ブラックアウト備忘録

御徒町緋糸

無人の野を行く彼への謝罪


ロールシャッハが記す、何て気取れりゃ格好良いのだが今書いているのは只の備忘録だ。酔って記憶を失くしていい歳でもないのは重々承知の上ではあるが、良識と美味い酒を天秤にかけてどちらを取るかなんて考えるまでもない。少なくとも俺にとって重要なのは後者だ。

そんな訳で今土曜の朝俺はいつものようにネットニュースを軽く見た後(海自の哨戒機が友軍の某国艦艇にロックオンくらったとか書いてある。マジか)、自分で書いたらしい断片的なメモを解読しながら昨晩のことを思い返して書き残そうとしている。最初に呑んだ酒はもちろん覚えている。エールスミスのバーレイワインだ。それがタップに繋がっているとサイトで見たから神田のその店に行ったんだ。パイントで1杯じゃ足りずもう1杯頼んだものも手早く干してしまって少し勿体無く感じた。自業自得の後悔を腹に飲み下す為に頼んだ3杯目はうしとらのラガー、やたらとホッピーなお気に入りのやつ。その後は確か今日はアネホがあるとか奨められてテキーラを1ショット。そこから先の記憶がどうやら危うい。

メモ帳は手のひらサイズで薄っぺらい。呑みに行くときは大体持っている。1〜2ヶ月で空きページが失くなるのでその周期で変えている。表紙の色はある程度のバリエーションがあるから同じ色のメモが連続しないようにしていて、今はアイボリーだ。のたくった文字らしき線の意味が判る人間にだけ辛うじて判るようになっているのは別に暗号などではなく単純な悪筆だ。『京都』、『ドローン』、『試験段階』。そこまで読み取って大分思い出せた。


酒場のカウンターで酔って隣の客に絡むのがマナー違反だってのはもちろん知っている(異性の美男美女がエロい絡み方をしてくれるなら別かもしれないが俺は小汚いオッサンだ)。だがお互い無言のまま肘が当たったりで何となく嫌な思いをするのは誰にとっても益がないし、もし御常連さんだったら軽く頭を下げておきたいという個人的な主義もある。そういった訳で、席を空けずに隣に誰かが座っている時はなるべく一言だけ「お邪魔してます」と挨拶をすることにしている。静かに呑みたい御仁なら会釈や一言を返してくれて後はお互い遠慮なく酒と向かい合える、話好きなら向こうから何か話し出す、でどちらにしても一言の挨拶は不要な諍いの発生率を下げてくれる(ように思う。比較実験はしていない)。昨夜のお隣さんは話好きの方だった。


「お邪魔してます」

「え、ああ、どうも」

少し戸惑い気味に会釈を返してくれた、こちらから見て右隣の男性は20代後半〜30代前半位に見えた。後で聞いたら35で、当たらずとも遠からず。スーツ姿だがネクタイはしていなかった。こちらが右から正面に向き直る前に次の言葉を繋いでくる。

「いやー出張でこっちに来て、ホテルに荷物置いて適当に入ったんですけど大盛況ですね。こちらにはよくいらっしゃるんですか?」

「たまに位ですかね。金曜日は大体こんなもんですよ、ここ」

今日はタップに良い意味でヤバいのも繋がってますし、といった感じでひとしきり酒の話を続け、お互いの杯の中身を一口ずつ交換したりするうち仕事の話になった(俺が切り出したんだと思う。出張と聞いたらどんな仕事か気になった筈だ)。

「ものづくりですね。ハードもソフトも両方です」

彼はそんな風に言っていた。

何でも無人マルチコプター、要するにドローンのベンチャー企業に勤めていて、本社は京都なのだが東京にある大学の提携している研究室と合同でテストを行う為にニ週間程こちらに滞在するとのことだった。

「どんな感じのものなんです? 用途とか」

「色々あるといえばあるんですけど、今やってるシナリオは自然災害ですね」

「ははぁ」

画像認識やらレーザーやらで瓦礫の山を素早く測量、まだ試験機に積んでないけどサーモグラフィーも積めば直接小規模火災やもしかしたら人間なんかも見つけられるかも、といった感じらしい。

「いやー設置型のセンサーをバラ撒いてそのネットワークで、てのは聞いたことがありましたが、なるほど、実用化されてる農業用のブツを流用できる部分が多そうなのは良さげ……」

「あれ、お仕事はソフトウェア関係といったお話でしたが、制御関連なんですか?」

「いえ、こんな感じで隣の方に聞いたんです」

あはははは、と笑って彼は中身が少なくなっていた杯を干した。

その後も何とはなくとっ散らかった話まあつまり雑談を続ける内によし一緒にハシゴしましょうどこか知ってます?それならあの店がいいですよとなり、確か3軒目でお疲れ様ですまた今度、と解散した筈だ。そこから朝目覚めるまでの記憶はほぼ無いが、怪我なく自宅に帰って失せ物もない。いい夜だった。


