#2 ボーイ・ミーツ・ガール……イリーガル

裏通りに断崖絶壁、人気のない工場跡。

殺人と暴力に適したロケーションってのはいくつかあるけれど、必須のポイントはどこにも逃げ場がないってことだ。

そういう意味では俺が追い詰められたこの場は絶好だった。

何しろ三方を高い石塀に囲まれた行き止まりで、塀を越えた向こうには墓場と寂れた土着神の教会しかない。

逃げられる可能性も、助けを呼べる可能性も、ほとんどゼロに近いと言えた。


「鬼ごっこは終わり、というわけだ。遠野観行!」


 三人組のひとりがまたもその名を呼んだ。

 日本に暮らしていた高校生だった頃の、だからこの世界では誰も知り得ないはずの俺の名前を。

 やっぱり、俺の異世界転生は何かがおかしい。銃持ってるヤツは追っかけてくるし、転生者の存在が公然の秘密であるかのように語っていたし。

 その違和感を言語化するならやはり、世界観が狂っていると言うほかない。


 ……ならばそろそろ、疑問に答えてもらってもいいころか。

 『障壁』の魔法習得を手早く済ませていた俺は、白紙となった魔導書を適当に投げ捨てた。


「なんであんたらが俺の名前を知ってるのか気になるけどさ。とりあえず、ぶちのめしてからゆっくり聞かせてもらおうか」


 追い詰められても余裕たっぷりに不敵な台詞を放つカッコいい主人公。それを完璧に演じきった俺の脳裏で、逆転のカタルシスがありありと描き出された。

 だけどそれまで無害なウサギみたいに追われていた俺が急に変貌したせいで、三人組は目を白黒させていた。


「それとさ。『終わり』ってのは間違いだ。これは始まりにすぎないんだよ」


 それでやっと、三人組の態度がにわかに警戒の色を帯びた。だけどもう遅い!


「俺の! 最強! チート!! ハーレム伝説のな!!!」


 ――さあ、心躍る異世界転生物語の始まりだ!

 高らかに叫び、俺は颯爽と右手を追っ手たちに差し向けた。指先に漲る電光に三つの警戒がたちまち驚愕へと変わる。

 だが、もう遅い。

 俺が最初に習得した『炎の飛礫』は、この世界でもっともスタンダードな攻撃魔法。手を向けた先へ無数の燃える飛礫を叩きつけるというシンプルなもの。だからこそ、殺傷力もまた単純に高い!

 脳内にインストールされた知識が紋様を描き、青き魔力の色がそれをなぞり彩る。

 カタチとチカラを得たそれが、俺の右手で魔法となってほとばしる!


「行っけェーーーッ!『炎の飛礫ファイアボルト』ッ!!」


 そして。

 ぽすっ、という気の抜けた音だけが、その場に響いて、消えた。

 俺の右手は、俺の魔法は、それきりだった。


「……は?」


 虚しい間が数秒。呆然としていたのは俺だけじゃなく、逆襲の気配に身構えていた三人の敵も同じだった。


「いや。え、なんでだ? なんで出ないんだよ!? 出てくださいよ!」


 事実を事実として認識できずに、空いた右手をばんばんと叩く。そうしたって出ないものは出ないだろうが、単純に納得がいかないのだ。

 だってあんた、『炎の飛礫』はファイアランスの作中で最も基本的な攻撃魔法だぞ。それが使えないなんてあるわけがない。

 大爆発を起こすとかマグマを沸かすとかの上級魔法なら魔力不足にもなるだろうが、これぐらいの魔法が使えないわけが――


 ちょっと待て。

 俺はたった今頭の中に展開した論理を、爆弾処理じみた慎重さでさかのぼった。

 なんか今、ものすごく嫌なキーワードが、脳裏を過ぎていったような。


 ……魔力不足、だって?

