#17 アフターストーリーが気にくわない

 しばらくして、レオナルドはひとまず会話ができる状態まで持ち直した。死人のようにだらりと脱力してソファにもたれてこそいるが、先ほどに比べれば呼吸はちゃんと落ち着いているし、目にもちゃんと光が戻っている。

 もっとも、アイリスに言わせれば薬の効果で比較的まともになったというだけで、症状の度合いから見ればかなり重度の中毒であることは変わらないという。

 今にして思えば、レオナルドがアイリスの顔を見るなり逃げたのもそういうことだったのだろう。密輸品うんぬんよりも、エーテルジャムの常用者であることを知られたくなかったのだ。


「どうして。あなたまでこんなもの……」


 俺のような過剰な思い入れはなくとも、それなりに信用はしていたんだろう。アイリスはだいぶ消沈した様子だった。


「こんなものしかないからだよ」


 自分でもよくないことだと思ってはいるのか、レオナルドは苦々しく吐き捨ててからなぜか俺を一瞥して、


「なあ、偽物少年。世界を救った主人公さまは、その次に何すりゃいいと思う?」


 そう、訊いてきた。アイリスではなく、なぜか俺に。それは別にいいんだけど、呼び方はどうにかならないのか。

 とはいえ、訊かれたんだから考えてみる。要はアフターストーリーってことだよな。誰もその後の消息を知らないとか、お姫様と結ばれて王様になったとか色々あるけど、ポピュラーなところでは――


「……元の生活に戻って楽しく過ごす、とか?」


 あ、いや。レオナルドの場合は元々が少年盗賊だったから、盗みをやめて真面目に働き出したんだったかな。

 我ながら安直な答えだと思ったが、レオナルドは「まあ、そんなとこだな」と苦笑してくれた。 


「最初は泥棒やめて、普通に働いてもいたんだがな。急にバカらしくなったんだ」


「バカらしいって、何が……?」


「この世界がさ」


 レオナルドは呻くように、呪うように呟いた。どう考えたって世界を救った男のそれとは思えない台詞を。


「魔王の復活を打ち砕いて、妖魔どもが自分たちの世界に引っ込んだところで。つまらん弱い者イジメや無用な人死には変わらない。むしろ増えた。人を苦しめるのが同じ人になっちまったんだ」


 魔王も妖魔もいない。戦うべき敵がいない。自分と変わらない人々が敵になる。


「平和になった途端に化けの皮が剥がれて、どいつもこいつも自分さえ良ければいいと他人をないがしろにし始めた」


 どこか似ている、と思った。俺たちの世界が抱えている現実と。


「わかるか? 俺たちが救ったはずの世界なのに、救われたはずの世界なのに。倒すべき敵なんていないはずなのに、それがどんどんダメになっていくんだ」 


 救われた後の世界がどうなったか。それは正直、俺の想像力には余る話だ。地球の現実に近しいところがあるからって、それがレオナルドの見た真実の全てというわけでもないだろう。

 ただ。彼は苦しかったんじゃないだろうか。自分が必死になって命をかけて救った世界を、誰も大事にしなかったとしたなら。


「で、俺は付き合いきれなくなって降りた。気づいたら墜ちに墜ちきった挙げ句、世界を滅ぼす犯罪者の手先になっていたってわけさ」


 そう。バカらしいと匙を投げたくなる奴だってきっといる。


「……何も知らない人間が聞けば、言い訳にもならないと言うでしょうね」


「だろうなあ」


 アイリスの意見は相変わらず厳しめで、レオナルドはわかっているさと言わんばかりに肩をすくめた。

 だけどなぜか、俺には彼の言い分がそれほど間違っているとは思えなかった。

 もちろん、正しくはない。仮に週刊連載漫画の主人公がこんなことをぶっちゃけたりすれば総スカンを喰らう。それはそうだ。

 だけど、諦めたり折れたりしてしまう人間ってのは本来どこにでもいる。

 少なくとも俺がそうだ。暗い部屋に引きこもって、ありもしない――あの時点ではそう思ってた――異世界転生を望むことにしか希望を見出せなくなった。

 一度世界を救ったレオナルドがダメになってしまったからって、それを否定できる奴なんているだろうか。少なくとも、彼より数段みっともなく折れている俺には絶対に無理だ。

 俺は殊勝にもそんなことを思って、悟った気になって黙り込んでいた。レオナルドが余計なことをぬかすまでは。

 

「何にせよ。世界がどうなろうが、カノプスが何だろうが。もうそんなもんは俺が知ったことじゃないんだよ」


 ……なんだと?


