第三話

「魔法が、使えない?」

 ダベンポートは驚いてフラガラッハ卿に聞き返した。

「はい。使えません」

 フラガラッハ卿がはっきりと頷く。

「昔からそうなんです。この場所では魔法が使えません。どうやら祖父はそれが気に入ってこの土地に移り住んだ様なのですが……」

「ちょっと、試してみてもよろしいですか?」

 とダベンポートはフラガラッハ卿に訊ねた。

「はい、構いません」

 フラガラッハ卿はニッコリと笑うと答えて言った。どこか楽しんでいる様だ。

「フラガラッハ卿、リンゴか何かを頂けると良いのですが。あとできればカミソリを一枚」

 ダベンポートはフラガラッハ卿にお願いした。

「判りました。モーリス?」

「はい」

 執事が地下のパントリーへと降りていく。

 その間にダベンポートは呪文の準備をした。いつも持ち歩いている羊皮紙、ペン、それにコンパスと魔法院支給の地図。

 この地図はこの辺りの座標が正確に記された精密なものだった。これさえあればその場で測量しなくても魔法陣を描ける、ダベンポート達にとってはライフラインの様な地図だ。出張するときにはその地域の地図を持ち歩くのがダベンポート達の習慣になっていた。

 魔法院は世界各地に測量隊を送り、こうした地図で世界中を網羅しようと今も活動を続けている。何しろ東洋まで網羅しようという壮大な計画だ。すでに王国は完全に網羅され、隣国の地図も完成した。じきに新大陸の地図も完成するだろう。

