第15話

 ローグレンと契約した俺は、追手の雑魚どもを切り捨てた。それが、俺の初めての殺人だった。


 あれから幾つの夜を超えて来ただろう。俺は俺の思うが儘に生きて来た。だが、その本質はあの洞窟で死に掛けていた時と変わっちゃいない。いやその前の路上暮らしの時から何一つ変わっちゃいない。

 俺は何もなしえちゃいない。ちっぽけなガキのままだ。


「この街は居心地が良いな、わが主よ」

「へっ、まぁな。ここほど俺たち向きの街もありはしねぇだろうよ」


 ここは欲望の街。力が全てのシンプルな理想郷だ。

 そう、あの甘ちゃんが居て良いような街じゃねぇ。


「この街は欲望に溢れている。欲望こそが我が力の源だ」

「へっ、んなこた知ってるよ。俺もこの街に来てから何だか絶好調だ、お前とのラインもビンビンに感じやが――」


 プツリ、とその繋がりが途絶える。

 カランと言う音がして、先ほどまで部屋の片隅に立っていたローグレンがただの剣に戻り、床に転がった。


「なっ!?」


 その感覚の喪失にアイリスはベッドから飛び起きる。


 そして――


 バンとけたたましい音がして、客間のドアが開け放たれた。





「どうだろう、イグニス?」

「ふむ、何か嫌な予感がするぞ、マスター」

「奇遇だね、僕もだよ」


 僕たちは、ルサットさんの屋敷が見渡せる街路樹の中に、ひっそりと隠れ監視していた。

 アリシアが出ていくと言った時の、ルサットさんの過剰な反応が気になっていたのだ。


「中で何が起きてるか分からない?」

「不明だ、マスター」


 そりゃそうだ、イグニスはただの剣。そんなに便利な機能は備えちゃいない。こうして人型になって話せること自体が破格の事なのだ。


「じゃあ、実際にお邪魔してみる意外にないって事か」

「そうだな、マスター」


 イグニスに抱っこしてもらい、高い高ーい杉の木から飛び降りて、そしてそのまま一直線にルサットさんの家へと突き進む。


「アリシアと顔を合わせたら、なんて言い訳しようかイグニス!」

「知らん、マスターに任せる」


 アリシアの顔も三度ぐらいあるだろう。何か忘れ物をしたことにしよう。





「テメェ! ローグレンに何しやがった!」

「はっ、黙れ小娘。おままごとの時間は終わりって事だ」


 複雑怪奇に魔法陣が刻み込まれた地下室に、アリシア、ルサットたち、そして、一振りの黒剣が存在していた。


 アリシアは、椅子に縛られ拘束され、部屋の隅に放り棄てられている。

 部屋の中央には異形の祭壇が設置されており、その中心には、鎖で雁字搦めにされた魔剣ローグレンの姿があった。


「ルサット様。無事成功に終わりましたな」

「ああ、諸君らには報酬を弾まないとな」


 ルサットはそう言って上機嫌にほほ笑んだ。黒き魔剣ローグレン、人の欲望の化身であるその魔剣を入手できたとなれば、次代の当主は彼の物だ。それだけの説得力をその漆黒の刀身は宿していた。


