#15 デモンズチェインのレオ①

 ――――人を、仲間を信じること。

 それを唯一の信条として日々を自由に暮らしていた義賊の少年・レオ。

 彼はある日、盗みに入った悪徳商人のキャラバンで不思議な『鎖』と出会い、風を自由に操るという力を手に入れる。

 特別な力に舞い上がり、『風使いの盗賊』を標榜するレオだったが、たちまち王立騎士団に捕縛され、そして自らが得た力の正体を告げられる。

 『ソウルカテナ』。レオが手にしたそれこそは所有者を呪いで戒める代わりに強大な力を与える呪物であると同時に、数百年前に封印された魔王の魂を現世に引きずりあげるための、文字通りの『鎖』でもあったのだ。

 世界に散らばったソウルカテナを集めることで魔王復活を企む妖魔軍、それを阻止せんとする騎士団。両者の戦いに巻き込まれたレオは、自らも世界を守るための戦いに身を投じることになる。

 魔王の復活を求める妖魔、力を求める人間。魔王の再来を防ごうとする騎士団。あるいは人であるにもかかわらず、世界の破滅を希う者たち。

 多くの者がソウルカテナを求めるなかで、レオは翻弄され続ける。誰が味方で、誰が敵なのか。何のために力を求めるのか。

 戦いの中で渦巻く策謀に呑まれて欺され、裏切られ、陥れられ続けるレオは、やがて自身もまた悪魔のような狡猾さを身につけていく。

 世界を守る。レオはその目的のためにソウルカテナの封印を決意し、自身もまた陥れ、裏切り、欺す側に回っていく。かつて彼自身を裏切った親友のように。

 レオはそれでも人を信じることができるのか。そして、人を信じることの本当の意味とはなんなのか……?


 そこらへんで視界がかすんできた。

 『デモンズチェイン』という古典的名作ファンタジー漫画を語るのに夢中で、呼吸するのを忘れていたんだ。


「つまり……ぜぇ……その主人公で……はぁ……世界を救ったヒーローが……ふぅ……他でもない、この、レオナルドさんだったんだよ……」


 それでも最低限ここまでは語っておかないと気が済まない。俺はなけなしの血中酸素を振り絞りながら語り終えて、ほとんど死にかけで壁にもたれた。

 そんな俺に、アイリスは今世紀最悪のアホを発見したような呆れと諦めの眼差しを向けていた。俺も我ながらだいぶアホだと思うけど、自分の好きなものを合法的に誰かに紹介できることはそれくらいに嬉しくてたまらないのだ。

 さて、俺が奇跡的にレオナルドを捕まえてからしばらく経つ。立ち話を続けるのもなんだしということで、俺たちは(と言うよりアイリスが強引にそうさせた)かつての風使いレオこと捜査協力者レオナルドのねぐらに案内されていた。

 外からでは崩れかけた廃墟にしか見えなかった建物だが、内装は居心地のいい木造ロッジという感じで、家具や衣服が散らかり気味なことを除けば意外と整然としている。きっと盗賊としての隠れ家に必要な偽装なのだろう。


「……まだわからないんだけど、それとあなたにレオナルドを捕まえられた理由とが

どう関係あるの? ……というか、本当に大丈夫?」


 未だに深呼吸を繰り返す俺に、アイリスはと疑問と心配が入り交じったハの字の眉を向けてきた。返事を考えるまでもなく、俺の口は勝手に動いてオタク知識をひけらかす。


「ギリで大丈夫。エピソードのひとつに『霧の街編』ってのがあってさ。廃墟の街に迷い込んでアンデッド軍団と戦う話なんだけど、それが収録されてる単行本には付録で街の全体図が載ってたんだ」


 部屋の隅から渇いた拍手が響く。見ればレオナルドが穴の空いたボロいソファにもたれて苦笑していた。


「なるほどな。その霧の街は十何年か前のローンニウェルだ。妖魔軍がいなくなって復興したが、今も街の構造は大して変わってない。だから昔を知ってるおまえには先回りができたってわけだ」


 先回りというよりは、『逃げ込むとしたらこのへんかな』ぐらいの心持ちで適当にウロウロしていたら偶然レオナルドに遭遇して、飛びついてみたら捕まえられたというだけなんだけど。


「でも、本当。まさか、こんなところであなたに逢えるなんて思わなかったです」


 俺はかねてよりの敬意にその場の勢いで捕まえてしまったことを詫びる意味も添えて、思いっきりレオナルドに頭を下げた。平静を装って出したはずの声がやけに震えているが仕方ない。この人の存在はそれくらいに伝説的なんだ。



