第35話 レシピ本をつくりたい・2

 それなのにアドリアンの傍にいると、とても歩きやすい。それは彼が琴子を気遣い、押されたりすることがないように、気遣って歩いてくれているからだ。

(男の人に、こんなふうに気遣われたのって初めて……。なんかどきどきする)

 入り口の混雑を抜けると、ようやく少しゆったりと歩くことができるようになった。

「こんなに混んでいるんですね。ちょっとびっくりしました」

「入り口付近は特に、人気の屋台が多いようだ。琴子は何を食べたい?」

「ええと……」

 果物やサラダなら向こうの通りだと言われて、躊躇う。

 ここは女性らしく、季節の果物や彩りの綺麗なサラダなどを頼むべきなのかもしれない。まして、一緒にいるのはアドリアンだ。

でも琴子の目的は違う。

「あの、キシャ鳥の串焼きが欲しいんです」

 笑われるのも覚悟していたが、アドリアンはそんなことはせず、ただ頷いただけだった。

「キシャ鳥なら、もう少し奥だな」

 そう言って、琴子の手を取って歩き出す。

 奥に進むにつれ、焼き鳥の良い匂いが漂ってきた。

(うわぁ、おいしそう!)

 やや大振りの串に豪快に切られた鳥肉を刺して、焼いている屋台があった。

「やあ、お嬢ちゃん。今年もそろそろキシャ鳥も食べ納めの時期だ。どうだい?」

 匂いにつられて視線を向けると、串焼きを売っている男が声をかけてきた。

「ください! 二本、いえ、やっぱり三本お願いします!」

 財布代わりの巾着袋からお金を出し、持ち帰り用の袋に串焼きを三本入れてもらう。見た目は焼き鳥のようだが、大きさは倍くらいある。

「琴子はそれが好きなのか?」

「はい。この国に来てから初めて食べましたが、とてもおいしくて。マリアおばさんの得意料理もこの鳥を使っているんですよ。ただ、冬になると食べられないみたいで。今のうちにたくさん食べおこうと思ったんです」

 そう言うと、アドリアンは納得したように頷いた。

「……キシャ鳥か。たしか、山に棲む鳥だったか」

「はい。冬になると危険な獣が移動してくるから、狩りに出られないと聞きました」

「そうか。……そろそろ、獣退治も必要かもしれないな」

 アドリアンはぽつりとそう呟く。

「アドリアンさん?」

「いや、何でもない。それより冷めないうちに食べたほうがいい」

 屋台のある通りには大きな広場があり、たくさんの椅子とテーブルが置いてある。そこで屋台で買ったものを食べることができるようだ。野外のフードコートのようだと思いながら、琴子は買ったばかりの焼き鳥を頬張る。

(うん、柔らかくてジューシーで、本当においしい! 春まで食べられないなんて、残念だわ……)

 琴子が焼き鳥に夢中になっている間、隣に座っているアドリアンは、かなり寛いだ様子で屋台通りを歩く人の群れを眺めている。どうやら彼なりに、この休日を楽しんでいる様子だ。だから琴子もゆったりとした気持ちになって、

「あの、もう少し見てきてもいいですか?」

「もちろんだ。俺も一緒に行こう」

 中には女ひとりだと値段を吊り上げたようとしたり、口説こうとする者もいるらしい。騎士団でも治安維持に尽力しているが、そういう者は違法で滞在している余所者が多いらしく、斡旋して匿っている者がいるらしい。この国の王も騎士団や警備団を使って調査させているが、なかなか証拠を掴ませないのだと言う。

 アドリアンは琴子を守りながらも、ひとりで歩く女性がいないか、困っている人はいないか見守っていた。これではいつもと同じだと思うが、困っている人は放って置けない、彼の性なのだろう。

(そういう優しいところは、好きだなぁ……)

