#16 デモンズチェインのレオ②

「どういうことなんだ」


 俺は雑多に置かれた異世界の品々にとぼとぼと近寄って、自分の見解が何一つとして間違っていないことを確かめて、それから軋むような声で尋ねた。

 けれど実のところ、どういうことかは嫌になるくらいにわかってた。異世界を食い潰すカノプスの組織と、今ここにある異世界の品々。アイリスの言葉。それらを頭の中で繋げるなんてのはバカでもできる。


「わたしたちを見るなり逃げた理由がわかったわ。どれも捜査局に申告がなかった商品ね」


 聞こえなかったのか、アイリスはレオナルドを冷たく非難した。まるで俺のイヤな想像が前提であるみたいな言い方で。


「商売するたびにいちいちあんたらのご機嫌を伺ってちゃ、こっちも食っていけないんでな」


 レオナルドはレオナルドで、ふてぶてしく開き直って吐き捨てる。俺が認めたくない事実を否定すらせず。

 どいつもこいつも、ふざけんな。


「どういうことか説明してくれ!」


 俺は思わず怒鳴ってアイリスに詰め寄った。そうしたところで目の前の現実が変わるはずもないのに、駄々をこねる子供みたいに騒がずにはいられなかった。

 アイリスはそんな俺をまっすぐに見つめ返して、


「捜査局は以前から、こうした違法な密輸品を密かに買い戻しては元の世界に還元してきた」


 違法。密輸品。動かしがたい現実がまた積み上がって、俺の背中を重くする。


「内偵捜査みたいなもの。基本的にはわたしたちにしても完全な払い損だけどね」


 まあ、そうだろうな。カノプスが異世界から異世界へと流している商品が幾つあるかは知らないが、それをひとつひとつ買い戻していたらどんな金持ちだって破綻するだろう。


「けど、それは捜査の一環でもあるの。こちらが愚かな客を演じ続ければ、密輸品を流すバイヤーは必ずコンタクトをとってくるから。そこに引っかかったのがこの男だった、というわけ」


 なるほどな、と理性が納得するとともに、胸の奥にしまい込んだ大切な何かにヒビが入った気がした。


「……つまり。カノプスが異世界から巻き上げた商品を売りさばいてるのが、レオナルドさんだってのか」


 アイリスは頷く。レオナルドはうなずかない。その代わりに、首を横にも振ってくれない。ただソファに深く腰を下ろしながら、じっと天井だけを見ている。

 いや。いやいや。いやいやいやいや。


「……違うでしょ?」


 ぎゅっと締まり続ける喉からなんとかその言葉をしぼり出した俺に、アイリスどころか、レオナルドまでもが冷めた目を向ける。


「あなたは……」


 いいかげん俺にも呆れたんだろう、長く溜息を吐くアイリスだけど、俺は諦め悪く反駁する。


「いや、だって……このひとは、世界を救ったんだぞ」


 なあ、何回も言うけどさ。風使いのレオはレジェンドなんだよ。俺たちのヒーローなんだよ。

 彼に救われたのは世界やそこに住まう人々だけじゃない。物語を通した反対側にいた人間だって山ほど救われたんだ。ネットの伝聞だから嘘かホントかはわからないけど、あの作品がきっかけで漫画家目指して今じゃ大人気作家って人もいる。自殺をやめて生きる気力が戻ったって人もいる。

 俺だってその一人だ。何もない無味乾燥な日常の中で、レオナルドのような主人公たちの物語だけが俺の希望だった。俺はずっと、彼のような奴が本当にいたらいいのにって思ってた。


