第15話 知らない世界・11

 それを察してきちんと挨拶をすると、マリアと同じくらいの年頃の店主は、不思議そうに首を傾げる。

「着替えも持たずに来たのかい?」

「それがね、うっかり居眠りをしてしまったらしくて、起きたら荷物がなくなっていたそうだよ」

 外国から拉致されてきたと街中で言うわけにはいかない。ふたりでそういうことにしようと決めていたことをマリアが告げると、服屋の店主は同情したように琴子を見つめた。

「それは災難だったね。うちの服は地味だから、あまり若い娘さんには合わないかもしれないけれど……」

「いえ、たくさん働きたいので、動きやすいのが一番ですから」

 ここまでしてくれるマリアのためにも、しっかりと働いて恩返ししよう。琴子はそう決意していた。

 それから身の回りの小道具や下着類まで買いそろえてもらい、恐縮しながら荷物を持つ。

「すみません、こんなに……。お金は必ず、働いてお返ししますから」

「気にしなくていいよ。琴子には、色々なことを教えてもらったからね。これからもよろしく頼むよ」

「はい、こちらこそ!」

 大きく頷く。

 そうしてふたりは買い出しから戻り、昼の営業に向けてランチの準備をする。

琴子はさっそく、買ってもらったばかりの衣服に着替えた。やはりマリアの言うように、ぴったりだと動きやすい。何よりも肩が露出しないので、店の中でショールを巻く必要がないのだ。古着を仕立て直しているそうだが、状態の良いものを使っているのか使用感などほとんどなく、着心地も悪くなかった。

「よし、今日も頑張ろう」

はりきって店内を掃除していると、宅配を頼んでいた品物がすぐに届けられた。届けてくれたのは、まだ幼さが残る若い青年だった。マリアはきちんとひとつずつ確認し、いつもありがとうと言って、朝食で残ったパンを渡す。彼は嬉しそうにそれを受け取った。そしてまたよろしく、と大声で言って走り去っていく。こうしていつも、残ったパンなどを上げているのだろう。

「さて、そろそろ料理を作り始めようかね」

 琴子が材料を厨房に運び込むと、エプロンをしたマリアがそう声をかけてきた。

「はい。がんばります」

 今日のスープは、とうもろこしで作るようだ。向こうの世界のものよりも色が濃く、かなり濃厚なスープが作れそうだった。スープを仕込み終わると、今度はパンを焼きはじめる。

その間に琴子は、大量の野菜を切ってサラダを作っていく。市場で買ってきた、ノーシャという野菜もたっぷり入っている。マリアに促されて試食してみると、見た目はセロリなのに、ほんのりと甘くてみずみずしい。

「あ、これおいしい」

 思わずそう口にする。

「ノーシャはサラダのほかにも、炒めてもおいしいよ」

 それからマリアに頼まれて、ランチにハムエッグを作ることにした。これは簡単だし焼き立てのほうがおいしいので、注文を受けてから焼くほうがいいだろう。

 それからクッキーをたくさん焼いた。

 今日のランチは、全粒粉のパンとかぼちゃのスープ。ノーシャのサラダに、ハムエッグ。さらにデザートとして、クッキーがつく。いつものランチに、ハムエッグとクッキーがついたことでボリュームもたっぷりで、男性でも満足できる。しかも安価なたまご料理なので、値段も抑えることができた。

 もちろん持ち帰り用のクッキーも販売する。もしお土産用に買ってくれたら、この店を訪れたことがない人にも新しいデザートの存在が広がるかもしれない。

 いつも流行っているというマリアの店は、今日も盛況だった。次々に入る注文に、琴子は手早くたまごを焼いていく。

「ハムエッグふたつ、できました!」

 冷めないうちに手早く盛り付け、マリアに手渡す。

「あと二つ、お願いね」

「はーい」

もともとの職場だった喫茶店も、昼時にはかなりの忙しさだった。だから忙しいことには慣れている。しかも担当している料理は、オムライスやハンバーグなどとは違い、手軽なハムエッグだ。

