追記

子どもを欲する理由

 ふと思い出しても不思議に思うことがあったので、追記として残させて頂きます。


 あれはたぶん、抗がん剤治療も3コース目が終わり、かなり症状が落ち着いて来た頃だったと思います。妻から、息子に「おれは子どもを持つことが出来るのか」と訊かれた、と言われました。


 ここまで読んでいただいた方には、再三の繰り返しになりますが、息子は胸から下の感覚を失っています。歩くことはおろか、自力では立ち上がることも出来ず、尿便の感覚もないので、医療行為を用いて体外へ排出するケアをしています。この時も勿論、同じ状態で、さらに年齢は六歳。二次成長を迎えるには、まだ十年近い時間があります。生殖機能については、本当にその時になってみなければわからず、それまでに回復するのか、それとももう、いまの段階で、完璧に失われているのか、誰にもわからない状況でした。


 妻は即答に困り、今度先生に訊いてみよう、とだけ話したそうです。わたしも同じことを訊かれたら、即答は出来ないだろうな、と考えました。


 それから数日後のことです。息子と二人きりの病室で、その質問はわたしにも向けられました。


「パパ、おれにも子ども、出来るかな」


 そんな言い方だったと思います。わたしはやはり即答は出来ず、ただ、妻から聞いていた分、やや冷静に応じることは出来ました。


「そりゃあ、相手がいればな」


 と、あくまでも普通の返答をした後、ふと気になったことを、そのまま息子に訊いてみました。


「お前、なんで子ども欲しいんだ?」


 病気になるまで、息子は子どもを欲するようなことを話したことはありませんでした。まだ六歳でしたし、男の子ということもあったと思いますが、とにかく、親のわたしとしては、突然言い始めたように感じ、その理由があるなら聞いておきたい、と考えました。


 息子はすぐに答えました。ほとんど考える間もなかったと思います。あらかじめ考えていた、用意してあった言葉だったのだろう、と思います。


「子どもがいて、病気になったら、おれもパパやママみたいにしてみたいんだよ」


 これには、さすがに言葉が出ませんでした。この言葉をどう受けとるべきなのか。悩んだのは一瞬でしたが、非常に悩んだことは覚えています。


「……そもそも、病気にならないほうがいいんじゃあないか?」

「そうか!」


 そんなやりとりで、息子は笑っていました。


 いま、思い出してみても不思議に思うのは、何故息子は、自分が子どもを授かることが出来るかどうかを気にしたのか、ということです。確かに、半身は麻痺していますから、大人であれば、その点に不安を覚えることはあるでしょう。それとも、これが本能的なものなのでしょうか。いま、八歳になった息子は、こうした話はしません。が、いまもどこかで同じように不安を感じ続けているのかもしれません。


 小児の大病というものは、非常に難しいと思います。病気そのものも、もちろんですが、こうした心のケアは、我々大人の予期せぬ形で必要になったり、反対に必要ないものになったりするのだろう、と思います。そばにいる大人、特に親に出来るのは、しっかりと話を聞くこと、時に励まし、時に叱り、時に抱きしめること、それだけだと思います。そしておそらく、そういうものこそ、本当に必要なものなのかもしれません。そんな風に、いまは思います。

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