「それは、捜査局に協力する意志がないってこと?」


「ああ、そうだな。どのみち未来も何もない中毒者だ。もう逮捕でもなんでも好きにすればいいさ」


 また、俺を置いてきぼりにして話が進んでいく。眉根を寄せるアイリスと、捨て鉢になったレオナルドの間で。

 本当だったら、ここは置いてきぼりにされておくべきだったのかもしれない。

 元々ただのそっくりさん役でしかない俺には発言権も何もないんだから、ただアイリスに任せて置物を決め込んでいればよかったんだろう。


 だけど。


 譲れない。



「嘘だ!」


 ついさっき、胸の奥で砕け散ったものがある。俺はそいつの欠片を急いでかき集め握りしめて、思いっきり吼えた。

 無気力なオッサンと銀髪警察少女が揃ってこっちを見る。揃ってにわかに驚く二人の顔を見て、俺はひょっとしたら怒っているのかもしれないと今さら自覚する。

 かつて憧れた主人公が、デモンズチェインのレオがくたびれたオッサンになってるのはいい。カノプスの手下になってるのもいい。危険なクスリに溺れてるのも、捜査局に協力しないのもこの際勘弁してやるよ。

 でもな。

 世界がどうなろうが知ったことじゃない? 

 カノプスが何だろうが知ったことじゃない?


 んなわけねえだろ。


「どうでもよくなんて、ないだろ」


「またガキの夢を押しつけるのか?」


 レオナルドは嗤って吐き捨てた。思わずその顔面をぶん殴りたくなったが、寸前で押さえる。こいつには拳よりも言葉でわからせてやったほうが効果的だ。


「ついさっき。アイリスさんに追われてたときだ。あんたは自分の力を使って、通行人を守った」


「それがどうした」


 レオナルドは鼻で嗤う。さっきのあれがなんてことない当たり前の行為みたいな態度で。そうだ。こいつはまったく自覚がない。最低野郎になったつもりでいるくせに、心の底では誰かを助けることが当たり前だと思ってる。


「本当に何もかもどうでもいいと思ってたら、通りすがりの通行人になんか構うかよ!」


 だから、それを手っ取り早く突きつけてやる。最低野郎なんかじゃないんだとわからせてやるんだ。


「あんたはあの時、何もどうでもよくなんてなかったんだ。だから助けた」


 俺を見るかつての主人公の目が驚きに見開かれ、そしてあさっての方向へ逃げて

いく。


「そこまで俺をレプリカ作戦に引き込みたいか」


「それこそどうでもいいんだよ!」


 俺は反射的にレオナルドの胸倉を引っつかんで叫んだ。これはレプリカ作戦とかカノプスとかいう理性的な話じゃないんだ。言ってしまえば、俺が俺の譲れない感情でイチャモンをつけているだけ。ある意味さっきの幻想の押しつけよりももっとタチが悪い。

 だけど、それでも。俺の自分勝手に、わがままにすぎなくても。


「世界を救えなくても、もう主人公じゃないんだとしても。捜査局を手伝わなくても。それでもあんたはいい奴なんだって、俺が信じたいんだよ!」


 自分で言ってて、めちゃくちゃだと思った。目の前のレオナルドは客観的に見れば危険な薬物に溺れたジャンキーでしかない。それを必死になって肯定し続ける俺に至っては狂気の沙汰だ。

 現にレオナルドは理解不能なアホを目の当たりにして呆然としていたし、同様に呆れているのだろうアイリスも「ちょっと」と俺を隅に引っ張っていく。 


「あーもー、なんで、あなたは、いきなり! 捜査協力者に絡み始めるのよ!」


 小声で叱られた。だけどアイリスは人よりだいぶ声が大きい方だから、これでもレオナルドにはバッチリ聞こえていると思う。


「ゴメン、悪かった。でもやっぱ、本人が言うほど悪い奴に見えないからさ!」


 謝っているのか言い訳しているのか自分でもわからない俺のコメントに、アイリスは思いっきり肩を落とし息を吐いて、


「かもしれないけど、さっきの市場での件は単に面倒を避けただけともとれる。それに、レオナルドの立場でエーテルジャムを常用しているのなら……もう、彼は薬を売りさばく売人であってもおかしくないのよ」


