第9話 知らない世界・5

(どうしよう。わたしがいなかったらお店に迷惑が……。あ、お店は閉店したんだった。アパート……は解約して、荷物も実家に送っているわ。鞄とかスマホとか、細かいものは置きっぱなしかもしれないけど、保証人はお兄ちゃんだし、きっとお兄ちゃんに渡してもらえる……)

 さらに大切なレシピサイトも、友人がしっかりと管理してくれているだろう。

 もともと料理の修行に出ようと思って、すべて片づけてきたのだ。連絡が取れなくて兄は心配するだろうが、旅行に出ることは言ってある。

(もしかして、それほど困ったことにはなっていない、とか)

 心配はともかく、迷惑をかけてしまう人がいないのは、不幸中の幸いだった。でも問題は、ここからどうやって帰ったらいいのかわからないことだ。

(さすがに何か月も連絡がなかったら、お兄ちゃんだって心配するよね。でも……)

 もしここが本当に違う世界だとしたら、琴子はどうやってここに迷い込んでしまったのだろう。

「どうかしたのかい?」

 地図を見つめたまま微動だにせず、深く考え込んでいる琴子にマリアが心配そうに声を掛けてくれた。

(どうしよう。こことは違う知らない世界から来た、なんて言ったら変に思われないかな?)

 戸惑いながらも、彼女には拉致されてしまったのかもしれないと言ってしまったので、心配をさせないためにもきちんと話したほうがいいと思う。

「知らない国ばかりだったので、ちょっと戸惑ってしまって」

 まず、そう切り出してみる。するとマリアは深刻そうな顔をした。

「それは、大陸の外から連れてこられたってことかい。そうだとしたら、困ったね。外の国とはほとんど交流もなくて、どんな国があるか、国のお偉いさんもすべてを把握していないようだよ。国に訴えても、帰ることができるかどうか……」

「そう、ですか……」

 もともと、このティーマ王国という国を頼っても、日本に帰ることができるとは思えなかった。それに、ほとんど知られていないという他の大陸の情報欲しさに、国に拘束されても困る。

(この大陸の外に日本があるとも思えないし……)

 もしここが普通に、車やテレビなどのある現代社会なら、その可能性に賭けてみることもできた。

でも、あまりにも世界が違いすぎる。

「お金も住む場所も何もないから、まずは働き口でも探して、ひとりで何とか帰る方法を探ってみます。色々とありがとうございました」

 誰も知る者のいない、見知らぬ場所だ。大変かもしれないが、それでも生きている以上、暮らしていくしかない。

「スープもパンも、とてもおいしかったです。ありがとうございました。お礼に、何でもお手伝いします」

 だがその前に、食事のお礼にこの店を手伝わなければ。そう言うと、マリアは少し考え込むような顔をした。

「ねえ、琴子。あなたさえよかったら、この店を手伝ってくれない?」

「え?」

「聞いたところ、料理も得意そうだし。部屋も、ここの二階に空き部屋があるのよ。そこに住めばいいじゃない」

「え、でも……」

 正直、有り難い申し出だった。

 これから仕事を探すにしても、どんな仕事があるかわからないし、住む場所もない。さらにお金もまったくない。生活できるようになるか、野垂れ死にするのが先かというような、ギリギリの状況だ。

「でも、そこまでしていただくわけには……」

 好きな料理を仕事にすることができる。しかも、外装も好みの可愛いお店。さらに住む場所まで提供してくれるという。とても魅力的だが、さすがにそこまでお世話になっていいものか迷う。

「さっきも言ったように、最近ひとりでやるにはちょっと忙しくてね。今日みたいに昼と夜の営業の合間に買い物に行くのも大変だし、手伝ってくれたら本当に助かるんだけどね」

 だが、穏やかな声で少し困ったように言われてしまえば、断るほうが申し訳なく思える。

 それに、とマリアは、琴子にとって決定的な言葉を言った。

「琴子が言っていた、異国の料理にとても興味があるんだよ。是非、作ってみてくれないかい?」

 ああ、この人もわたしと同じ、無類の料理好きだ。

 見たことのない食材、食べたことのない料理の話を聞くと、多少問題があっても気にならなくなってしまう人だ。

そう思った琴子は、もちろんと大きく頷いていた。

「実はわたしも、この世界の料理に興味があって。知らない食材とか、たくさんありそうでわくわくしていたんです。あの、野菜。さっき運んできた野菜を見せてもらっていいですか?」

「もちろんだよ。琴子のいた国との違いを教えておくれ」

 それからは野菜を片手に、作り方やレシピを教え合い、気が付けば料理を作り合って、試食会をしていた。

「おいしい。何ですかこれは。バターが合う。合い過ぎる。ピーレなんて野菜、聞いたことがないです。長いもとじゃがいもを混ぜたような味ですね。ほっこりするけど、しゃくっとした食感だわ。長いも特有の粘りはほとんどないから、色々な料理に合いそう」

 しゃくしゃくと、じゃがバターをさらに食感よくしたようなものを食べながら、琴子は思案する。

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