 その言葉に辿り着くや否や、たった今まで余裕綽々で追手どもに向けていた右手が震え始めた。

 

 そうだ、魔力がなければ魔法は使えない。それは魔法というファクターを含む古今東西の作品において当たり前の大原則だ。けれど普通、魔力を持たない人間なんてそうはいない。魔法が存在する世界に生まれてきた以上は、誰もが大なり小なり魔力を備えているのが普通なはずだ。

 魔力を持たない人間なんているはずがない。いてもよっぽどのレアケースだ。


 例えば……そう、誰かの嫌がらせみたいにステータスが低い、

 俺のような、出来損ないの転生者、とか。


 手の震えが加速した。どうして今の今まで、よりにもよってこんな窮地に至るまで、この可能性に思い至れなかったんだ。

 当たり前だ、と、頭の中の俺が答える。

 『ベルグ魔法は魔道書を手に入れれば習得できる簡単なもの』。俺はずっとそればかりを、魔道書を手に入れることばかりを考えていて、それ以外のすべてを見落としていたんだ。

 ゲーム実況だったら爆笑間違いなしのプレイングミスだった。なんの因果かプレイヤーとして知り尽くしたゲームの世界で生きることになって、だからこそ絶対に万全の転生ライフを手にできると確信して頑張ったのに。


「……冗談だろ、おい。こんなのってあるか?」


 震える声で問いかけたその先で、男たちはすでに銃を構えていた。

 異世界転生した俺を、遠野観行を待っていた、黒く艶めく銃口を。


「やっぱりお前は、終わりだったな……!」


 凶悪な笑みに添えられた言葉から、ほんの少しの間が空いた。

 一瞬だったかもしれないし、数分だったかもしれない。

 言えるのはただ、向けられた銃口が俺の死を確定させていたこと。次の一瞬が死への入り口になるのかと思うと、残された刹那の価値が無限にも感じられた。

 いつ終わるとも知れず、だからこそ一秒が一生にも等しい。そんな永遠のまがいものの中に、白い雪だけが静かに降り続けていた。

 やがて、教会の鐘が鳴った。厳かな音色が幾度も鳴り響く。

 それは儀式の始まりを告げるものか、あるいは別の終わりを告げるものなのか。


「ゲーム、オーバー」


 つまらなさそうな一言で、俺は時間切れを悟った。せめてぎゅっと目をつむって、迫りくる死が見えないように心がける。

 だけどそれは到底覚悟なんかにはならず、頭の中には泡沫のようにいろんな想いが浮かんでは消える。


 ああ、こんなバカみたいな転生の前に、せめてあのゲームをクリアしておくべきだったんだ。


 一年くらい口を利いていない父親と、もっと仲良くしとけばよかった。


 あと。さっきから響いてくるエンジンの音がどんどん近くなってきてうるせえ。


 ……いや、待て。エンジン音?

 絵に描いたようなファンタジーの世界に?


 それは、世界観が、狂って――


 訝りながら目を開けた途端、俺と男たちの右側に位置する塀がやおら弾ける。いや砕ける。違う、破砕した。とんでもない破壊の轟音と瓦礫をまき散らしながら。

 破壊の中心には悪魔のような車両の姿。ワインレッドの無骨なジープが、塀を突き破って突入してきたのだ。

 まき散らされた塀の瓦礫は鈍い衝撃となって俺の頭に落ちて、視界はいったんブラックアウトする。


「ぎゃば!」

 

 揺れる脳をなだめ、ふらつきながら懸命に立ち上がる。

 やがて定まった視界の向こうには、ゲーム内では絶対にありえない光景があった。

 まず、さっきまで俺を追っていた銃の男ふたり。こいつらは揃って戦慄の表情を浮かべ、自動小銃を抱きしめながら地面に尻餅をついていた。

 そしてもうひとつ。塀を突き破った勢い余って向こう側にも衝突し、見事にめり込んでやっと停車したジープが一台。

 そんな、混沌極まるオリジナルの光景が、俺の目の前に存在していた。


 ――世界観が、ぶっ壊れていた。


 そしてダメ押しでもするかのように、ジープの運転席から降りてくる人影。

 長毛種の猫を思わせるくすんだ銀色のショートヘア。

 黒いミリタリージャケットに身を包み、なのに下はパンツじゃなくスカート。ファッションなのかと思いきや、どうやら戦闘を意図しているようで、背中には重厚な両刃の剣を背負っている。どういったアクセントなのか、その刀身は海外ドラマでよく見る『KEEP OUT』のテープでぐるぐる巻きにされていた。