 ルサットが、ローグレンの居場所を掴んでから、彼は今回の計画を思いついた。黒き魔剣は小娘なぞには勿体ない。アレは自分の様な高貴な人物が所持すべきものだと。


 彼は急ピッチで計画を練り上げ、そして実行した。小娘を自宅に誘い込み、そこでローグレンを奪取することを。


 自宅の地下室を改造し、小娘たちに気が付かれないように、ゆっくりとだが確実に、小娘と魔剣のリンクを断ち切る。

 その為には、出来るだけ長い間、一定の場所に居てもらわなければならなかった。その為に、どこぞの馬の骨とも知らない小娘に、おべっかを使い逗留させた。


 だが、終わり良ければ総て良し。こうして魔剣は正当なる持ち主の元へ。

 この魔剣は欲望の化身。ならば自分の行いも彼の意に沿ったものだろう。


「それで、この封印は何時とけるのだ?」


 ルサットは、鎖に縛り付けられた魔剣にそっと指を添わせる。


「……伝説では、その魔剣はそれが見込んだ持ち主の元に現れると言われます」


 ローブを被った魔術師は、ルサットの問いにそう答える。


「ふむ……おい小娘」

「がふっ!」


 ルサットは、床に転がるアイリスの腹を蹴りながらそう問いかける。


「貴様は、どうやってこの魔剣と契約した」

「へっ、んな事言う訳ねぇだろ」


 鈍い音がもう一度。椅子に縛り付けられたアイリスは身動き取れずそれを受け入れた。


「この小娘を殺してしまえば、いいんじゃないのか?」

「……分かりかねます。そうすることで、この魔剣は消え去ってしまうかもしれません」

「ふむ……面倒だな」


 今回の計画は急ごしらえの物の為、細部の詰めが甘い事は彼自身承知していた。だが、都市伝説の様な魔剣が彼の手の届く範囲に現れたのだ、その賭けに出る価値は十分にあった。


「まぁ、それはじっくりと調べればいい。ともかく魔剣はここにあるのだ」


 最後にもう一度、ルサットはアリシアに蹴りを入れた後、「その小娘を決して魔剣に近づけるな」と命令し、地下室を後にした。





(……畜生)


 ローグレンが封じられたのとは別の場所に、目隠しと猿轡を噛まされたアイリスは転がされていた。


(手足一本動かせないのはあの時と同じだな)


 彼女は、暗闇の中そう思う。だが、あの時と違うのは希望が見えないと言う事だ。


(いや、あの時だってそんなもんは存在しなかった)


 彼女が魔剣と契約できたのはただの偶然。それ以上の言葉は存在しない。

 彼女は今後に待ち受ける運命を思い、怒りに体を震わせる。

 おそらくルサットはあらゆる手段を用い、自分からローグレンを奪い取るだろう。いや、物理的には既に奪い取られている。残りは契約を移動させることだけだ。


(まぁ俺だって、なんで契約できたかなんて知らねーがな)


 彼女とローグレンが契約できたのはただの偶然。だから、どうやれば契約を移動できるかなんて彼女の知った事ではない。


(そう言った所で信じちゃくれねぇだろうし。出来たら出来たで、お役御免で俺は土の下だ)


 まさに今の自分の状態は、その身の通り八方塞がり、手も足も出ないとはこの事だった。





 コンコンと僕たちは再度ルサットさんのお家をノックする。


「あっ? 何だテメェ……なんだ、さっきの客人か、何の用だ」

「あー、ちょっと忘れ物をしちゃいまして」


 愛想笑い120%、いつもより多めに笑顔を浮かべ、僕は門番さんと交渉を重ねる。

 押し問答する事暫く、何も知らないであろう下っ端さんは、ちょっとまってろと言って奥に引き下がった。


「……なぜ押入らないのだ? マスター」

「嫌だねぇイグニス。もっと平和志向で行こうよ」


 僕は、平和を求める慈愛の剣らしくないそのもの言いに、苦笑いでそう応じた。


「所で、イグニス。ローグレンさんがどうなってるとか分からないの?」

「残念ながら、我々はそんなに都合のいい存在ではない。私に分かるのはこの目で見える事だけだ」


 まぁそれはそうだ、千里眼なんて便利なものが有ったら、この旅自体の意味がなくなってしまう。

 今の僕たちの目に見えるのは、硬い鉄扉に閉ざされたルサットさんの邸宅のみ。門の向うの、そのまた向う。玄関のドアの向うの事なんて分かりっこなんてありはしない。


 僕たちが内輪話に花を咲かせていると、さっきの門番さんが戻って来た。


「ボスが許可を出した、入っていいぞ」

「やあやあどうもありがとうございます」


 こうして僕たちは、再度ルサットさんの家に侵入したのだった。

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