第30話 騎士団長と料理教室・2
「それで琴子、アドリアン様にどんな料理を?」
「……アドリアンさんの場合、料理の腕を上げることが目的じゃないので、本当に簡単なものでいいと思います。焼いてあるパンで作るたまごサンドとか、作ってあるスープに具材を足して煮込むとか。食べられるようになることが目的ですから」
「そうだね。それくらいなら、アドリアン様でも大丈夫だね」
あまり豪華な料理だと手順も多く大変だし、せっかく作ってみても食べられない可能性がある。だから最初は簡単なものから。やってみようと思っていたことを話すと、マリアも賛同してくれた。
簡単で、栄養がたっぷりと取れて、おいしいものを。
どんな料理がいいか。どんな手順で作ったらいいのか。
琴子はあれからずっと、メニューを考えていた。
不特定多数のために料理を作るのも好きだったが、やはり誰かのためにメニューを考えるのは、とても楽しかった。
アドリアンが訪れるのは、五日に一度くらいのペースだ。
琴子は前もって六回分のメニューを考え、マリアにも相談した。
パンやスープを用意してくれるのは、いつも通りマリアだ。彼女からもアドバイスをもらい、さらに店のメニューも決めてしまう。
「だいたいこれでいいですね。もし野菜なんかの値段が変わったら、メニューも変えていきましょう」
「そうだね」
向こうの世界のように食品の輸入はあまりないので、同じ野菜でも天候次第で値段がまったく違う。こだわりは捨てて、なるべく安価で、しかもおいしいものを作っていかなければならない。
そんなふうに忙しく過ごしているうちに、あっというまに五日が経過した。
その日の夜。
約束したように、アドリアンがいつもより早く、店を訪れた。琴子は少し緊張しつつ、彼を迎え入れる。
本当はマリアにも同席してもらうつもりだった。
それなのに、彼女は三人でいるには厨房は狭すぎると言って、後片付けが終わると部屋に戻ってしまった。
彼女がいなくて心細いが、もとはと言えば自分が言い出したことだ。しっかり頑張ろうと、気合いを入れて笑みを浮かべる。
「いらっしゃいませ、アドリアンさん」
「ああ、琴子。今日はよろしく頼む」
そう言って店内に入ったアドリアンは、いつもの騎士服ではなかった。
シンプルな白いシャツに黒いズボンというラフな格好をしていたのだ。その装いで彼が琴子に言われて仕方なく来たのではなく、自分の意志で真剣に取り組もうとしていることがわかって、とても嬉しくなる。
(それにしてもシンプルな装いって、かえってイケメンが引き立つのね)
思わず少しだけ、見惚れてしまった。
アドリアンは動こうとしない琴子に、少し戸惑ったようだ。
「琴子?」
「あっ、ごめんなさい。どうぞ中に」
我に返って、いつものようにアドリアンを店内に導く。そして、いつもとは違ってそのまま厨房に向かった。そこには二人分の道具と、エプロンが置いてある。
「今日はたまごサンドとミネストローネを作ろうと思います。パンと、基本になるトマトスープは、マリアさんが作ってくれました」
シンプルなパンと、スープ。これだけならいつもの食事だ。
「今日はこれに少しアレンジを加えます。まずはエプロンをして、手をよく洗ってください」
「手を?」
「はい。料理はまず、手洗いからです。食材を扱いますからね」
そして琴子もエプロンをしてから、手を綺麗に洗う。
さすがにアドリアンに女性もののエプロンを渡すわけにはいかなかったので、マリアが町で男性用のショートエプロンを買ってきてくれた。
「かまどの火はもう調整しておいたので、さっそくたまごを茹でましょう」
水にたまごを入れて、そのままかまどに置き、沸騰させる。
茹で加減は人それぞれ好みがあるが、今日はたまごサラダを作るので、固ゆでたまごだ。八分ほど茹でたあとは流水に入れて冷やし、殻を剥く。
料理とはいえないほど簡単なものだが、アドリアンはたまごの殻を剥くのに少し苦戦している様子だった。
「多少いびつでも、サラダにしてしまうので大丈夫ですよ」
