第3話 料理にしか興味のなかった日々・3

 まだ衝撃から回復しないながらも、琴子は慌てて両手を振り、それを否定する。

いくら料理が作れても、それだけではだめだ。店を運営していくのはとても大変なこと。まだあまり人生経験を積んでいない自分では、きっとうまくいかない。料理だって作るのは好きだが、有名店などで本格的に学んだわけでもない。

 琴子がそう言うと、店主は少しだけほっとしたような顔をしていた。

 そして明日から閉店のお知らせを店頭に貼り、一か月後には閉店すると言う。

奥さんのためならば、仕方がない。

琴子も里衣も、それを承知するしかなかった。


「……びっくりしたね」

 ロッカールームで着替えをしながら、琴子はぽつりとそう呟く。

 思えば毎日、メニューやデザートを考えるのはとても楽しかった。店主も任せてくれたし、作った料理をおいしいと言ってもらえてしあわせだったと、しみじみと思う。

「ことちゃんなら自分のお店、持てると思うけどなぁ」

「……いつかは、っていう夢はあるけど、今は難しいと思う。料理のことだけ考えていれば楽しいけど、経費とか、人件費とか、電気とかガスの代金、それと家賃。そこまで考えて料理を作るのは、わたしにはちょっと無理かなぁ」

 数字にもあまり強くないし、自分だったら少しくらい高くても良い材料で作りたいと思う。それでは無理だ。

「そっかぁ。でもことちゃんの料理おいしいから、食べられなくなったらみんな、残念がると思うよ」

「ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいよ」

 でも、これからどうしよう。

 そう呟いて、考えてみる。

 喫茶店の求人もあるかもしれないが、大抵は募集しているのは接客担当だ。個人で経営している店は、ほとんど店主やその妻が料理をしているだろうし、大型のチェーン店ではメニューは最初から決まっている。

 そう思うと、好きに料理を作らせてくれていた今の店は、本当に働きやすかった。

「とりあえず、今から就職活動しなくちゃね。りぃちゃんはどうする?」

 何気なくそう問いかけると、彼女は珍しく、少し困ったような顔をして笑った。

「実は、半年後には辞めようと思っていたのよ」

 思ってもみなかった言葉に、思わず声を上げていた。

「そうなの?」

「うん。ことちゃんには、そのうち言おうと思っていたんだけど、わたし、結婚するんだ」

「えっ、そうなんだ。おめでとう!」

 彼氏がいることは知っていたが、そこまで話が進んでいたとは思わなかった。驚きながらも祝福の言葉を口にする。

「ありがとう。だから予定よりかなり早いけど、結婚の準備期間をもらったと思えばいいかなぁ」

 嬉しそうな彼女に、少しだけ置いて行かれたような寂しさを覚える。でもそれを隠して、笑顔で頷く。

「そうだね。一生に一度のことだもん。準備に時間をかけるのはいいことだと思う」

「うん、そうよね。結婚式、ことちゃんも来てね」

「もちろん!」

 明るい笑顔で手を振る里衣と店の前で別れ、琴子はひとりで家路につく。

(あの店で働けるのも、あと一か月かぁ……)

 仕事は忙しかったが、楽しかっただけに寂しさがあった。

失業するのは里衣も同じだと思っていたが、彼女はもともと結婚のために辞めるつもりだったのだ。

(わたしは、どうしようかな……)

 悩みながらもスーパーに寄り、切り干し大根を買うことは忘れなかった。家に戻り、さっそくレシピサイトで見た料理を作ってみる。

「うん、おいしい。これはいいね」

 じっくりと時間をかけて感想を書き込む。他にも何人か同じレシピで作った人がいたらしく、書き終える頃にはコメントも増えていた。

(うんうん、最近は利用者も増えてきて、いいことだ)

 でも知らない相手もだんだん増えてきた。

誰でも投稿できるサイトで、利用する人が増えるほど、レシピも増えていく。それはとても嬉しいことだが、ふと昔の知り合いだけで成り立っていた世界も楽しかったと思い出す。

(ああ、駄目だなぁ。今日はもうさっさと寝てしまおっと)

 昔のほうがよかったと思うのは、大抵疲れているときだ。琴子はさっさと後片付けをすると、お風呂はパスしてシャワーですませ、早々にベッドに潜り込む。

 これからどうするか。

 琴子はベッドに横になったまま、色々な可能性を考えてみた。

 自分の店を持つという選択肢は、今のところない。料理を作るのは好きだが、経営には向いていないと自分でもわかっている。

 今さら実家に戻ることもできない。

東北にある実家には、去年から兄夫婦が同居している。両親もまだ現役で働いているが、そろそろ兄夫婦にも子どもができるかもしれない。兄嫁は穏やかで優しい人だが、さすがに妹まで同居したら色々と大変だ。

(いっそ修行に出るとか? もっと色々なレシピを知りたいし、まだ見たことのない食材はたくさんあるし)

 ふと、そんなことを思いつく。

今まであまり贅沢もせずに真面目に働いてきた。きっと一年くらいなら、働かないで暮らせるかもしれない。

 海外も行ってみたいが、さすがに予算的にきつい。まず日本中を巡って、色々な料理を食べてみるのもいいかもしれない。

「うん、それいいかも!」

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