第24話 充実した異世界での日々・6

 この世界で主に使われているのは薪オーブンで、最初は火加減に苦労したが、今ではだいぶ慣れてきた。薪は裏口にたくさん積まれている。それを取ってこようと裏口から外に出る。

「あ、アドリアンさん」

 そこでちょうど通りかかったアドリアンに会うことができた。彼も琴子の姿を見つけると、柔らかく微笑む。

 保護者になってくれたアドリアンとは、あれから何度もこの店で会っている。

彼はいつも忙しそうだが、この店のことも琴子のことも、何かと気にかけてくれた。

「いらっしゃいませ」

 琴子がそう声をかけると、彼はすぐに手を伸ばして琴子の腕から薪の束を取り上げる。

「何か困っていることはないか?」

「はい、大丈夫です」

「他国の商人が、多くの護衛を連れて商談に来ているそうだ。滞在許可は得ているが、護衛の中には荒っぽい者もいる。酒を出さない店には入らないと思うが、気を付けるように」

 そう言ったあと、アドリアンは店内を見渡す。

「マリアはどうした?」

「ちょっと具合が悪そうなので、先に休んでもらいました。わたしは料理の試作品を作りたくて、残っていたんです」

「大丈夫なのか?」

 心配そうな彼に、少し熱っぽいだけなので、休んでいれば大丈夫だと思うと告げる。そう伝えると、アドリアンは安堵した様子だった。

「そうか。マリアに無理はするなと伝えてくれ」

 運んでくれた薪をオーブンの隣に置くと、彼はそのまま帰ろうとした。

「あ、待ってください。マリアおばさんに頼まれているんです。スープとパンも用意してありますから」

 琴子は慌てて彼の前に立ち塞がる。

「だが、マリアがいないのなら早く店を閉めたほうがいい」

 年若い女性がひとりで店にいるのはあまりよくないと言われ、思わず溜息をつく。

「あの、わたしっていくつくらいに思われているんでしょうか」

 ここでアドリアンが食事をせずに帰ってしまったら、マリアはもうどんなに具合が悪くなっても任せてくれないだろう。そう思ったから、琴子はついに自分からその話題を口にした。

「さすがに十五歳未満ではないだろうから、十八歳くらいか?」

 やっぱりそうだったかと肩を落とす。だとしたら、彼の琴子に対する子ども扱いも不思議ではない。

「……若く見えて喜ぶべきかどうか、ちょっと微妙ですね」

「若く?」

「はい。実はわたし、二十三歳です」

「……」

「そんなにわかりやすく、嘘だろうみたいな顔をされると、ちょっと傷つきます」

「あ、すまない。十八と言ってみたが、実際はもっと年下だと思っていた」

 正直にそう答えるアドリアンを、琴子はやや強引に椅子に座らせる。

「だから全然大丈夫です。お酒を出しているお店でも働けるくらいの年齢ですので。マリアおばさんが気にしてしまうので、いつも通りにお願いします」

 そう言うと、アドリアンはまだ信じられないような顔をしていたが、それ以上逆らうことなくおとなしく席についている。

「今日はレーズンパンとじゃがいものスープです。どっちもマリアさんが作ってくれたものですから、どうぞ」

「ああ、ありがとう」

 戸惑いながらも、アドリアンは素直に食事を始めた。見られていては食べにくいだろうと、琴子は薪オーブンの支度を始める。

(それにしても、今日もパンとスープだけなのね。あえて夜は軽めにすませているとか? 他の食事はちゃんと食べているのかな)

 パンとスープだけでも、食事としては充分なのかもしれない。

でも食べ物が豊富な日本で育ち、料理が好きだった琴子としては、おせっかいだとわかっていても、気になって仕方がない。

(パンも小さめだし、スープもあまり具沢山なのは駄目みたい)

 たっぷりと具が入ったスープのときは、わざわざマリアが別にシンプルなスープを作っておくくらいだった。

(騎士なら、身体を動かすこともあるよね。だとしたら、摂取カロリー、足りていないんじゃないかなぁ)

 同じ職場の友人である里衣が、ダイエットだと言って、毎日低カロリーのスープばかりを飲んでいた時期があった。たしかに痩せたようだが、栄養バランスが悪くなり、風邪を引きやすくなったことを思い出す。

(食べる量は人によって違うから、男性だからたくさん食べるなんて偏見かもしれないけど。せめてタンパク質のおかずをもう一品)

 そう思いながら、声を掛けてみる。

「あの、他にも何か作りましょうか? マリアおばさんほどではないけど、わたしも料理は得意なので」

「いや、俺はこれで充分だ」

 断られるのは何となくわかっていた。でも、充分ではないのだ。それをわかってほしくて、思わず反論してしまった。

「充分じゃないですよ! 成人男性の平均的な摂取カロリーは二千五百キロカロリー程度です。でも騎士なら身体を使いますよね? だったら三千キロカロリーは取らないといけません。レーズンパンとじゃがいものポタージュなんて、合わせてもせいぜい四百キロカロリーしかないんです。でも、アドリアンさんが朝と昼で千三百キロカロリー取っているようには思えなくて」

 そこまで一気に話して、アドリアンが唖然としている様子が目に映る。我に返った琴子は、俯いて謝罪した。

「……すみません。急に訳の分からないことを言ってしまって」

 カロリーの概念は、きっとこの世界にはない。

それなのに、また暴走してしまった。

(どうしてわたしってこうなのかな……)

 ひとことで料理好きといっても、追及しているものは人それぞれで、見栄えやおいしさを求める者、究極の食材を追い求める者。そして未知の料理に挑む者など、さまざまなタイプがいる。

 琴子はどちらかというと未知の料理を求める質だが、それでも食事の目的は栄養摂取だと思っている。だからどうしても栄養バランスだとか、摂取カロリーのことを考えてしまうのだ。こんなことだから、里衣にもお母さんのようだと言われてしまうのかもしれない。

(どうしよう……)

 おせっかいをしすぎてしまった場合、相手の反応は余計なお世話だと怒るか、引いたような顔をされるか、そのどちらかだった。

それなのにアドリアンは戸惑った顔のままだったが、それでも琴子に謝罪してくれた。

「すまない。琴子の言っている言葉の意味が、理解できなかった」

 彼が謝る必要なんてないのだ。琴子は勢いよく頭を下げる。

「いえ、わたしが勝手に暴走してしまって。本当にすみません。忘れてください」

「理解はできなかったが、琴子が俺のことを心配してくれているのは伝わった。ありがとう」

 アドリアンはそう言って、優しく微笑んでくれた。

(イケメンすぎる! ここって実は異世界じゃなくて二次元なんじゃ……)

 際立った容貌で、高身長。責任感があり、時には厳しいが、穏やかで優しい性格。さらに騎士団長だ。異世界とはいえ、こんなに完璧な男性がいるなんて信じられない。これは誰だって惚れてしまうのではないだろうか。

「い、いえ。わたしのほうこそ、出すぎた真似をしてしまって、申し訳ありませんでした」

「いや、そんなことはない。俺はこれしか食べることができないが、いつか琴子の作る料理を食べてみたいと思うよ」

 恐縮する琴子にそう告げると、アドリアンは席を立った。

(アドリアンさん?)

一瞬だけ、彼の顔が悲しそうに見えて、琴子は目を瞠る。

でもアドリアンはいつものように、パンとスープだけには高すぎる金額を払って、店を出て行った。

それはマリアとふたりで決めたことらしいので、琴子は素直にそれを受け取る。

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