「これでよろしゅうございますか、ダベンポート様」

 執事はすぐに地下からリンゴとカミソリを持って戻ってきた。

「ありがとう」

 ダベンポートはリンゴとカミソリを受け取ると、羊皮紙に魔法陣を描き始めた。

 プロッターがないので手を器用に使い、コンパスの様にして同心円を描く。地図で座標を調べ、コンパスで方位を測って領域リームの計算。

 ダベンポートはティーテーブルの上に慎重に魔法陣を置くと、そこにリンゴとカミソリを乗せた。そしてお約束の起動式。

「────」

 ついで魔法陣を起動するための固有式を詠唱。


 術者:ダベンポート

 対象:リンゴ

 エレメント:カミソリ


「────」

 固有式の詠唱と共にルーンが浮き上がり、空中で淡く光りながら回転する。

 だが、ダベンポートはそれが左回転である事に気づいていた。

 詠唱が終わると同時にルーンはただ暗くなって消えるだけ。

 呪文が起動しない。

「……呪文が、失敗フィズルした」

 驚いた様に言う。

 念のために呪文を解呪。

「驚いたな」

 こんな事は初めてだ。

 魔法が使えない場所か、面白い。

 ダベンポートは素直に面白がっていた。そんな場所がこの王国の中にあるなんてな。まだまだ世界は広い。

「いかがですか?」

 フラガラッハ卿がダベンポートの顔を覗き込む。どこか面白がる様な表情。

「本当に起動しないですね」

 ダベンポートはフラガラッハ卿に言った。

「驚きました。これは魔法院に報告しないと。あとで測量隊が来るかも知れません」

…………


 フラガラッハ親子が去った後、執事の案内で現場を検分する。

 殺人現場に見るべきものは特になかった。血まみれの死体、窓が一つ、両側は壁。ドアは分厚い金属製のものが一つだけ。

 ダベンポートは苦悶の表情を浮かべて息絶えているミス・ノーブルの死体を詳細に検分した。

「即死、だな」

 気味悪そうに背後から見ているグラムがダベンポートに呟く。

「どうやらその様だね」

 いつもの様にグラムは『こいつどんな神経してるんだ』と言わんばかりだ。

 ダベンポートは傷口に両手をかけると、少し開いて中を覗いてみた。

 傷が心臓にまで達している。一刀両断、もし剣で斬ったのであれば相当な手練れの技だ。

「心臓まで真っ二つだ。さぞ苦しかったろうな」

 ミス・ノーブルの苦悶の表情を見ながら言う。

「ふむ、犯人は左利きだな」

 と、不意にグラムがダベンポートに告げた。

「左利き? なぜ?」

 不思議に思ってグラムに訊ねる。

「ほら」

 とグラムが傷を指で示しながら説明する。

「傷が右肩から入っているだろう? 右利きが斬ったのであれば、傷口は左肩から入るはずだ」

「なるほど」

 ダベンポートは頷いた。

「執事さん、こちらに左利きの人は?」

「おりません」

 執事は首を振った。

「全員右利きです、メイドも含めて」


 その後、ダベンポートは地下のキッチンで二人の料理人シェフに会った。

 シャルルとファビオ。どちらも隣国から来た料理人シェフだ。

「ミス・ノーブル? 亡くなった人の悪口を言いたくはないけど、意地悪な感じの人でしたよ」

 と料理長チーフシェフのシャルルはのんびりと玉ねぎを炒めながらダベンポートに答えて言った。

「そこそこ美人だったけどねえ。正直僕は嫌いだったな」

 野菜を剥いていた副料理長スーシェフのファビオが言葉を継ぐ。

「殺したいほどに、かね?」

 グラムが無神経な質問を投げる。

「まあ、そう思うこともあったね」

 とファビオ。

「とにかく辛辣なんだ。やれスープの味が濃いだの薄いだの、肉にソースをかけるな、ニンジンを甘く煮るな、だのね。そりゃ感想は欲しいけど、けなされるのはちょっと、ねえ」

「でも、流石に殺しはしないですよ。そんな事する暇あったら腕を磨きます」

 シャルルは危ういファビオの答えをフォローした。

〈────〉

 何事か隣国の言葉でファビオに言い、真面目な表情で肘で脇腹をつつく。

 大方、『そんな事を言ったら捕まっちまうぞ』とでも言っているのだろう。

 ダベンポートはキッチンを見回してみた。

 ダベンポートが見たことがない調理用具がたくさん並んでいる。

 大きな包丁、銅の鍋。長いレードルに取っ手付きの麺棒。

 だが、特に目を引いたのは石炭式ではなく瓦斯ガス式の調理用レンジだった。こんなものが一般家庭にあるとは知らなかった。フラガラッハ卿はよほど新しいものが好きと見える。

(そういえばリリィは料理が好きだったな)

 ふと、関係がない事を考える。

(リリィもこういうものが欲しいのかな? だとしたら何か買ってやるか……)


 キッチンからの帰り道、ダベンポートはラウンジに立ち寄ると執事に電話を貸してくれる様にお願いした。

 全く、一般家庭で電話まであるんだからな。新しい物好きにも限度がある。

 魔法院に繋げてくれるよう交換台に頼み、電話に出た魔法院のオペレーターに遺体修復士エンバーマーのカラドボルグ姉妹を寄越してくれる様に依頼する。要請受諾。すぐに手配する。

 結果に満足すると、ダベンポートは受話器を置いた。

…………


 フラガラッハ邸を辞去する頃には辺りは薄暗くなっていた。

 馬車に乗り込むダベンポートとグラムをわざわざフラガラッハ卿とアランが見送ってくれる。

「それではよろしくお願いします」

 とフラガラッハ卿が片手を上げる。

「ダベンポート様、グラム様、このお話はくれぐれもご内密に」

 これは執事だ。よほど変な噂が広まるのが嫌だと見える。

 ふとダベンポートはそういえばアランの声をまだ一度も聞いていない事に気づいた。

「アラン君」

 馬車に片足をかけながらアランに話しかける。

「はい」

 思ったよりも大人びた声。到底八歳には思えない。

「ノーブル先生は残念だったが、気を落とさない様にな」

「そうだぞ」──と、馬車の中からグラムが顔を覗かせる──「君も紳士ジェントルマンになって、いずれはお父様の後を継ぐんだろう? 先生がいなくても頑張れ」

「いえ、僕は」

 と、アランは口ごもった。

「天文学者になろうと思っています」

「ほう?」

 驚いた様にグラムが片眉を持ち上げる。

「星の事はノーブル先生が教えてくれました。僕は将来は星の事を研究したいと思っています」

「これ、アラン」

 フラガラッハ卿は苦笑を浮かべた。

「滅多な事をいうもんじゃない。望遠鏡なら買ってやったろう」

「でも、お父様は何でも好きな事をしていいとおっしゃったではないですか」

「それは言ったよ、確かにね。だが、物事には限度がある……」

 微笑ましい親子喧嘩を聞きながら馬車に乗り込む。

「とりあえず帰ろう」

 ダベンポートはグラムにそういうと、前の小窓から御者に馬車を出す様にと命じた。

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