まあその程度だった筈だがメモ帳には続きがある(ページを捲ったら彼の名刺も挟んであった)。『マイクロウェーブ?』、『無線送電』、『海上』、『ツイてない』。全く思い出せない。何だこりゃ。

ブラックアウトして気付いたら自宅、なんてのも俺の場合は珍しい話じゃない(路上や病院で目覚めるのは流石に年に一回程度だ)。そういった場合でもそこは自分の書いたメモ、ちゃんとシミュレートすれば大体の意味は合っていることが多い。答え合わせに突き合わされる呑み仲間には失礼千万で申し訳ないが、自分の限界を他人が補ってくれるのが嬉しいというのは社会性を持つ動物の本能で、自分がホモサピエンスである限りどうにもならないだろう。もちろん言い訳だ。ごめんなさい。

さて電磁気学関係とくるとあまり詳しくない。漏れてる電磁波で非接触での押下探知みたいなのは読んでやってみた(実験だ。まだ仕事では使っていない)ばかりだが、マイクロ波に無線送電と続くのであれば恐らくインフラ関連で大型の何かだろう。小型の筈のドローンとは絡みが薄い。彼の大学時代の研究だろうか? 海上、はテストする空域? ツイてない結果何があったのかは皆目見当がつかない。

貰った名刺に書いてある彼の会社をWEBで検索する。公式サイトに書いてある事業概要は概ね聞いた通り。サイトの造りはシンプルそのもので、駆け出しの零細企業らしさが感じられる。マイクロ波に関する有用な情報はない。会社名で特許を検索。外れ。何もなし。彼の名前で論文を検索。外れ。いくつかヒットしたがどれもドローンの制御に関するものでこれもマイクロ波でどうこうといった内容ではない(飛び級したのでなければどうやら大学時代からドローンについて研究していたようだ)。新しい方から論文の共著者で論文検索。外れ。全員を完璧に網羅したとは言えないが関係なさそうな人ばかりだ。彼が参加した学会の(つまり同じジャーナルに載っている)参加者の論文を検索。当たり。電磁波に関係ありそうなところから調べていったら六人目の論文の一つがそれらしき内容だ。短距離(2〜3km)でのマイクロ波を用いた無線送電を小型軽量モジュールで実現、みたいな内容が書いてある。へえそうなんだ。マイクロ波と送電の組み合わせだと衛星で太陽光発電して地上に無線送電みたいなSFのイメージしか無かった。待てよ。コレをドローンに積むの? 論文ではそのモジュールには送信能力もあるから数珠繋ぎにすれば大型モジュールを地上で使った場合の地形による悪影響を回避出来る、と書いてある。なるほど相性がいい。ドローン自体の航続距離や稼働時間も上がっていい感じだ。広域をカバーする為のテストであれば海上が適当か。陸地で許可を取るのは面倒だしな(試す内容を考えれば、おそらく出力も高すぎる)。

