第四話

「ただいまリリィ」

 ダベンポートが馬車から降り、家についた頃にはもう夕食時になっていた。

 玄関にまで何やら美味しそうな匂いが漂っている。

「お帰りなさいませ、旦那様」

 パタパタとやってきたリリィがすぐにインバネスコートを脱がせてくれる。

 ダベンポートはシャツの襟元を緩めながらまっすぐダイニングに向かった。

 強烈に良い匂いだ。

 この香りは胃を直撃する。

「いや、腹が減った。リリィ、今日の夕食はなんだい?」

 椅子に腰掛けながら、ダベンポートは背後のリリィに話しかけた。

「今日はパイにしました」

 リリィがにこやかに答える。

「子羊のシェパーズパイです。旦那様がチーズをお好きなので、上にチーズを乗せてみました」

「やあ、それはうまそうだ。じゃあ、早速頂こうか」


 リリィの焼いたシェパーズパイは美味しかった。焦げたチーズ、ねっとりとしたマッシュポテト、それに甘い香りのミートソースのコンビネーション。ガーリックの効いたミートソースにはかすかに辛味がつけられ、胡椒の香りがアクセントになっている。

「今日はリリィは何をしていたんだい?」

 食事を楽しみながら、向かいのリリィに訊ねる。

 以前失敗して以来、ダベンポートは食事中は仕事の事を考えない事、そしてリリィと話す事を心がける様にしていた。

 話さなくても無論リリィは怒らない。それに悲しむかどうかすら判らなかったが、話をしないとどうにも良心の呵責にさいなまれる。なんとなく邪険にしてしまった様な気がして良心が痛むのだ。

 ダベンポートは自分にまだそんな良心が残っていた事に正直驚かされたのだが、ともあれそれ以来夕食時と夜のお茶の時間はリリィとできる限りちゃんと話す様にしている。

「今日は駅前にお買い物に行っただけです」

 とリリィはダベンポートに答えて言った。

「でも、行ってよかった。今日の子羊は良いお肉でした。そのままローストにして食べることも考えたのですが、最近ちょっとパイに凝っているのでお肉屋さんブッチャーで挽き肉にしてもらったんです」

 とリリィはセントラルに行った時にキッシュをもらった事、それが思いの外美味しかった事をダベンポートに話してくれた。

「レシピは何で探しているんだね?」

 ダベンポートもパイを片付けながらリリィに問いかける。

「女性雑誌です」

 リリィは言いながら少し赤面した。

雑貨屋さんゼネラルストアの奥様がこれからは女性も社会に出るべきだって。雑誌も読んで勉強しなさいとおっしゃったので見つけたら買う様にしています」

「ふーん、女性も社会に、か」

 ダベンポートは感心した様に鼻を鳴らした。

「正直、魔法院にいる僕にはその感覚は判らないんだが……、何も子供を産むだけが女性の人生って事もないだろう。女性の社会進出も悪くないんじゃないかな」

…………


 ダベンポートはパイを綺麗に片付けると、食後のお茶を頂いた後に書斎に引き上げた。デスクに座り、今日取ったメモを読み返す。

 今回の事件は難題だ。

 完全密室、目撃者なし、しかも魔法が使えないおまけつき。

 あれだけ大きな刀傷だ。ポケットに入る様なナイフでは無理だろう。

 だとしたら剣を持って侵入しなければならないが、その様な目撃情報は今のところは報告されていない。

(全く、警察がすぐに投げ出すから面倒事がこちらに回ってくる)

 ダベンポートは肚の中で毒づいた。

 ミス・ノーブルは鋭利な刃物でほとんど両断されていた。傷口からは肋骨の断面が覗き、切断面も綺麗だった。ほとんど股まで達していた傷口はまるで大きなカミソリで切り裂いたかの様だ。

(普通、心臓に傷が入ったら破裂する。だが、ミス・ノーブルの心臓は綺麗に二つに切られていた。そんな事、普通の刃物で本当に可能なんだろうか?)

 正直、これこそ魔法の痕跡だ。魔法以外でこんなに綺麗に人体を切断する方法は考えつかない。

(グラムは鋭利に研がれた剣で十分に速い速度で斬り込めばあるいは可能だとは言っていたが……)


 結局、あの邸宅で魔法を使えないばかりに話が難しくなっている。

 なぜ、あの邸宅では魔法が使えないのだろう?

 どうしてもそちらに考えが進んでしまう。

 ダベンポートはしばらく考えたり、魔導書のインデックスに当たったりしていたが、その問いに対する答えは見つからなかった。

 インデックスにも魔法が使えない地域の事は書かれていない。マナが枯渇するとも思えないし、どうにも不思議だ。

「クソッ」

 ダベンポートは椅子の背に身体を預けた。

(だいたい僕は魔法院の捜査官、魔法の痕跡を探すのが僕の仕事だ。それがなぜ警察の様な真似をしなければならん?)

 一瞬投げ出してしまおうかと考える。

 だが、物事を途中で投げ出すのはダベンポートが最も嫌う事だった。

 仕方なく、再び考えに没頭する。


 そもそも、密室状態と考えるのがいけないのかも知れない、とダベンポートは原点に立ち返ってもう一度考える事にした。

●ドア

侵入不可能。

●窓

侵入可能だが、証拠を残さずに部屋を出ることが出来ない。

●壁

魔法を使ってもおそらく侵入不可能。

●床

壁と同様。魔法を使ってもおそらく侵入不可能。

●天井

…………


(ふむ、天井か)

 宙を仰ぎながら考える。

 一般的に邸宅の屋根裏部屋は男性使用人の部屋だ。

(確かに副料理長スーシェフのファビオは怪しい。動機もある)

 それにキッチンにはやけに大きな包丁もあった。ほとんど短剣ほどのサイズの包丁だ。

(包丁なら、ひょっとすると騎士の使っている剣よりも鋭いかもない。切って切れない事もないか)

 しかし、シェフ達は忙しい。朝は三時から働いているはずだし、夜も遅い。ほとんどキッチンに詰めっぱなしだ。

(あとは執事バトラーか……)

 ダベンポートは今日見て回った時に取ったメモ書きを元に、フラガラッハ邸の見取り図を描いてみた。

(なるほど、屋根裏部屋からミス・ノーブルの部屋への侵入は不可能ではない……)

 フラガラッハ家の邸宅は二階建て、一階部分と二階部分の面積は同じサイズだ。

 だとすれば、二階の部屋の上には屋根裏部屋が広がっている事になる。

(あの邸宅の天井はどうなっていたっけ?)

 ミス・ノーブルの部屋を調べた時の事を慎重に思い出す。

(侵入するとなるとそれなりに大きな穴が必要だ……)

 魔法だったらあるいは遠隔攻撃も可能だろう。

 だが今回魔法は使えない。

 誰かが人の手でミス・ノーブルを殺したはずだ。そのためにはミス・ノーブルと同じ場所にいる必要がある。

(シェフなら判らんでもない……。しかし、執事はどうなんだろう)

 ダベンポートはフラガラッハ家の執事の姿を思い出した。

(ジイさんにそんなこと可能なのだろうか?)

 フラガラッハ邸の執事、モーリスはダベンポートの見たところ七十歳を超えている。

 剣を振るうには力が必要だ。しかし、モーリスにその様な膂力りょりょくが果たしてあるのだろうか?

 どうも、こちらも行き止まりの様な気がする。

 どちらに行っても行き止まり。

 手帳を見ながら唸りつつ、それでもダベンポートはいつまでも考えていた。

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