琴子はアドリアンにそう声をかける。手伝いたいが、彼ひとりで作らないと意味がない。ようやく殻を剥いたたまごを角切りにしてマヨネーズ、塩、コショウで味付けをする。それを焼いてあるパンに挟んだだけの簡単なものだ。
スープもまた、角切りした野菜を加えて煮込むだけ。買ったままにしてある野菜を洗い、細かく切ってもらう。こっちはほとんど手間取らずに作ることができた。
「はい、これでできました」
出来立てのそれを、冷めないうちに二人分、器によそう。
これもマリアのアイデアで、琴子も一緒に同じものを食べたほうが、アドリアンも口にしやすいのではないかと提案してくれたのだ。
「すみません、わたしも一緒にいただいてもよろしいでしょうか。今日は忙しかったので、夕飯を食べる暇がなかったのです」
アドリアンにそう声をかける。
マリアが言うには、身分の違う者が一緒に食事をすることはないそうだ。だからそう理由を上げて尋ねると、アドリアンは快諾してくれた。
ふたりで向かい合わせに座って、食卓につく。
「いただきます」
そう手を合わせて、まずたまごサンドを食べる。
パンはドーム型のパンで、厚く切ったパンに切り込みを入れ、そこにたまごサラダを挟んでいる。零さないように注意しながら、ぱくりと頬張る。
「うん、やっぱりマリアおばさんのパンはおいしい。しっとりとして、焼きたてじゃなくても柔らかい。たまごもおいしいです」
最初、琴子はこの世界にマヨネーズはないのではないかと思い、作ってみたのだ。でもそれを試食したマリアが、料理のソース用に似たようなものがあると教えてくれた。
(本当は肉料理に使うソースみたいだし、わたしの知っているマヨネーズより少し酸っぱいけど。でもアドリアンさんに手造りのマヨネーズはまだ出せないから、市販のものがあってよかった)
琴子の作ったマヨネーズのほうがおいしいとマリアが言ってくれたので、アドリアンが色々なものを食べられるようになったら、そのときは手作りのマヨネーズを使おうと思う。
(アドリアンさんがもっと料理に慣れたら、マヨネーズから一緒に作ってもいいかもしれない)
おいしそうに食べる琴子につられたように、アドリアンもたまごサンドを手に取った。彼の身分なら、こんなふうにパンをそのまま手に取って食べることなど、初めてかもしれない。でもアドリアンは少しだけ躊躇ったあと、それを口にする。
(ああ、よかった……)
ただのパンに比べると、かなり見た目も違う。食べることができなくても仕方がない。そう思っていただけに、彼が食べてくれたことが嬉しくて、おもわずじわりと涙が滲む。
(本当によかった……。これなら、少しずつ時間をかければ改善していくかもしれない……)
涙をごまかすように、今度はスープを飲む。
大きめの木のスプーンで掬うと、賽の目のように小さく切った野菜が浮かび上がってくる。本当は大きめに切ったほうがおいしいが、アドリアンが食べやすいようにわざと小さくしたのだ。トマトの酸味と、野菜の甘味が口に広がった。
「うん、おいしい。やっぱりマリアおばさんのスープっておいしいなぁ」
マリアはほとんど、材料や調味料を計って作らない。すべて長年の勘らしいので、同じように作ろうと思っても、うまくいかない。同じ材料で何度も作り、自分でベストな方法を見つけていくしかない。
なかなか難しい。でも、それが楽しかった。
アドリアンも琴子と同じように、スープにスプーンを入れた。琴子は緊張してその様子を見守っていたが、彼は具材の野菜がやや繋がっているのを見ると、笑みを浮かべる。
「俺は結構、不器用なようだ」
「大丈夫です。味は一緒ですから!」
思わずそう言うと、彼の笑みがますます深くなる。
スープは具材が足してあるだけだから、パンよりも躊躇わずに口にしたようだ。
ゆっくりと食事をする彼のペースに合わせて、琴子もよく味わって食べた。
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