第14話

「マスター、ローグレンの事なのだが」


 道具屋で用事を済ませて、さあこの街を後にしようと言う所で、イグニスが僕にそう聞いて来た。

 彼女が僕以外に興味を持つのは珍しいが、彼だけは別格と言う事なんだろう。


「何だい、イグニス。彼がどうかしたのかい?」

「うむ、少し気になる事が合ってだな」

「気になる事?」

「うむ、嫌な予感と言ってもいいかもしれない。

 マスター予定を変更し、少しこの街に留まってみてはどうだろうか?」


 珍しい事は重なるもの、彼女が僕の立てたスケジュールに異議を唱えるなんて、めったにない事だ。


「いいよ、イグニスがそう言うなら、3日ルールを適応しようか」

「済まない、マスター」

「いいよ、いいよ。僕とイグニスの間じゃないか。それにここで過ごす3日間と言うもの、中々に勉強になるかもしれない。まぁ大半が反面教師としての講義だろうけどね」


 そうと決まれば宿屋探し。そう言う訳で、僕たちはとある場所を聞き出すために、道具屋に舞い戻った。





「……おい、正気か? テメェ?」

「あはははは。まぁまぁ旅の恥は掻き捨てってね」

「旅暮らしのテメェが言うと、重みが違うセリフだな? おい」


 道具屋の店主にアリシアが何処でお世話になっているのか聞き出した僕は、彼女を食客にしてるトライスターの幹部の家で、彼女が帰るのを待ち構えていた。


「いやいや、君の知り合いだって言うと、ルサットさんも歓迎してくれてね。3日間だけお世話になる事にしたんだよ」


 僕はニコニコと笑って彼女に手を差し出す、パンと乾いた音がして、その手は叩き落とされた。


「ふざけんな、とっとと出て行けって言っただろうが!」

「まぁまぁアリシア殿。折角の旧友とのご再会。そう邪険にするものではありませんぞ」

「黙れ、ルサット。こいつが此処に居座るってんなら、俺たちが出ていく」


 アリシアはそう言うと、僕を睨みつける。ところが、そのセリフに一番慌てたのはルサットさんだ。


「どういう事ですかな? 貴君とアリシア殿は、深い絆で結ばれた盟友とのことでしたが?」

「ええ、嘘は言っていませんよ」


 僕は笑顔でそう答える。僕とアリシア、イグニスとローグレンは深い絆で結ばれた盟友ライバルだ。そこにうそ偽りは何一つ存在しない。

 もっとも、僕自身は純粋に友達だって思っているんだけど。


「お客人、そう言った事ならば、先ほどの申し出はなかった事にして頂きたい」

「おやおや、残念ですね」


 僕は肩をすくめてそう答える。


「どうなったのだ、マスター」

「うーん、やっぱり案内なしの飛び込みはちょっと具合が悪いってさ。先方も色々と用意が必要だろうしね」

「そうなのか、マスター」


 そうらしい、やはりマフィアさんだと。慈愛の剣イグニスよりも、強欲の剣ローグレンの方を好むらしい。


「そう言う訳でアリシア、僕たちは他所に行くから、安心してよ」

「だーかーらー、俺は、今すぐ、この街から、出て行けって言ってんだよ」

「えー、でも。僕たちには3日ルールってものが有ってね。訪れた街は何処であろうと最低3日はそこで暮らす決まりがあるんだよ」

「んなこた、俺が知った事か! 出て行かねぇなら実力で排除するぞ!」


 アリシアはそう言ってローグレンの胸に手を当てる。あっこれマジだ、ヤバイ。


「分かった! 分かったからその手を下ろしてアリシア!」


 降参降参。ここで僕たちが戦おうものなら、この屋敷どころか、この街自体が灰になってしまう。


「ごめんね、イグニス。予定変更の変更の変更だ。やっぱり直ぐにこの街を後にしよう」

「……了解だ、マスター」


 うわ、不満たらたらだ。イグニスはローグレンを睨みつけながらそう言った。


「ふん、貴様が何を企んでいるのかは知らぬが、余計なお世話だ」


 イグニスの眼光などそよ風の如く受け流し、ローグレンはそう言いきった。


「しょうがない、行くよ、イグニス」


 僕たちは後ろ髪を引かれながらルサットさんの家を後にする。ああ勿体無い。マフィアさんの家だったら大層豪勢な食事にありつけたと言うのに。





「……おい、ローグレン。奴らの狙いは何だと思う?」

「さてな、わが主。俺にはイグニスの考えなぞ分からんよ」


 ルサットからあてがわれた、この屋敷で一番豪華な客室にて、アイリスはベットに寝ころびつつそう言った。


「単なる思い付きや嫌がらせ。その可能性は大いにあるが、何か嫌な予感もしてきやがる」


 アイリスは、天井を睨みつけながらそう呟く。脳裏に浮かぶのはあの甘ちゃんのにやけ顔。何時もへらへらとした笑顔を浮かべ、するするとこっちの懐に潜り込んでくるいけ好かない奴の顔だ。


