第九話 トラウマと友達

「そんな……何のために……?」


角狩り。


それは、角人の角を剥ぎ、奪う人々のこと。


ミウは、思わず聞き返してしまう。


「高く売れるんですよ。どうやら闇の市場のようなものがあるらしくて」

「でも、身体の一部を切られるなんて……」

「角の中には付与帯などの器官が存在していて、それは人体と直接繋がっています。壮絶なものらしいですよ、その痛みは」


ぞくり、と思わず身体が震える。


そうだ。


角人の命でもあり、象徴でもある角。


それは血液に角音の力を混ぜる『付与帯』という器官を守るために堅い殻に覆われており、それほどまでに重要な部位であることは間違いがない。


グラーシェの友人は、それを無理矢理に────。


「私の友人は誘拐されて、見つかったときには角を両方とももがれた状態で発見されました。何とか一命は取り止めましたが、もう普段通りの生活を歩むことはできません」


ぎゅ、と唇を噛み締めて呟くグラーシェ。


「私は彼女を何とか元気付けたいと思って……色んなものを見せて、色んな場所に連れて行きました。でも……」


ぼんやりとした瞳で、グラーシェは次の言葉を紡ぐ。


「────私が角人である以上、彼女を励ますことはどうしても無理でした」


どうして、こんな淡々と話すのだろう。


聞いているミウでさえ、息を呑んだり、光景を想像して声が引きつるというのに。


でも、それは彼女の佇まいと、その暗く濁った瞳から何となく察することができた。


「彼女の方から拒否してきたんです。もう私に近づくのはやめろ、お前が隣にいるだけで嫌な気分になる、本当なら私だって角人として生きていくはずだったのに……と」

「グラーシェ……」


疲れていたのだ。


あまりにも不毛な日々に、嫌気が差すほどだったのだろう。


「その時、私は彼女と初めての喧嘩をしました。生易しいものじゃなくて、本気でお互いが嫌いになるくらいの喧嘩。私は彼女と絶交して、それ以来一回も会っていません」


はあ、とため息をつくグラーシェ。


そこから洩れ出たのは、諦めの混じった嘲笑だった。


それは、恐らく自分に向けてのもの。


「馬鹿ですよね。私だって、きっと角を奪われたら立ち直れない。それなのに、私は彼女を立ち直らせることに必死でした」

「そ、そんな……」

「角を奪われた人が角人に励まされたところで、嫌味にしか聞こえないはずなのに」


いつの間にか、グラーシェが本を収納する動きが止まっていた。


それほどに、後味が悪すぎる過去。


「その時、私は胸がきゅうってなって……そのあと、学院に来るまでずっと悩み続けてました。もう、あんな思いはしたくなかった」


彼女の息が切れる。


過呼吸かと思えるほどに、グラーシェのトラウマが刺激されていく。


「だから私、友人は作るのが怖くなって。深く付き合って嫌われるくらいなら、私は誰とも仲良くしない。でも……だからといって、つっけんどんな態度を取るのも良くはないです」


けれど、すぐに彼女の感情は落ち着く。


諦めきったその表情が、彼女の結論を表していた。


「だから、ただの良いだけの人になろうって思いました。みんなと仲良くはするけど、記憶には残らない、そんな友人関係でいいやって」

「……そんなの、寂しいよ」


極端に仲の悪い人にもならない。


だからといって深い友人にもならない。


誰の記憶にも残らない、ただの良い人。


まるで、舞台装置のような。


でも、その在り方はきっととても寂しい。


誰の記憶にも残らないなんて。


「私はそれで良いと思ってたんです。でも、あの子のおかげで少し考え方が変わりました」


その言葉とともに、彼女の瞳に藍色の光が灯る。


その視線が向かう先は──そう、ピルピィだった。


「同室だったから?」

「それだけじゃありません。あの子、私のことを根掘り葉掘り聞いて来るんです。それもすごくしつこく。私の意見なんか、少しも聞かないで。同じ寮の部屋だから、逃げることもできませんし」

「あはは、ピルピィらしいね」


いつでもマイペースで、自分のしたいことに正直で。


でも誰よりも明るいから、それが周りに伝播する。


そういう、稀有な人なのだ。


「最初はすごく鬱陶しくて。だから私、嫌になって言ったんです」

「なんて?」

「私はあなたが嫌いだって。話しかけてこないでって。そしたらなんて言ったと思います?」


それは、もし自分が言われたらすごく辛いだろうな、とミウに思わせる言葉だった。


でも、それを言うグラーシェに負の感情は感じなかった。


むしろ、面白おかしいかのように笑って、彼女は告げたのだ。





「────ピルピィはグラーシェのことが好きだよ、って言ったんですよ」





ぶは、と。


二人は、お腹を抱えて笑った。


「ほんとマイペースだよね、ピルピィって」

「ええ。でも、なんだかそれを聞いた後、悩んでるのが馬鹿らしくなって。友達を作ることに、もう一回挑戦しようって思ったんです」


その話をしてからのグラーシェは、いつもの彼女だった。


恥ずかしがり屋だけど、言うべきことははっきり言う意志の強い女の子。


「でも、一回そういうことから離れるとなかなか気恥ずかしくて……でも、こうしてミウと仲良くなれました」

「そっか……そんなことがあったんだね」

「ごめんなさい、長々と話しちゃって」

「ううん、色々聞けてよかった。それに、グラーシェの悩みはもう解決してたみたいだし」


結局、少し心配性なだけで、彼女はもう過去の傷から立ち直っていたのだ。


ミウがどうこう心配することではなかった。


そう考えると、あれだけ言ったのは単なるお節介だったということで。


なんだか恥ずかしくなって、ミウは顔を真っ赤にする。


「なん、か……ごめん。色々先走っちゃって……」


そんなミウにグラーシェはくすくすと笑って、首を横に振る。


「いいえ。私が心配性なのはこの話のせいでもありますし。それに、まだ心配はしてるんです。あの時だって、まさか友人を失うなんて思っていなかったわけですから」


でも、過度に気にしている様子は見られない。


彼女はこちらの顔を覗き込んで問うた。


「だから、一つお願いがあるんです。良いですか?」

「ん? なに?」


お願い。


それは、強制でもなんでもなく、本当にただのお願い。


なぜお願いなのかは、きっと本当の友人としての適切な距離感にそれが合っているから。


ミウもなんとなく理解した上で、グラーシェに聞き返した。


彼女は、微笑んで言葉を紡ぐ。





「────ここにいる間も、学院を去っても。私と、ずっと友達でいてくれませんか?」





迷う暇は、一瞬も必要なかった。


ミウはただ、思ったように答えるだけ。


「もちろん。これからもよろしくね!」


どちらからともなく、二人は微笑み合った。


結局、ミウのお節介だったのかもしれない。


こんなこと、初めからわかりきっていた応酬なのだから。


でも、彼女の過去を知って。


そして再確認のように交わした約束には、きっとそれだけの意味があるのだと。


そう────ミウは思うことにした。

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