 その真剣な眼差しを通して、アイリスという少女のことが少しだけわかった気がする。こいつは意外と熱い奴だ。言動がいちいち厳しかったりドライだったりするのは正義感が強すぎるせいで、だから融通が利かなくなる。そういう熱くて面倒なやつだ。

 現実的に考えるなら、何もかもがアイリスの言う通りだろう。だけど俺が信じたい現実は、かつてこの世界で繰り広げられた物語の中にあった真実は、決してそういうものじゃなかった。

 だから俺は小声で言い返す。さっきまでと同じくらいでかい声で言えればよかったんだけど、あいにく俺の中の度胸ゲージはもうとっくに尽き果てている。


「わかるさ。でもな――多かれ少なかれ、誰かを信じるってのは、そういうことじゃないのかよ……!」


 言ってしまって、俺は後悔した。自分で自分に呆れかえる。それくらいに痛さ全開の台詞だ。俺だってわかってる。こんなきれいごとを言ったところで、ただ笑われるに決まっているのに。

 実際、レオナルドは大爆笑した。アイリスが瞠目して言葉を失っているぶん、レオナルドの笑い声はやけにけたたましく響き渡る。いい加減うるせえと思い初めても笑い声は治まらず、恥ずかしくなってきたところでようやく止まる。

 そしてレオナルドはまっすぐに俺の目を見て、やけに落ち着き払って言った。


「……断言するが。お前にカノプスの真似は無理だな。正反対すぎる」


 そして、俺の手を掴み自分の胸倉を掴ませる。突然のことに困惑していると、 


「殴れ」


「はい?」


 わけのわからんことを言い始めた。ひょっとして薬でハイになりすぎておかしくなってんだろうか。なんだか急にアイリスの解釈が的を射ている気がしてきたぞ。


「いや。なんで殴らなきゃいけないんですか……」



「はっきり言って、カノプスと俺の間にはそれぐらいの上下関係があるんだよ。奴

は俺がミスれば容赦なくそうしてきた。おまえがカノプスを演じるつもりなら、今のうちに慣れといたほうがいいだろうよ」


 一瞬、何を言っているのかわからなかった。俺がカノプスを演じるつもりなら慣れておけって、それは、つまり……


「……正直な。俺はカノプスに支配されてるようなもんだ。使い走りをやって、僅かばかりの金とエーテルジャムを恵んでもらえなければ生きていけない。そう思ってた」


 言いながら、レオナルドは袖をまくる。痛々しい注射痕が幾つも残された肌があらわになるけれど、それでも彼の言葉は揺るぎない。

 胸が高鳴る。俺はこの人に逢ったことがある。幼いころ、古い漫画の単行本を介して。何度も何度も。俺はこの男を知っている。


「だからこそ、それは付けいる隙になる。奴はエーテルジャムに依存しきってる俺が、クズの極みまで落ちぶれ果てた俺が、自分を裏切るなんて思っちゃいない」


 レオナルドは真正面から俺たちを見据える。確かな意志の籠もった、世界を救った男の目で。


「……それは、結局。わたしたちに協力してくれるってこと?」


「ああ。どうでもいいからな。やりたいようにやってやることにした」


 一転して力の抜けたその言い草に、アイリスと俺は顔を見合わせた。このいきなりすぎる心変わりをどう受け止めればいいものか、俺たちのどちらも判断がつかなかったのだ。

 とはいえ、俺の方には何かを決める権限なんてない。どこまでもアイリスたち捜査局の判断に従って、カノプスの偽物という役割を果たすだけだ。

 ただ。もしも誰かがカノプスの偽物に過ぎない俺に意見を求めてくれたなら。困惑しながら俺を見つめているアイリスが、何かひとつでも訊いてくれたなら。


 俺はこう答えたい。それでも信じたいと。

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