 だから、するはずがないんだよ。レオナルドが、カノプスの手伝いなんて。


 アイリスは感情の読み取れない真顔で俺を見ていた。俺も彼女をまっすぐに見つめ返した。どれだけ突きつけられても、これだけは譲れなかった。譲りたくなかった。

 突然、胸倉を掴まれた。見ればアイリスの白い手が、俺の襟元を強く締め上げている。


「――わたしはあなたの好きな物語を知らないし、あまり興味も持てない」


 クールな言葉とはまるで逆の真摯な目だった。訴えかけてくるような。聞き分けの悪い子供を優しく諭すような。


「だから、事実だけを言うわ。あなたが愛する物語は、もう……とうの昔に終わったことでしかないの」


 その言葉を受けて、俺の中の何かが壊れた。決して生きていくために必要とは言えなくて、だけどそれでも大切に握りしめていたはずの何かがが、あっけなく砕けた。


「……おまえら、もう帰れ」


 そして、俺がようやく現実を受け入れたとき。レオナルドの枯れた声が虚ろな部屋に響いた。いつの間にか日は傾いて、オレンジに染まりかけた光が窓から床に落ちている。


「そうはいかない。この密輸品をそのまま置いてはおけないし、そもそもまだ本題にすら――」


「帰れって言ってんだよ!」


 言いかけたアイリスを、突如放たれたレオナルドの怒声が打った。


「……本題。本題か。レプリカ作戦。カノプスを捕まえる。そんなことが本当にできると思ってるのか?」


 激昂、という言葉が脳裏をよぎる。すっくと立ち上がったレオナルドは憤懣やるかたないといった表情でアイリスを睨みつけ、アイリスもそれを真っ向から受けて立つ。


「そのためにベストを尽くしてる」


「この甘ったれがそのベストか? ちゃんちゃらおかしいぜ」


 睨み合ったまま、レオナルドは俺を指さして嘲った。


「どっかの誰かが勝手に語った絵空事を、未だに俺に押しつけるクソガキが、か」


 怒りに肩をふるわせるレオナルドの姿に、ふといつかの自分が重なった。

 そうだ、捜査局のカフェテリアでの一悶着。俺だってあのとき、俺がレプリカ作戦に協力して当然みたいに語るアイリスに怒ったんじゃないか。

 あの時、俺は自分を勝手に決めつけられるのがイヤでたまらなかった。自分の人生を取り戻して当然、カノプスの逮捕に協力して当然。そんな風に、正しい自分を押し付けられるのが苦しかった。

 きっと、レオナルドの怒りも同じなんじゃないか。現在のレオナルドがどんな風に変わってしまったのかはわからないけど、変わったレオナルドにかつてのレオを押し付けるのは……今の彼自身を全否定するも同然だったんだ。

 そうだ。考えてみれば、これはとても当たり前の話で。

 相手がかつて物語の主人公だったからって、一度世界を救ったからって。『今』の彼らに永劫変わらない幻想ゆめを押し付け続けるのは、そんなのは。


 物語を読む側の、ただの身勝手にすぎないんだ。


「ごめん――」


 たまらず頭を下げて謝った。だけど後半三文字を続ける前に、妙なことに気がつく。レオナルドが俺に向けたその指が、やけに大きく揺れているのだ。上に行ったり下に行ったりで安定しない。まるで出来の悪いメトロノームみたいだ。

 手先の制御が利かないくらいに強く怒っているのかとも思ったが、妙な部分はそこだけじゃない。レオナルドの息は妙に荒いし、見開いた目もどろりと濁って見える。顔色だって、さっきまではこんなに青白くなかったはずだ。

 何かがおかしい。不安になってアイリスに視線で問いかけると、彼女も俺を見て小さくうなずく。やっぱりこの状態は普通じゃない。どういうことかと訝っていると、レオナルドの体がひときわ大きく揺れて――そのまま床に崩れ落ちた。


「ちょっ、大丈夫!?」


 思わず駆け寄って呼びかけてみると、横たわるレオナルドからは「おー」とか「うー」とかいう声が返ってきたが、果たしてそれが返事なのかどうかは怪しい。何しろ体はすっかり脱力していて、目の焦点も合ってない。意識さえあるのかどうか。

 アイリスは素早くかがみ込み、レオナルドの手首を取って脈を診た。まさか死んでるとか言わないだろうな。いや、息はしてるから大丈夫なのか?


「脈は正常。けど、どう考えても普通の状態じゃないわね。何かの発作かしら……」


 その診断にとりあえずは胸をなで下ろすけれど、発作ってつまり危険だってことだよな。そう考えると急に緊張してきて、途端に思考がホワイトアウトする。


「どどどどどうしよう! こういう時ってあれだよな。とりあえず寝かせて、頭に濡れタオルとか……」


 古今東西の物語でよく見る処置ではあるけど、あれって実際効果あるんだろうか。アイリスは完全に取り乱した俺をなんとも言えない表情で眺めていたが、その顔が急にシリアスになる。


「……まさか」


 意味深に呟いて、アイリスはすっくと立ち上がる。そんでまたさっきの密輸品コーナーへ歩いていって、病人と俺とをほっといてどったんばったんと家捜しを始めやがった。結局、俺はどうすればいいんだ?