ふむ、残ったのは「ツイてない」。まあ何かテストについての苦労話でもあったのだろう。全く覚えていないが。


二週間経った金曜日、もしかしたら彼も来ているかなと思いながら神田の同じ店に行くと果たしてカウンター席に彼がいた。

「あ、どうもー」と向こうが先に気付いて声を掛けてくれた。

「お疲れ様です」と挨拶をするとじゃあお前はそこに座れと馴染みの店員に彼の隣の席へ通される。一杯目はブリュードッグのジャックハマーを頼んだ。

「今日はまた一段と賑やかですよね、ここ。何と言うか……」と彼が言う。

「ああ、確かに英語以外の外国語がこんなに聞こえてくるのは珍しいかも。英語のグループだったら大体一組二組いらっしゃいますけど」

「英語以外は珍しいんですか?」

「何故だかここだと中国語やスペイン語などはあんまり聞きませんねー。理由は判らないんですが」

「へえ」

「あ、そういえば二週間位でしたよね。もしかして明日か明後日お帰りで?」

「はい、明日の午後に。ああでも一旦戻るんですがまたすぐこっちに来なくちゃいけないかもしれないんですよね」

「ああ、海上のテストのツイないやつの影響で?」

「…………僕そんなところまで話しちゃってました? まずいなぁ。……内緒でお願いできます?」

彼は苦笑いの表情で口の前に人差し指を立てる。

「もちろん大丈夫ですよ。私も覚えてなくてほぼ推測ですし」

「え?」

「はい」

あははははは、と二人同時に吹き出した。

「ああそれではコソコソ話になるんですが、マイクロ波送電でドローンを数珠繋ぎ、みたいな感じなんですよね?」

「はい、と言うとまずいので言いませんが、ご想像の方針を否定はしません」

冗談めかした言い方だが、声のボリュームはかなり小さい(もちろん俺も)。どうやら当たっていた様だ。

「ですと、ツイてなかったこと、の内容を実は全く覚えてないんですが、何があったのかさわりだけお願いできませんか?」

「むー……。忘れて頂けてるならそれでいい位なんですが……。」

「無理にとは言いませんし、面白い嘘ならそっちの方がいいです」

「あはは、ではこれは嘘なんですが……」

そんな前置きで彼が語ってくれたところによると、自然災害時想定(これは嘘ではなくそれはそれでやっていたらしい)とは別の(無線送電の、だろう)テストを海上で実施中、ずいぶんボロい木造の船舶を試験中のドローンが偶然見つけた。テスト実施者用の船は電源供給元の一艘と、数珠繋ぎの内一番遠いドローンを追い掛ける一艘の二艘体制だったらしいが、伸びたドローン隊列の真ん中辺りにその木造船が寄ってきた。さて場所と時間については近海の漁船の邪魔にならない様配慮して、念の為漁協にも話を通したつもりだったが観光船だろうか? どうにもそうは見えない。となると隣国からの漁船か亡命船か何かか。日本の排他的経済水域内で、その境界線について揉めてる海域でもないので、違法操業あるいは密輸や諜報目的などの後ろ暗い船かもしれない。何にせよ遭難船の可能性があるのであれば交信を試みるべきだと呼び掛けてみたが応答がない。これはもうしょうがないと118番で海保に連絡を入れ、テストを中断してドローンを回収しようとしていたら大型船が木造船に近付いてきた。砲塔が付いているので近くにいた海保の船かと思ったらしいがどうにも大き過ぎる。人命救助ということであれば近くの海自艦艇を寄越すこともあるのだろうか? まあどちらにせよ救助らしき船が来た、ということでその日はさっさと帰ってきたということだった。

「なる程。その後海保か防衛省から事情聴取を受けたのと、ニュースを見たのとはどちらが先でした?」

「……事情聴取が先でした。海上保安庁から。聞かれた内容は現場の状況についてで、こちらを何か誤解して疑っている様な感じでもないしで何のことやら判んなかったんですけど」

「で、ニュースを見てビックリ、と」

「ええ。無線を積んでない遭難船だったのなら悪いことをしてしまいましたね」

「気に病む必要はないと思いますよ。瀬取りや違法操業の疑惑、果ては逃亡した暗殺未遂犯何て話まである位で、木造船乗員のコメントも出ていません。我々にとっては藪の中、でいいんじゃないかと」

「暗殺未遂犯? ははは、そんな陰謀論みたいなのまであるんですね。下手に近寄ったら危なかったかもしれない訳だ」

彼は余裕のある物言いだが、声音には少し緊張が混じっている。

俺は後ろを見ない様に気を付けながら、わざとやや声のボリュームを上げて質問をした。

「ドローンが撮った動画のデータ、提出を求められたでしょうけれど、まだ手元に持ってます?」

大声という程ではないがいきなりコソコソ話を止めた俺に彼は怪訝な顔を向けて固まる。だがそれも少しの間で、すぐにやや引き攣った微笑を浮かべ、はっきりと聞こえる声でこう答えた。

「いえ、コピーを提出した後のテストの時に上書いてしまいました。動画は容量が嵩むものですから他のログ何かと違ってあんまり取っておかないんです」

「ですよねー。あ、ジャックハマーは飲みました? ブリュードッグらしく飲みやすくていい感じですよ」

「……いいんですか? あ、こっちはフリーモントのIPAです、どうぞ」

酒を一口ずつ交換し、後は音楽や漫画の話でひとしきり盛り上がった後、その日はハシゴせずにその店で閉店間際まで呑んでお開きとなった(俺達が最後の客だった)。

駅と彼のホテルは同じ方向だったので、二分程だが駅まで一緒に歩く。去り際に彼はこう言っていた。

「いやーお陰様で何だかスッキリしました。視界の端に違和感があるのは慣れない風景の中にいるからだと自分に言い聞かせていたんですが、今はそんな感じもなく普通にいい気分です」

「過敏になり過ぎるのは良くなさそうですし、なにがしかお役に立てたなら良かったです。また今度是非!」

「また今度。京都に来た時はご連絡下さい、次は僕が案内しますよ。それでは、おやすみなさい」

「おやすみなさい。道中お気を付けて」

その日は記憶を遺失することなく、帰り道の途中でラーメン(と半カレーライスのセット)を食べて帰った。いい夜だった。


その後彼と特に連絡を取ってはいないが、彼のLINEプロフィール画像が更新された通知などは入ってきている。

なんで友軍をロックオンしてまで追い払わなくちゃいけなかったかを俺が知ることはないだろう。近い未来にそれを知るとしたら相応にまずい情勢ということだから、それでいいと今は思う。

後に残った気掛かりといえば、まあないとは思うが、彼の会社のサーバにお邪魔してこいなんて案件が来ないといいなといったところだ。折角増えた呑み仲間に申し訳ないし、官公庁の方から泥棒紛いの仕事が回ってくる時は中抜きする奴が一段(国外からならもう一、二段)増えやがるのでそもそも気が乗らないというのもある。

だからこの備忘録を公開するのは身の危険を感じてなどではなく、そんな案件が回って来てしまった時の為の彼へのエクスキューズだ。俺はロールシャッハじゃない。

さて、今夜は何を飲もうか。

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