第31話 騎士団長と料理教室・3

 アドリアンは残さずに全部、食べてくれた。色々と奔走した琴子を気遣って無理をしてくれたのかもしれないが、それでもちゃんと食事ができた。

そのことには琴子も、心から安堵した。

こうして少しずつ食べられるものを増やしていけば、きっといつか、過去の傷を乗り越えることができるに違いない。

(その日のために、わたしもできるだけのことはやってみよう)

ひそかにそう誓いを立てた。

 アドリアンは後片付けも一緒にすると言ってくれる。そんなことはしなくてもいいと何度も言ったが、彼は聞き入れてくれなかった。

彼曰く、自分で使った道具を片付けるのは当然のことだと言う。

たしかにその通りだし、アドリアンが真剣に料理というものに向き合ってくれていることがわかって嬉しい。それでも、こんなことまでさせてしまっていいものかと悩んでしまう。

なにせ、相手は騎士団長だ。

 そんな琴子の心中を知らず、彼は不慣れながらもしっかりと後片付けをすませた。

 帰るアドリアンを裏口まで見送る。

「今日は、色々と世話になった」

「いえ、わたしも楽しかったです」

 琴子は笑みを浮かべてそう告げる。目的があったとしても、誰かと一緒に料理をするのは、とても楽しいことだ。

 そんな琴子の笑顔をアドリアンは少し眩しそうに見つめ、それから真剣な目をして見つめた。

「琴子」

「は、はい」

 ふいに名前を呼ばれて、胸がどきりとした。

「今日、一緒に食事をしてくれたのは、俺のためだったんだろう?」

「え、いえ。あの、その……」

 まさか言い当てられるとは思わず、慌てる。

 ここはそうだと認めたほうがいいのか。

それとも、否定するべきなのか。

 正解がわからず慌てる琴子に、アドリアンは笑みを浮かべる。

 それは思わず見惚れてしまいそうなくらい、綺麗な笑顔だった。

「琴子が一緒にいてくれたお陰で、きちんと食べることができた。感謝している」

「アドリアンさん……」

「もし迷惑でなかったら、これからも一緒に食事をしてくれないか?」

「はい。わたしでよかったら、喜んで!」

 むしろ、これからはどう理由を作ったらいいのかと悩んでいたくらいだ。

 勢いよく何度も頷くと、アドリアンはふと手を差し伸べて、琴子の髪に軽く触れる。

「ありがとう。……おやすみ、琴子」

「おやすみなさい」

 笑顔でそう挨拶を交わすと、彼はそのまま夜の町に消えていった。見えなくなるまで見送り、あとはきちんと戸締りをして店に戻る。そして大きく溜息をつく。

(よかった。とにかく今日は成功したわ)

 初日だけにどうなるかわからず、思っていたよりもずっと緊張していたようだ。

 もう後片付けは済んでいるので、そのまま二階の部屋に行く。

真っ暗な部屋に入ると、窓から町の明かりが見えた。琴子は何げなく窓に近寄り、そこから外の様子を眺める。酒を出している店は、まだまだ大勢の人達で賑わっているのが見えた。アドリアンはどこまで行っただろうか。

「あ……」

 頬に掛かった髪を掻き上げたとき。ふと、髪に触れたアドリアンの手を思い出す。

 まるで小さな猫を撫でるかのように、慎重で優しい手つきだった。

 どうしてあんなに優しく触れてくれたのだろう。

 きっと、彼に深い意味はない。そうわかっていても、アドリアンに触れられた箇所がいつまでも気になっていた。


 翌朝、いつもよりも早めに起きた琴子はきちんと身支度をして店に向かった。マリアが起きてくるまで水汲みや薪の準備を済ませる。朝食は何にしようかと考えていたところに、マリアが起きてきた。