「捜し物がある。あなたはとりあえず、お決まりの濡れタオルでも用意しておいて」


 そうやってはぐらかされると逆に気になってしまうのだが、「しておいて」と言われればそうするしかない。俺はレオナルドをなんとかソファの上に寝かせて、台所へ向かって水を探し始めた。

 この世界の文明レベルは中世から産業革命あたりだったはずだから、上水道や冷蔵庫といった文明の利器は存在しないだろう。基本的には水は井戸や川から汲んで貯めておくしかないし、生鮮食品はさっさと食べないと悪くなる。

 幸運なことにシンクのそばには水がたっぷり入った樽状のタンクがあって、そこから木製の蛇口が伸びていた。比較的わかりやすいタイプでよかった。

 適当な布巾をその辺から取って濡らしていると、視界の端にどこかで見たことのあるブルーがちらついた。

 見れば、床板の一部が落とし戸になっていて、少し周りからズレている。秘密の隠し場所でも作ったんだろうか。見覚えのある青はその隙間から覗いていた。

 いけないことだとは思いつつも、ズレた床板を少しだけ動かしてみる。弁解するが、あくまでほんの数センチだ。俺は何かを盗もうとしたわけじゃなく、ただ青い既視感の正体を確かめたかっただけなんだから。

 果たして、床下にしまわれていたのはこれまた奇妙なブツだった。青い液体を充填した、透明なビニールのパック。病院で点滴に繋ぐ薬剤のパックによく似ている。

 ひとつ取り上げてまじまじと眺めてみる。デモンズチェインの世界観にこんな地球の現代文明っぽい医療品はそぐわないから、これもレオナルドが扱う密輸品の一部ってことなんだろうか。


「でも、なんか見覚えがある気もするな……」


 さっきから思っちゃいたが、どこかで見たことがあるような気がする。それもつい最近だ。何かの物語のアイテムかとも思うが、それにしては既視感の度合いが強い。つい最近、俺自身が見たんだ。どこかでこれとよく似たものを。画面や紙面を通してじゃなく、まさにこの目で実物を。

 なんだっけなあ。喉元あたりまで出かかってるんだけど。レオナルドに濡れ布巾を届ける役目をそっちのけにして唸っていると、背後からぬっと手が伸びてきて、謎の液体パックを俺の手から奪い去った。

 振り向くと、そこには幽鬼のようなたたずまいのレオナルドが立っていた。回復したのだろうか? だけど顔色は未だに青白く、呼吸も浅く不規則だ。足取りは今にも転びそうなくらいふらついているし、どう考えたって不安定なままだ。

 レオナルドは倒れるように床へ腰を下ろして、右手に持った注射器でもってパックから青い液体を吸い上げる。それから、左腕の浮き上がった血管に注射した――んだと、思う。

 白状すれば、俺は注射針が視界に登場した時点でもう顔を背けていた。注射なんて自分がされるだけでも充分イヤなんだ。人の肌に針が刺さるシーンなんてなおさら見ちゃいられない。

 それに、もう見届けるまでもないんだ。既視感の正体は見つかっていた。急に気が荒くなって発作のように倒れたレオナルド、どこかで目にした青い液体。血管への注射。視界の外で徐々に落ち着いていくレオナルドの呼吸。


「……こっちか。考えたくはなかったけど、禁断症状として考えれば筋が通る話ではあったわね」


 いつの間にかレオナルドのそばに立っていたアイリスが、眉をひそめてぼつりと呟く。

 ああ、そうだ。思えば俺は最初からあの青い液体に出遭っていた。カノプスによって転生させられたファイアランスの世界、うさんくささ全開の闇市で。

 そいつが実際何だったのかは、捜査局でイヤというほど聞かされた。


「……異世界麻薬。エーテルジャム、か」


 アイリスの深い溜息がくれたのは、これまでの人生で最も苦い正解の味だった。

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