 そしてくすんだ銀髪の間から、黄昏の空のような群青の瞳がこちらを向いた。

 ……なんというか、そいつは。世界観ジャンルがわからない奴だった。


「大丈夫?」


 スタスタと近寄ってきたそいつは、そんな素っ気ない問いをよこした。こうしてみると、背丈は俺よりちょっと低めだろうか。


「大丈夫じゃないよ。あんたが車で突っ込んできたせいで、石が頭にぶつかってすごく痛い」


 問いがあまりに何気なかったからだろうか。俺は驚くほどフランクに応じて文句をつけていた。本当のことを言えば痛いどころじゃすまなかったし、今ちょっと血が垂れてるんだけど。大丈夫かな。


「そう。それはまあ――大丈夫の延長よね」


 俺の異議申し立てはその一言で片付けられた。

 違うだろと反論しかけたその矢先、ミシンめいた小刻みな銃声が俺たちの足下を穿つ。

 見やると、銃を構えた男ふたりが怒りに満ちた表情でこちらを睨めつけていた。

 今気づいたが、人数が減っている。確かさっきまでは三人いたはずだ。


「……あら、一人だけか。全員轢ければラクだったのに」


 謎の女がよこした答えに、俺は心底戦慄した。いくらなんでも平然としすぎだろ。

 クールな少女へ向けて、ついに黒いローブの男たちは殺意と憎悪を剥き出しに引金を引いた。

 けれど銃弾が貫いたのは一瞬前まで彼女がいた空間でしかない。

 当の彼女自身は一瞬のうちに宙へ舞い上がり、背中の剣を引き抜いている。

 彼女は躍るような動作で二人の悪漢の間に着地した。途端に二つの銃口に挟まれるけれど、それは畢竟フレンドリーファイアの成立と同義だ。

 一瞬の躊躇の隙をついて、剣先が躍った。一人の側頭部を手痛く打ち据え、彼女は身を引いていたもう一人へ襲いかかる。引金が引かれるよりも、悪漢の腹部に拳がめり込む方がわずかに先んじた。

 結果、二人の追手はほぼ同時に意識を失って地に伏した。大立ち回りを演じた少女はといえば相変わらずのクールな顔で、降りしきる雪の中にたたずんでいる。


 俺はどうしていたかといえば、その姿に目を奪われていた。

 世界観ごとぶっ壊すような交通事故とともに現れて、たちまち俺の命を救ってしまった謎のヒロイン。それだけだって値千金だってのに、彼女の姿は、たたずまいは、本当に勇ましくて、可憐で、そして――


