#3 目覚めればクロスオーバー

「着いたわよ」


 運転席から声をかけられて、いつの間にか寝ていたことに気がついた。

 目をこすりながら降車して、踏みしめた地面の固さに懐かしいものを覚える。妙に思いながら辺りを見回したところで、俺はその目を疑った。


「……駐車場?」


 LEDに眩しく照らされたコンクリとアスファルトの大広間。鉄骨と白線の区切りに合わせて規則正しく並ぶ車両の数々。典型的な駐車場と呼ぶしかない風景の中に俺はいた。

 いや、おかしい。だって、さっきまで俺がいたのは古式ゆかしいファンタジー……洋ゲー『ファイアランス』の世界だったはずだ。

 そこからいきなりこんな現代的な駐車場だなんて、いくらなんでも世界観が違いすぎている。まさかと思うけど、さっきまでのことは何もかも俺の夢でした、なんてオチはないよな。

 心配になって振り返ってみると、そこには先ほど俺の世界観を徹底的にぶっ壊した悪魔のジープが停まっていた。さっきの力任せの登場のせいで車両前面がだいぶボコボコになっていて、やっぱりあれは現実だったと思い直す。


「いや、でも、それはそれとしても、なんで幻想譚ファンタジーから駐車場パーキングなんだよ……」


「日本の出身なんだから、あなたには珍しいものじゃないでしょう?」


 不思議そうに首をかしげる謎の少女だけど、そういうことじゃない。珍しくないから、見慣れているからおかしいんだ。俺は異世界に転生したはずなのに。

「念のために訊くんだけど、さっきまで俺たち、ファイアランスの世界――『エストゲイト』にいたんだよな……?」 


「ええ」


「……で、ここはなぜか駐車場。どこかの」


「正確に言うと、多世界犯罪捜査局のね」


 俺に言わせれば答えになっていない答えを残して、謎の少女はスタスタと歩き始めた。俺はカモのヒナみたいに彼女の背を追いながら、


「それがそもそもわからない。捜査局ってなんなんだ? 警察なの?」


 壁際のエレベーターまで辿り着いた少女は少しだけ考え込むような様子を見せてから振り返って、


「……それは、少しだけ保留ね。きっと、自分の目で見た方が早いと思うから」


 そう言いながら、上昇ボタンを押してエレベーターを呼んだ。

 どうにもよくわからない。自分の目で見た方が早いってなんだよ。警察なら警察だと言っとけばそれで充分だろうに。

 眉根を寄せたところで、ちょうどエレベーターが到着した。謎の少女に続いて乗り込んだ俺は、そもそも最初にしておくべきだった質問に思い至る。


「っていうか、きみの名前は?」


 いつまでも謎の少女じゃ締まらない。そもそも警察が誰かを逮捕するときには名乗るのが定石なんだから、彼女だって俺に名乗ってくれるのが筋だろうに。捜査局なる謎の組織が警察みたいなもんであるならば、だけど。

 俺の言い分にもいささかの理があったのか、少女はしばし考え込むような躊躇うような沈黙を経て、名乗った。


「――アイリス。アイリス=エアルドレッド」


 その名前が魔法の呪文にでもなったかのように、ちょうどエレベーターのドアが開く。もう謎ではなくなったアイリスに続いて目的のフロアへと歩き出して――俺は仰天した。

 とはいえ目的のフロアそれ自体は、さして珍しくもない。市役所や病院によくあるような、広々として整然とした現代風のロビー。そこに待合用の長椅子や簡素なデスクが並んでいる。

 あの駐車場と同じように、俺のよく知る世界観を、現代の地球をそのまま持ってきたような風景だった。

 そうじゃないのは、その親しみ深いロケーションの中にぎゅうぎゅうとひしめき合っている顔ぶれだ。


 長耳にメガネをかけて退屈そうに新聞を読む、ローブ姿のエルフが受付にいた。

 未来的な強化服とヘルメットに身を包んだ、テクノロジーの戦士が大儀そうに便所から出てきた。

 狼の頭に筋骨隆々なるヒトの体躯を持つ、モッサモサした獣人が自販機の前でどのボタンを押すべきか迷っていた。

 露店めいて隅っこに敷かれた絨毯の上には、浅黒い肌と露出度の高い衣装で軽やかに踊る、無国籍風の魔女がいた。

 そいつを囲んで楽しげに口笛を吹く、半透明なゴーストの集団がいた。

 

 そんなやつらが。世界観を、俺の想像を超えたやつらが、俺のよく知っている現代日本そのままの風景の中で。当たり前のように会話して、共存して、談笑して、一堂に会していたんだ。

 気がつくと、俺は震えていた。涙さえ出ていたかもしれない。恐怖にじゃない。どうしようもなく嬉しくなってしまったからだ。

 ゲームとか、アニメとか、ラノベとか、映画とか。そんな画面や誌面を通してしか出逢えないはずの素敵なやつらが、世界観を超えて当たり前に目の前にいる。それがあまりにも素晴らしい光景だったから。

 明らかに想像を超えている絵面になんとか声を出そうと四苦八苦している今にも、クワガタみたいな鎧を着て腰に刀を帯びた戦士がガッチャガッチャと足音を響かせながら、立ち尽くす俺の目の前を通り過ぎていく。