「おはよう、琴子。今朝は早いね」

「おはようございます。ちょっと目が覚めてしまって」

 マリアが作るパンの手順を見つめながら、スープの用意をする。今日はじゃがいも、にんじん、キャベツ、そしてソーセージを入れて煮込むポトフだ。そろそろ気温が下がってきたので、サラダではなく温野菜。それにデザートは果肉をたっぷりと使ったオレンジゼリーにした。

 そして朝食用にハムエッグを作りながら、昨日のことをマリアに報告する。

 たまごサンドもミネストローネも食べてくれたと報告すると、マリアは料理の手を止め、本当によかったと涙ぐむ。

「何とかできないかと、色々と考えていたんだけどね……」

 琴子が来てくれて本当によかったよ。

 そう言われて、琴子も涙が滲みそうになってしまい、慌てて目を擦る。

「いえ、わたしなんて何も。ただ、わたしの国には身分の差があまりなかったので、アドリアンさんに料理をさせようなんて思いついただけです」

 この国で生まれ育った人間なら、そんなこと思いつきもしなかったに違いない。

「琴子の国は、共和国だったのかい?」

「ええ、そんなものです。きっちりと定められていないだけで、身分というか、差はありましたけど、基本は平等っていう感じの国でした」

「そうだったのかい。この国では身分の高い人は専用の料理人を雇うけど、身分がないんだったら自分で料理をする人も多いんだろうね」

「そうですね。ひとり暮らしの人はほとんど、自分の食べるものは自分で料理していると思います。そういうのが得意じゃない人は、食堂で食べたり、販売しているものを買ったりしていましたが」

「だから琴子は、こんなにたくさんの料理を知っているんだね。作る人が多いなら、料理のレシピも増えていくからね」

 この大陸の料理ならほとんど覚えている。アドリアンはマリアのことをそう言っていた。きっと以前の琴子のように、まだ見ぬ料理、作ったことのない食材に心を躍らせているのだろう。

「わたしは料理の仲間達と会合……みたいなものを開いていたんです。だから色んな料理を教わりました」

 レシピサイトといっても、マリアには通じない。だから何と言えばいいか迷った挙句、会合と告げる。それで通じたらしく、マリアはうっとりとして言った。

「それはすばらしいねぇ……」

「はい、とても勉強になりました。今も、マリアおばさんには色々と勉強をさせていただいて」

「私も、琴子には色んな料理を教わったからね。これからもたくさん、向こうの料理を教えておくれ」

「もちろんです。わたしだって、マリアおばさんに聞きたいことはたくさんありますから」

 そう答えながらも、以前ほど未知の料理に対する興味が薄れてしまっていることに、琴子は気付いてしまった。異世界に飛ばされてしまったときでさえ、まだ見ぬ料理や食材を思ってわくわくしていたというのに、どうしたのだろう。

(それよりも向こうの世界の、栄養とかカロリーの本がほしい……。どうやったら効率よく栄養が取れるのか、それが気になるわ)

 今はアドリアンのために簡単に作れて、しかもしっかりと栄養がとれておいしい料理を作りたい。そう思う。

 だから自然とスープやパンのレシピが多くなっていく。


 それから六回ほど、アドリアンと一緒に料理をして、夕食をとった。

 ほぼひと月が経過している。

 メニューもパンにハムとレタスを挟んだハムサンドや、野菜スープにたまごを落としただけの簡単なものばかり。不器用だと言っていたアドリアンだったが、少しずつ料理にも慣れてきて、包丁捌きもだんだん様になってきたようだ。

(問題はわたしよね。パンとスープだけの夕食だと、明日の朝までもたなくて……)

 もともと食べるのが好きだった。

でもこの世界に来てから、少し食べすぎだったような気がする。マリアの料理がおいしすぎて出て行ったという、彼女の娘の気持ちがわかるようだ。

(このくらいの量がちょうどいいのかな。でもアドリアンさんにはもっと食べてほしいから、今日から一品、増やせたらいいなぁ)

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