第32話 騎士団長と料理教室・4
考えているのは、野菜を切っただけのサラダが、りんごなど、そのまま切って食べられるもの。それを今日の夜、提案してみようと思う。
料理をするのもこれで七回目だから、前よりも少し前進したい。でも、けっして無理強いはしないように。
いつもの時間にアドリアンが裏口から店を訪れ、琴子はそれを迎え入れる。
今日は仕事からそのまま来たのか、服装は騎士服のままだった。
「いらっしゃいませ、アドリアンさん。今日はお忙しかったのですか?」
「ちょっと王都の外で仕事があってね。ああ、これ」
店内に入り、マントを外して上着を脱いだアドリアンは、ふと思いついたように、上着から取り出したものを琴子に手渡す。
「え?」
そのまま受け取った琴子は、これが何なのかわからずに首を傾げる。布に包まれた、固いもの。何だろう。
「これは……」
「訪れた町は、銀細工で有名なところだ」
促されて包んである布を開いてみると、そこには銀細工の髪飾りがあった。宝石の類いはなく、豪奢ではないが繊細な造りで、とても美しいものだ。
綺麗、と思わず呟く。
「琴子の黒い髪に似合いそうだと思った」
「え? でも、こんなに高価そうなもの」
「いつも世話になっているから、その礼だ」
アドリアンはそう言って、綺麗に微笑む。
ただのプレゼントなら申し訳なさ過ぎてもらえないが、お礼なら受け取らなければ失礼になるのだろうか。
「お礼。それじゃあ、マリアさんにも?」
アドリアンが自分に恩義を感じているとしたら、それはもっと前から彼のことを着に掛けていたマリアにもだろう。そう思って何気なく口にすると、アドリアンは少し困惑したようだ。
「あ、ああ。ただマリアは装飾品よりも、地方の食材や香辛料のほうがいいらしいから、そっちを買ってきたが」
「え、どんな食材ですか?」
思わず身を乗り出す琴子に、アドリアンは戸惑いながらも笑みを浮かべた。
「琴子も、そのほうがよかったみたいだな」
「え、いえ。そんなことは……。装飾品をもらったのは初めてで、嬉しいです」
しかも、相手はイケメンだ。
こんな機会はもう二度とないかもしれない。そう思って、あらためてその美しい銀細工の髪飾りを見つめた。
「そうか。だったら受け取ってくれると嬉しい」
「……はい。ありがとうございます」
そう言われてしまえば、もう断ることもできない。琴子は髪飾りを丁寧に布に包み直した。
「ありがとうございます。大切にします」
そう言って大事にしまい込むと、さっそく今日の料理に取りかかる。
思いがけないプレゼントに少し浮かれていたが、気合を入れなければならない。なにせ今日は、初めて一品付け足してみようと思っていたからだ。
(……なるべく、さりげなく。そしてもし彼が躊躇ったら、すぐにやめよう)
そう思いながら手を洗っていると、エプロンをつけているアドリアンがぼそりと、なかな手ごわいな、と呟いているのが聞こえてしまった。
(手ごわいって、何が?)
不思議に思って振り返ると、アドリアンはいつものように温厚な笑みを浮かべているだけだ。
「大丈夫です。今日も簡単な料理ですから。さっそく作ってみましょう」
だから琴子も、笑顔でそう言うしかない。
そしていつものようにふたりで並んで、料理を開始する。
チキンとセロリのような野菜、ノーシャを薄切りにしてパンに挟む。スープは、ベースのトマトスープにミルクとえびを入れて、シチュー風に。
いつもの料理はすぐにできあがった。わざと余るように多めに置いていた野菜を前に、琴子は考え込むような顔をする。
「あの、アドリアンさん。野菜がちょっと余ったので、サラダでも作りませんか?」
緊張しながらそう切り出す。
「サラダ?」
「はい。余った野菜を切って、ハーブソルトとオリーブのオイルをかけるだけですから」
緊張しながら答える。やや上目遣いで彼を見上げると、思案していた様子のアドリアンは頷いてくれた。
「それならすぐにできそうだ。やってみよう」
「はい!」
まず野菜をよく洗い、しっかりと水気を切る。
レタスをバリバリと千切り、小さめのトマト、斜め切りにしたノーシャを器に盛る。その上からオリーブオイルとハーブソルトを混ぜたドレッシングをかければ、サラダの完成だ。
(今日はチキンサンド、えびとトマトのクリームシチュー、そしてトマトとノーシャ、レタスのサラダ。うんうん、具材はちょっと被っているけど、なかなかちゃんとした料理だわ)
テーブルに並んだ料理を見て、琴子は満足そうに頷いた。そうしていつものように、アドリアンと向かい合わせに座る。
最初は食事をするときには固い表情だった彼も、今では以前よりも柔らかな表情になっていた。それが嬉しくて、琴子もにこにこと微笑みながら食事を開始する。
しっかりと下処理をした小さめのえびは臭みもなく、とてもおいしい。パンに挟んだチキンも市販のものだが、柔らかくて厚みもある。
(これ何だっけ……。キリャ鳥? 本当に柔らかいし、ジューシーだし、おいしいわ)
マリアの得意料理の揚げ物も、たしかこの鳥を使っていたはずだ。だが冬になると山に狩りに入る者が減り、値段が上がるとマリアに聞いた。この辺りでは雪は降らないが、冬になると寒い地方から移動してきた獣が出るらしく、危険らしい。だから今のうちに、たくさん食べておいたほうがいいのかもしれない。そんなことを考えながら食事を続けていると、ふとアドリアンが声をかけてきた。
「……琴子は」
「はい?」
「食事をしているとき、とてもしあわせそうだな」
どう答えたらいいものか、少し迷う。でもしあわせそうに見えたのなら、それは嬉しいことだ。だから素直に頷いた。
「はい。作るのも好きですが、食べるのも大好きなんです。おいしいものを食べると、本当にしあわせになります」
「そうか」
その返答にアドリアンは静かに頷いた。それからふと、慈しむような優しい瞳をして、琴子を見つめる。
「一緒に食事をしていると、そのしあわせを分け与えられているような気になる」
「……っ」
そんなアドリアンの言葉に琴子は目を見開く。そうできたらいいと、ひそかに願っていたことだ。
「本当ですか?」
「ああ、もちろん。俺は……。たしかに過酷な経験をしたのかもしれないが、それを乗り越えようと努力したことはなかった気がする。ただ、死なない程度に最低限の食事ができればいい。ずっとそう思っていた。だが琴子と出逢って、もしかしたら自分から生きる喜びを手放してきたのではないかと、そう思うようになった」
「アドリアンさん……」
「王城での晩餐会に、仮にも騎士団長が欠席することなど、本来ならは許されないことだ。だが、俺の過去を知る者は、そんな事情があれば仕方がないと今の状況を許してくれた。それに甘えていたのかもしれない」
「そんなことないです! アドリアンさんは甘えてなんかいません。だって、こうして料理をして乗り越えようとしているじゃないですか」
思わず食事の手を止めて、そう声を上げていた。
アドリアンは、本来なら覚える必要のない料理をしてまで、前に進もうとしている。さらに、料理を始めてからわずか一か月でそう思えるようになったのは、彼の心が強いからだ。
そうでなくては、乗り越えられなかった。それだけの経験をしてきたのだ。
「マリアと、そして琴子がいてくれたからだ。ふたりには、本当に感謝している」
「それも、アドリアンさんの人徳です。マリアおばさんにもわたしにも、とても親切にしてくれました。だからこそ、わたしも恩返しをしたいと思ったんです」
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