 この現実を目の当たりにした喜びとこの非現実への驚愕との間で板挟みになりながら、俺は何を言えばいいのか、どうすればいいのかわからなくて、助けを求めるようにアイリスを見た。

 アイリスは言った。これこそが、さっきの質問の答えなのだと。


「――ようこそ、多世界犯罪捜査局へ」



 それから数分の間、俺はまったくもって使い物にならなかった。

 あまりに現実離れした現実に晒された興奮のあまり、生まれて初めての過呼吸を起こして気絶しかけたのだ。


「……あなた、本当に大丈夫?」


 ロビーの隅、待合用の長椅子に腰掛けさせられていた俺に、アイリスは眉をひそめながらも自販機で買ってきたドクターペッパーを差し出してくれた。


「ああ、ゴメン、ありがとう、たぶん大丈夫……」


 手錠つきの両手でマニアックな炭酸飲料を呷ると、ようやくまともな精神状態が戻ってきた。もう一度周囲を見回してみるけれど、やっぱり俺の目に見える風景は変わらない。


「夢でも見てるのか……って、今さら言うのはヤボだよな」


「現実よ。あなたにはあまりにも非現実で、だからこうして見てもらいでもしない

と説明が難しい、現実」


「でも、何がどうなってこうなってるわけ? こういうお祭り作品とか見境なくコラボしまくるソシャゲみたいな異世界があって、俺はそこに連れてこられたってこと?」


 自分で言っててかなり無理がある気がしたが、そうでもなければ説明がつかない。アイリスは背の低い待合デスクを挟んだ向かいに座り直して、首を横に振った。


「それは半分がイエスで、半分がノーね。ここにいるのはみんな、この世界の存在じゃないから」


「じゃあ……みんな、異世界のヒト、ってこと?」


「そう。無数に存在する異世界からの来訪者フォーリナー。それが集まって組織されたのが、わたしたち捜査局ってわけ」


 無数……って、異世界はそんなに数多く存在するものなのか。確かにそう言われてみれば、みんな世界観というか、ラインナップがバラバラだ。

 エルフに、怪獣に、あと、山ほどの書類を胸に抱えて構内を楽しげにスキップしている、青いジャージ姿の金髪美人……あれ?

 一度は離そうとしたはずの視線が、なぜかまたその金髪お姉さんへと引き寄せられた。たぶん俺よりちょっと歳上で、背丈もちょっと上くらい。煌めく金髪にはステレオタイプなお嬢様然とした緩やかなロールがかかっている。そんな金髪お姉さんに。

 何も見とれていたわけじゃない。いや、充分見とれるべき容貌ではあるのだけど、俺が彼女を見ずにいられなかったのは別の理由からだった。

 なぜか、彼女の姿に変な見覚えがあったのだ。面識がある、というわけじゃない。俺はもともとほとんど引きこもりで、友人知人はほぼ皆無と言っていい。

 テレビや映画の有名人かとも思うのだけど、それならば名前くらいは浮かんできて当たり前のはずだし……ひとりで首をかしげていると、ふいに彼女と目が合った。

 金髪お姉さんは俺を見て、何故かにっこりと微笑んだ。それから嬉しそうにぱたぱたと駆け寄ってきて、


「もしかして、地球人の方?」


 おもむろに話しかけてきた。アイリスはその声にふと顔を上げて、


「ああ、先輩。お疲れさまです」


「あら、アイリス。ごきげんよう」


 どうやら先輩後輩の間柄のようだ。アイリスの先輩さんは彼女の隣に腰を降ろし、


「わたし、捜査局遺物課アーティファクトのマリナ=ランセス=アデライダーと申します。おそらく現代日本の方とお見受けしますけれど、捜査局における異世界史学研究のために、少々知識とお時間をお貸し願えませんかしら」

 と一息に言って、何やらアンケートらしき用紙を一枚を差し出してきた。

 またよくわからないヒトとよくわからない単語が出てきたぞ。困っていると、アイリスは呆れたように嘆息して眉根を寄せた。


「マリナ先輩。一応、この男はわたしが連行中なんですが。あと、捜査局についても説明がまだですから」


 あ、そうだ。驚くことばかりですっかり忘れていたけど、俺は捕まってるんだった。いいかげん驚き慣れたのか、妙に落着いた心地でそう思い出してから、俺は弾かれたように立ち上がった。


「……って、ちょっと待て! 『マリナ』だって?」


 異世界転生を経験して、銃持った奴らに追い回されて、何がなんだかわからないまま逮捕されて、この上まだ驚くことがあるとは思わなかった。

 この名前には聞き覚えがある。彼女の容貌には見覚えがある。声を聞いたことさえある。

 にもかかわらず、俺と彼女には面識がない。逢ったこともない。それでも俺は彼女を知っている。


「あ、あんた。マリナ、ランセス、アデライダー……?」


 確かめるように名前を呟いてみた途端にマリナ先輩は俺の両手をぎゅっと掴んで、目を輝かせて問うてきた。


「あなた、もしかして――」


 途端に顔が熱くなる。女性に対する過剰免疫で、せっかくの思考がホワイトアウトしかけてしまう。けれどその前に、翠の瞳をギラつかせて身を乗り出してきたマリナ先輩のほうが興奮の面持ちで答えを言った。


「わたしの世界のゲームをご存じですの!?」


 その言葉は彼女が俺の思うとおりの人物であるという、これ以上ない証だった。

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