様子だった。ふたりで無駄にうろうろとしてしまった仕事を終えると、ようやくひと息つく。

「今日は何だか疲れたねぇ……」

「はい。わたしもです。アドリアンさんが来るまで片付けをしていますから、マリアおばさんは先に休んでください」

「そうかい。悪いね」

 マリアは本当に疲れたらしく、そういうと部屋に戻っていった。琴子もしばらく椅子に座ってぼうっとしたあと、ようやく立ち上がって後片付けを始める。

(まさか本を、すべて国が出版しているとは思わなかったけど、レシピ本の企画なんて通るのかな……。でもアドリアンさんが大丈夫だって言ってくれたし。それを信じよう)

 使った調理器具を洗い、乾いた布で吹いていると、裏口からアドリアンが顔を出した。

「琴子、遅くなってすまない」

「いえ、アドリアンさんこそ、遅くまでお疲れ様でした。どうぞ中に」

 日中は少し暖かいと思ったが、やはり夜になると冷える。琴子はアドリアンを店内に招き入れた。アドリアンは店内の椅子に琴子と向かい合わせに座ると、さっそく切り出す。

「企画書、やはり王妃陛下はとても興味を示された。食文化が向上すると、人はしあわせになるという言葉にも、感銘を受けたご様子だ。ただ国王陛下は……」

「だめ、でしたか?」

「いや、どうせレシピ本を作るのなら、食堂などの料理人達しか読まないような専門書ではなく、市民に普及する本のほうがよいのではないかと仰せだ」

「わたしもそう思います。民間に普及してこその食文化ですから」

 国王は、真剣にこのレシピの可能性を考えてくれたのだろう。だからこその言葉だ。

「だから料理をあまり作ったことのない人間でも、本を見れば簡単に作れるようなレシピ本を作ってほしいとのことだった」

「そうですか……」

 琴子は首を傾げて考える。

 企画書に記載したレシピも簡単なものだが、この国の人達がどの程度料理をしているのかわからない。

「つまり、アドリアンさんでも作れるようなもの、ということですか?」

 多少琴子に習ったとはいえ、まったく料理をしたことのなかったアドリアンが作れるのなら、大抵の人は作れるのではないか。そう思って尋ねると、彼は少し戸惑ったような顔をする。

「あ、ごめんなさい」

「いや、琴子の言う通りだ。俺が作れるなら、国王陛下も納得してくださるだろう」

 アドリアンは、琴子の書いた企画書に視線を落とす。

「ハンバーグか。これを作れるか、やってみるか」

 そう言ってくれた。

「明後日は定休日です。その日はどうでしょう?」

 また彼と一緒に料理ができるかと思うと嬉しくなって、琴子はそう提案する。

「明後日か。そうだな。買い出しからやってみるか」

「はい。そのほうがいいですね」

 レシピには材料と、使う量も記載している。その通りに買い物をして作ったほうがいい。明後日の朝にこの店で待ち合わせをすることにして、アドリアンは帰って行った。いつものように彼を見送り、琴子は両手を握り締めて目を閉じる。

(まさかこの世界で、レシピ本を出すことができるなんて思わなかった……)

 とにかく料理をすることが好きだった琴子は、自分の店を持つよりも、レシピ本を出すことのほうが大きなことに思える。多くの人達が、その本を見て料理を作ってくれる日がくるかもしれないのだ。

 翌朝、マリアに報告をする。

「アドリアン様に作ってもらうのは、いいことだと思うよ。私も昔は料理を教えてほしいと言われて、色々とやってみたんだけど、なかなか難しくてね。あまり作り慣れていない人が、どこに躓くのかわからなくなってしまって」

「……そうですね。アドリアンさんがわからなかったことを付け足せば、もっとわかりやすいレシピになりますね」

 琴子やマリアのように仕事として料理をしている者には当たり前でも、料理を作ったことのない人にはわからないことがあるのかもしれない。


 そうして明後日の朝になると、約束通りにアドリアンが店にやってきた。

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