 デモンズチェインという漫画が掲載されていたのは俺の生まれる前くらいの話だけど、それでもあの物語の特異性と斬新さには今なお色褪せないものがある。

 ソウルカテナが集まり、鎖が完成すれば魔王が復活する。主人公側はそれを回避するためにソウルカテナを集めるんだけど、ソウルカテナが一カ所に集中することはそれだけ魔王復活の可能性が高まるってことでもある。全部集まれば即復活するって設定だからな。

 だから読者は主人公側が力を得るたびに復活に近づく魔王の存在にいつだってドキドキさせられ続けて、そのあたりの緊迫感はあとから古本で履修した俺みたいな奴の心をも掴んで離さないくらいのものだった。

 もちろん、魔王復活のリスクはレオたちにとっても自明だった。だからあえて第三勢力にソウルカテナを委ねたり、絶対に見つからない隠し場所を考案したり。なのに信じたはずの相手や仲間が実は敵の内通者だったり。そんなふうに、物語の中では単なる争奪戦やバトル展開にとどまらない多彩な駆け引きが演じられていく。


 そういったボードゲームを思わせる攻防には現代から見ても色褪せない斬新さがあって、漫画好きの間じゃ未だに不朽の名作として語り継がれているんだ。

 残念ながら俺は世代じゃないからリアルタイムの盛り上がりには立ち会えなかったけど、それでも伝説の片鱗くらいは知っている。だというのに。


「……そう。意外と有名だったんだ、この男」


 アイリスときたら、それぐらいの反応しか返しやしない。いや、無関心と言ったほうが正確か。そのあまりに冷めた反応に、それまで俺の全身で沸騰していたオタクの血は一気に冷めた。


「……それだけ? もっと驚きの言葉とか、感動のコメントとかは?」


「それだけよ。悪かったわね」


 どうやらアイリスの感想は本当にそれだけらしく、ちょっと拗ねた様子で口を尖らせてきた。俺はその珍しく女の子っぽい仕草に見惚れるよりも、むしろあまりの残念っぷりに頭を抱えた。

 そりゃ、彼女は俺とは違う立場の人間だ。なんてたって忍者やロボが当たり前に闊歩している捜査局の一員だから、職業上この手の人や物語には慣れているのかもしれない。だけど、それにしたってレオナルドの存在はレジェンドだぞ。もうちょっと驚いてくれてもいいだろうに。

 やっぱりあれか、物心つくまで悪の組織に監禁されて訓練を強いられてきたとかで物語に興味がないのだろうか。いや、現実的に考えるなら日本のサブカル文化にまったく縁のない国の出身とかか。


「しかし、俺の方こそ驚いたよ」


 頭の中で勝手な妄想を繰り広げている俺を、感心した様子のレオナルドの声が現実へと引き戻した。


「レプリカ作戦のアイデア自体は何度も聞いちゃいたが、本当に今回のカノプスとほとんど同じ外見とはな。実物とまったく変わらない」


 まじまじと俺の顔を眺めながら語るレオナルドだが、その言い回しが俺の耳の端あたりに引っかかった。実物と変わらないって、それはまるで……実物を見たことがあるみたいじゃないか。


「会ったことでもあるんですか? この顔のカノプスと」


「……まあ、な」


 訊いてみると、レオナルドはなぜか言葉を濁し顔を背けた。複雑な事情でもあるのかと訝っていると、


「カノプスとは面識があってあって当然よ。この男はヤツの手下みたいなものだから」


 アイリスはさらりと言った。その言葉の意味をやっと理解したところで、頭の上に特大の疑問符が浮かぶ。

 レオナルドが、カノプスの手下? このドライでダウナーでロマンと無縁な銀髪少女刑事は、言うに事欠いて何を言い初めてんだろう。

 えーと、なに、意味がわからんから言い換えるけど、こういうことだよな。

 伝説的な漫画の主人公で、物語の中で山ほどの人たちを救ってきて、日本全国の少年少女を熱狂させて、今でも多くの人が心に抱いてる物語の主人公であるレオナルドが、


 よりにもよって最悪の異世界犯罪者の手下だと。


 いやいやいやいや。ないわ。これはないわ。

 アイリスにふざけた様子はないが、俺には冗談にしか聞こえない。黙殺するのも失礼だから大笑いでもしてやるべきかと思っていると、レオナルドは苛立たしげに金の長髪を掻き上げて舌打ちした。


「まったく。そこまで手加減なく青少年の夢を壊すかね」


 レオナルドは底冷えするような声で吐き捨てた。俺の期待とはまるで逆の答えを。

 思えば、俺はこれまでさんざん現実離れしたものばかり見せられてきた。異世界転生を果たし、銃持った奴らに追い回され、アイリスに拉致され……そのたびに同じ疑問を心に抱いてきた。

 だけど、このときほど強く深く痛く、それを思ったことはなかった。


 ……俺は、何か悪い夢でも見てるのか?