『僕たちは平和な世界を求めて旅をする』


 気持ち悪い、虫唾が走る、反吐が出る。何よりも気持ち悪いのは、奴自身そんなものが有る訳ないって理解している事だ。奴があのセリフを吐くときは、何時にもまして機械みたいに感情の無い目をしてやがる。

 誰も犠牲としない平和な世界、そんなものはこの世界に在る訳がない。世は全て弱肉強食、それはこの世界の単純にして根幹のルールだ。奴はそれを重々承知の上で、いけしゃあしゃあとあのセリフを吐く。

 誰も犠牲としない平和な世界、そんなものは弱者の言い訳だ、自らの力で得物を狩れない臆病者たちのお題目だ。

 奴は、俺と同じく全てを奪える最強の力を有しておきながら、そんなおままごとを唱えやがる。


「この街は奴の様な人間が来るような街じゃねぇんだよ」


 そう、この街には自分の様な人間にこそ似合う街だ。


 自分は幼き頃、親に二束三文で娼館に売り払われ、下女としてそこでこき使わされて来た。

 そこから逃げ出したのは客を取らされるようになる少し前だ。別に誰とも知らない男に、処女を散らされるのが嫌なんて、少女趣味な理由で逃げ出したんじゃない。只々いけ好かない、支配人の顔を潰してやるために逃げ出してやった、それだけだ。


 だが、逃げ出してからが本番だった。生きる術を知らない小娘が1人路上で生きていくのは並大抵な事では無かった。盗み脅し、美人局。生き抜くためには何でもやった。


 そんな中でついに追い詰められる日がやって来た。娼館の手先に、居場所がばれたのだ。

 ドブ水の中を進み、糞尿の中に隠れて過ごし、ようやく追手を撒いた先は、小さく細い彼女だからこそ潜り込めた、とある名も知らぬ洞窟の中だった。


『ここまで、くれば、大丈夫か』


 アイリスは消耗しきった体でそう呟いた。


『全く、小娘、1人に、大した、事だ』


 追手は何とか撒けたものの。このままではそう遠くないうちに死が訪れるだろう。そんな予感は、冷たくなっていく手足からひしひしと感じ取れた。


『此処で、終わりか』


 彼女は独りそう呟く。そう呟いて、残り少ない体力をかき集めるよう拳を握りしめた。


『嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 俺は! 俺は生きるんだ!』


 自分はまだ何もなしちゃいない、何一つなしえてない。生きたい、生きたいと言う心からの叫びだった。

 アイリスはかすれた声でそう叫ぶ。それは命の灯火が最後に輝く紅蓮の炎。残り僅かな命のかけらを拾い集めた、絶望への叫び。


 だが、現実は残酷である。


『今何か、声が聞こえなかったか?』


 アイリスの掠れた耳にそんな声が響いて来た。


(くそっ、まだ、諦めて、無かったのか)


 アイリスは遠くなる意識の中で、怒りの炎を燃やす。


(俺の命は、俺のものだ、貴様らなんかに、好きにさせてやるか!)


 アイリスは指一本すら動かせないその体で、洞窟の出口を睨みつける。

 だが、彼女は諦めない。何一つさえ出来ない体であっても。例えこの先どんな地獄が待ち受けていようとも。彼女は生きる事を諦めなかった。


 そして、その想いは、確かに届いた。


『問おう、貴様は何を望む』


 薄暗闇の洞窟に、さっきまでは存在しなかった影があった。

 始めは幻覚かと思った、いや、幻覚でも何でもよかった。奪われるだけの人生だった、望みを聞かれた事など一度も無かった。


『……たい』

『……たい』

『生き……たい』

『了解した。

 それは無垢なる望み、原初の欲望、真なる渇望

 我が刃は主の為に、我が力は万難を払い、主の願いを叶えよう』


 誰も知らない洞窟の中、一つの契約が結ばれたのだった。

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