 琴子を庇いながら歩いてくれる、その後ろ姿を見ながらそう思った。

 焼き鳥を食べたあとは、揚げ物、そして蒸し焼きのキシャ鳥を楽しむ。最後に良い香りのするフルーツティーを飲んで、ようやく一息ついた。

「ふう……。おいしかったです。あの、付き合っていただいてすみません」

「いや、楽しかったようで何よりだ」

 屋台はどれもおいしそうなものばかりで、迷いながらうろうろと歩き回ってしまった。だがアドリアンは嫌な顔をすることもなく、ずっと見守ってくれた。

 食べ終わったあとは、立ち並ぶ屋台を眺めながらゆっくりと歩いた。

「あれ?」

 ふと、ひとつの屋台の前で琴子は立ち止まった。甘い匂いがする。何となく覗いてみると、女の人の声が聞こえてきた。

「とっても珍しい、今話題のお菓子だよ。他に比べてずっと安価だから、食べてみて!」

(話題の?)

 その声につられて覗き込むと、売っていたのは見覚えのある形をしたものだった。

(え、あれって……。シフォンケーキとクッキー?)

 小さくて丸い焼き菓子と、真四角に切られたスポンジケーキのようなもの。白いクリームが添えられているところなどは、琴子が作ったシフォンケーキとそっくりだ。作り方はマリアにしか教えていないはずだと思いながら、琴子は興味を覚えてそれを購入することにした。

「すみません、ちょっとあのお菓子を買ってきますね」

 ひとつ百リラ。たしかマリアの店で売っているものより、かなり安い。

 シフォンケーキとクッキーを買い、少し離れたところで試食してみる。

「ん……。固い」

 クッキーらしきものはとても固く、さくさくとした歯触りがまったくない。シフォンケーキも、ずっしりとした普通のスポンジケーキだった。添えてあったクリームも生クリームではなく、バタークリームのような少し脂っぽいものだ。

「……全然違う味だわ」

「どうした?」

 不思議そうなアドリアンに、マリアの店で出しているデザートを模倣したお菓子が売っていたことを話す。

「シフォンケーキとクッキーっていう名前も同じだから、偶然じゃないと思うんですけど」

「おそらく琴子の作ったものを食べて、真似しようとしたのだろう。たしかに、マリアの店で売られているものは、かなり話題になっているからな」

「うーん……」

 話題になるのは光栄なことだし、流行っていると聞けば真似する者が出てくるのも仕方がないことだ。好評のビュッフェスタイルも、模倣している店があるとマリアが言っていた。

だが、琴子は別にそれに関しては構わないと思っている。

(そもそもわたしが考案したものじゃないし……。選択の幅が広がるのは、お客さんにとっても良いことなんだけど)

 まったく違うものが、この名前で売られていることはあまり良くないと思う。

「シフォンケーキもクッキーも、わたしの生まれたところで普通にあったものだし、聞かれたら作り方くらい、教えるのにな」

 思わずそう呟くと、それを聞いたアドリアンは、教える前にマリアに聞いた方がいいと言う。

「マリアおばさんに?」

「ああ。よく相談してみるといい」

「そうですね。作っているのはわたしでも、売っているのはマリアおばさんの店だから」

 琴子は料理を作っているだけだが、マリアはあの店を経営しているのだ。経営者の意向に従ったほうがいいと、琴子も思い直す。

(このクッキーとシフォンケーキも、マリアおばさんに見てもらおう)

 残りを丁寧に包んで、鞄にしまった。

 それからだいぶ人が少なくなってきた屋台をあとにした。

 城門に向かって歩く。王都の外に出るのはあの日以来で少し緊張するが、アドリアンが一緒なので何も心配はいらない。

「お、琴子。外に出かけるのかい?」

 そう声をかけてきたのは、城門の門番だ。よくマリアの店に食事に来てくれる青年で、琴子が初めてこの門を潜ったとき、マリアに優しく声をかけていた人でもある。

「ああ、パンケーキの。ええ。農場の近くの市場に行くの」

「その呼び名はやめろって。仕入れに行くのか。でも、女ひとりで行くのはちょっと危なくないか?」

 連れて行ってやろうか。そう言ってくれた彼に、琴子は大丈夫だと笑う。

「ひとりじゃないから平気よ。ありがとう」

「え? あっ……」

 青年は琴子の背後に立っていたアドリアンをやや不審そうに見上げ、それが騎士団長のアドリアンだと気付いたらしくて慌てて姿勢を正した。

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