 ――どうしてだろうか。泣きそうになるくらいに、懐かしいと思えた。


「それで。あなたは遠野観行。間違いないわよね?」


 謎の殺し屋集団と同じ名前を出されて、俺はちょっと躊躇した。

 はいそうですよと答えたら、今度はこの少女が俺の命を狙うんじゃないかって。

 だけど、相変らず鳴り響く鐘の音で気が変わる。俺にとってそれはまるで、運命が動き出したことを知らせるものであるように思えたからだ。


「ないけど。だから殺すみたいな引っかけもないよな?」

「ないわ。わたしはあなたを助けに来たんだもの」


 そうか。やっぱり、助けに来てくれたのか。緊張の糸がぷつんと切れるや全身から力が抜けて、俺は瓦礫の散った石畳にへたり込んでしまう。


「立てる?」


 差し伸べられた手をおずおずと掴むと、驚くほど確かな力で引き上げ立たされる。そして黄昏の瞳がまっすぐに、確かな意志とともに俺を射貫いた。


「やっと、見つけた。ずっと捜していたわ――あなたを」


 それっぽい台詞だった。

 例えるなら物語の始まりで、ヒロインが主人公に告げるような。

 だけど彼女には一分の照れも冗談もなく、ただただ真剣な様子だった。

 だから俺は確信した。

 ああ。これはきっと、俺の物語のはじまりなんだ、と。 


 きっと、ここからなにかが始まるんだ。ずっと待ち望んでいた何かが。俺に到来した、この風変わりなボーイミーツガールから。

 彼女はゆっくりと俺の両手を取った。小さくて冷たい手には幾つもの傷痕があって、だけど不思議と柔らかくて。そんな心地に両手を委ねると、


 ガチャリと硬質で無慈悲な金属音が響き渡って、俺の両手首に手錠がかけられた。


「……はい?」


 物語の始まりで、起こってはいけないことが起こった気がする。

 彼女の顔へ問いかけるように視線を移すと、そこには笑顔があった。

 とても爽やかで、見惚れるくらい綺麗で……

 

 とびっきり、シニカルでブラックなスマイルが。


「遠野観行。あなたには世界主連合オーダーズに許可されていない違法な転生行為により、多世界間の秩序を著しく損なった容疑があります――」


 裁判官が主文を読み上げるような厳粛かつ冷酷な口調で、彼女は淡々とそう言った。


「――よって。多世界犯罪捜査局の権限により。あなたを界間転生法4条2項に基づく違法転生者と見做し、拘束します」


「……はい?」


 いや、待って。一言一句として理解できないぞ。


「さあ、乗って」


 俺の混乱なんて知ったことではないらしく、彼女は当たり前のようにクルマの後部座席を親指で指した。

いや、待ってくれ。なんで乗らなきゃいけないんだ。この手錠はなんなんだ。君はどこの何者で、そもそも多世界犯罪捜査局ってなんなんだ。

 どれを訊こうか迷っていると、やおら彼女の手が俺の首根っこを掴み、力任せに座席へと放り込まれてしまう。買い物帰りの荷物じゃないんだぞ。


「くそ! 何もかもわからないけどひとつわかるぞ! これは横暴だツ!」


「ずいぶん元気ね。もう傷が治ったの?」


「治ってるわけねえだろ! あーもーせめて普通に座らせてくれ!」


 当然その願いは聞き入れられることはなく、バタンとドアは閉じられて、無情にもジープは発進したのだった。

 で、あとはドナドナ。そしてまた後部座席のドアが開かれるまで、俺の頭の中では彼女が口にしたあの言葉がずっとぐるぐると回っていた。


 『違法転生者』。

 字面通りにとれば、なにがしかの法に背いた転生を行った者……ってことになるのだろうか。

 つまり彼女の言い分では、俺の転生は犯罪だったってことになる。

 しかし、俺にはどうにも納得がいかなかった。

 そもそも転生に違法も合法もあんのかよってのもあるし……

 それに。


 『ここではない、他の異世界に転生して、新たな人生を生きたい』。 


 そんな、きっと誰しも一度は思い描くだろう、ありふれた願いを現実に叶えることが……それを叶えてしまうことが。

 本当に、彼女が語るような重い罪になるのだろうか?




 結局。

 俺がその問いに答えらしきものを見つけるのは、ずっと後のことになるのだけど。

 実のところ、この出会いが物語の始まりだという俺の予感自体は間違っちゃいなかった。


 ただし。

 ここから始まることとなった物語は、

 王道のファンタジーでも、

 定義が難しいセカイ系でも、

 女の子だらけのハーレムでも、

 熱血変身ヒーローものでも、

 俺が望んでたような異世界転生英雄譚でもない。



 俺の罪を暴き出す物語だ。

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