 

「だいたい、正確な言い方じゃねえだろ。確かに俺はカノプスと通じちゃいるが、あんたら捜査局の協力者でもあるんだぞ」


 レオナルドは不機嫌そうに反論した。そうだよな。仮に悪党とつながってたとしても、何かの事情があるに決まってる。


「事実として、いまもヤツの犯罪に加担しているのは変わらないでしょう。彼にカノプスになってもらう以上は、事実を正しく理解してもらわなくちゃいけない。幻想や憧れじゃない、シンプルな真実をね」


 なのにアイリスは冷徹に切り返した。俺が聞きたくない言葉に、信じたくない答えをのせて。


「カノプスが異世界から技術や資源を収奪してるってことは、以前に話したと思うけど――」


 まさか気遣ってでもくれているのか、俺に向いた声音は少しだけ優しげな色を帯びていた。アイリスの青い瞳に覗き込まれて、俺はわけもわからずうなずいた。

 そうだ。カノプスは異世界に向けた商売と引き換えに現地のアイテムやアーティファクトなんかを少しずつ奪ってる。そしてそれをまた他の異世界へ売り飛ばして、現地の貴重品や資源を得るための対価にする。それだけならば聞こえはいいが実情は無限に続く焼き畑農業みたいなもんで、最後には搾り尽くされた世界だけが残ってしまう。

 だからカノプスは許せないし、放っておけない。転生目当てで捜査局に協力する俺だって、アイリスたちとは比べものにならないだろうけど少なからず同じ気持ちでいるつもりだ。

 だけどそれは、レオナルドだって同じじゃないのか。かつて物語の中で世界を守り抜いた彼だったら、何があったってカノプスみたいな奴は許せないと思うはずだ。そのレオナルドがカノプスの部下とか手下なんてありえるわけがない。


「今から、具体例を見せる」


 言うなり、アイリスはつかつかと迷いのない足取りで部屋の隅へ進んだ。向かう先には木箱がいくつも積まれていて、その上からは大きな麻布が覆いのようにかけられている。


「おい!」


 慌てて立ち上がったレオナルドの声がわずかに怒気をはらむ。しかしアイリスは止まることなく木箱の山を前にし、覆い布に手をかけ――確かめるように俺を一瞥してから、それを一息にはぎ取った。

 隠されていたものが露わになった。

 例えば赤錆びた手のひら大の金属片だとか、どう見たって実用性があるとは思えない丸太じみた大きさのライフルだとか、針金や留め具で厳重に木箱に固定され封入された六角柱状の宝石だとか。

 他にも見るからに高そうな宝飾品だの瓶詰めされた薬草だのが色々あるが、どれもこれもラインナップに一貫性がない。そういった品々の寄せ集めが、あるものは無造作に床に転がされ、あるものは丁寧に木箱に梱包されていた。


 それらを目にして、俺はずっと息を呑んでいた。

 どれにもこれにも見覚えがある。勘違いじゃない。何度も何度も漫画を読み返し、ゲームをプレイし、SNSでアニメを語った俺には確かにわかる。地球という退屈で残酷な世界において、数多くの物語を体験してきた俺だからこそわかる。

 赤錆びた金属片は、装着者の肉体に食らいつき侵食する代わりに圧倒的な力を与える呪いの種だ。

 丸太じみた大きさのライフルは、巨大なモンスターから摘出した体内器官を部品として組み込み製造された戦闘兵器だ。

 無機物への拷問みたいな意味不明な梱包をされた宝石は、惑星の重力に反応して半永久的に回転を繰り返し、機械装置の動力として重用される特殊鉱物だ。


 それらはいずれも俺が知っている物語の世界の産物であり。

 どれひとつとして、『デモンズチェイン』の世界に在っていい物ではなかった。


 平和に見えた異世界の、なんてことない町外れの、外から見ればうち捨てられた廃墟みたいな隠れ家の、ほんの片隅で。誰にも知られることなく、静かに。



          ――世界観が、狂っていた。

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