客席もあまり多くないので、最初のラッシュが終わってしまえば、あとは楽なものだった。

(うんうん。クッキーもかなり売れたわ。明日からは別のお菓子にしようかな)

 昼の営業が終わり、後片付けをしながら考える。

レシピサイトの仲間に、焼き菓子が得意な人がいた。その人が毎週のように投稿してくれたレシピで、琴子も色々と作ってみたのだ。そうしているうちに、今ではサイトを見なくてもある程度のものは作れるようになった。

(ああ、サイトが恋しいな。きっとたくさんのレシピが投稿されているわ。旅先でもチェックする予定だったのに)

 会う約束をしていた人にも、もう連絡が取れない。そう思うと寂しくなって、琴子は俯いた。

 でも恋しくなるのが家族でも仕事でもなく、レシピサイトだというのが自分らしい。

「琴子、お疲れ様。忙しくて大変だったね」

 背後から声を掛けられて、慌てて顔を上げる。

「いえ、大丈夫です。あれくらいなら慣れていますから」

「そうかい? 私は本当に助かったけど、無理はしないようにね」

「はい、大丈夫です」

 琴子としてはそう大変ではなかったが、それはマリアとふたりだったからだ。今まであれをひとりでこなしていたかと思うと、やはり彼女にとって手伝いは必要だったのだろう。

マリアは自分を必要としてくれている。

そう思うと、少しだけ寂しさが紛れた。

それからふたりで一緒に遅めの昼食を取り、料理の話で盛り上がった。たまご料理を増やしたいと言うと、マリアは喜んで賛同してくれた。明日は小さめのオムレツを作ってみるのもいいかもしれない。

午後からのメニューは、今朝買ってきた青い魚でスープ煮を作るようだ。

「琴子、魚は捌けるかい?」

「はい、一応。でもこの魚は初めて見ます」

 鯛に似た魚だが、独特の青色が少し不気味に感じる。マリアは琴子の前で、慣れた手つきで捌いていく。頭を落とし、そこから一気に青い皮を剥ぎ取った。すると中身は白身の魚だ。

「あっ、カワハギみたいな魚なんだ」

 それを見て、思わずそう呟く。

「カワハギ?」

「はい。向こうに、そんな魚があったんです。ああ、たしかにカワハギみたいな魚なら、煮てもおいしいかも」

 自分ではあまり魚料理は作らなかったが、釣り好きの夫がいる奥さんが、よくレシピサイトに魚料理を投稿してくれた。それを思い出す。

 紫色のじゃがいもの形をしたこの世界の野菜、リィンと一緒に煮込むらしい。その紫色が気になったが、煮ると色がかなり薄れ、白に近くなる。

(料理する前は青色の魚と紫のじゃがいもで、独特の色合いだったけど、できあがると、普通においしそう)

 この世界特有の食材だけで作った料理だけに、とても気になる。そわそわしていると、それを察してくれたのか、マリアが少し味見をさせてくれた。遠慮しつつも好奇心には勝てず、取り分けてくれた魚を食べてみる。

「あ、おいしい。白身魚だからもっと淡泊かなって思ったけど、思ったより濃厚なんですね」

「リィンが入っているからね」

 どうやらこの紫色のじゃがいもが、味の決め手らしい。

 夜の食事はこの魚のスープ煮とパン。琴子が作ったフライドポテトならぬフライドピーレ、そして昼にたくさん作っておいたとうもろこしのスープとサラダ。そしてデザートにクッキーだ。

 夜は昼間よりもまったりとした雰囲気だった。

どうしても酒が飲める店に、客が流れてしまうらしい。それでもマリアの料理が好きだという常連のお客さんが、ひっきりなしに来店してくれて、暇を持て余すようなことはなかった。

 それでも酒を出さないこの店の閉店は、他の店よりも早い。

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