復学支援会議

 厳密に言えば、息子はまだ学校に通っていないのですが、公立小学校へ通う事に決めた我々に、退院からその後をどうして行くのか、学校生活をどの様に構築して行くのかを考える為の会議が取り持たれました。血液腫瘍科、整形外科の医師、理学療法士の方、ソーシャルワーカーの方、学校コーディネーター方が一同に会するものです。


 息子の下肢麻痺は、一般的には脊髄損傷という病名で理解されるものです。ただ、息子が他と様子が違っていたのは、多くの場合、脊髄損傷は、首の骨折等の事故が原因となる事が多く、息子の様に悪性リンパ腫から脊髄損傷になる、という症例が極めて少ない、という事でした。背骨を骨折する様な事故の場合、付随的に内蔵を傷付ける事が多く、それが元で多くは命を落としてしまうので、症例とした非常に珍しく、珍しいが故に、治療方法が確立されていない、という問題もありました。昨今では、首の脊髄損傷は、上手くするとかなりな所まで回復出来るものになった様ですが、それはそうした症例が多く、治療方法が様々考えられて来たからだ、との事でした。


 では、息子には、何が必要なのか。いま、そしてこれから、息子の身体の為に出来る事は何なのか。この会議で提案されたのは、治療入院終了後、リハビリ専門の病院への転院でした。


 ソーシャルワーカーの方から、二つの病院の提案がありました。一つは我々が暮らす家からは近いが、子どもの入院患者が殆どいない大病院。もう一つは暮らす家からは遠く、都道府県を二つ跨いだ先になるが、小児科があるリハビリ専門病院。リハビリ専門ですが、規模は大きく、小児学級も院内にある病院でした。この病院の事を『最後の砦』とソーシャルワーカーの方が表現していた事を覚えています。関東のある県の山奥にありながら、その設備、知識、経験、スタッフの力量等から、日本全国から回復を期待して患者が集まるのだと聞きました。


 実際、息子はリハビリ専門病院への転院を選びましたが、入院には50人待ちで、いざ入院してみると、息子と同じ病棟には、西は九州、北は東北から、未就学児から高校生まで、様々な子ども達が集まっていました。皆、リハビリを必要とする何らかの障がいを抱えてはいましたが、非常に明るく、共同生活をする中で、年長者が自然と幼い子達の面倒を見る、という社会生活が成り立っていました。そうした中で生活した時間は、息子を大きく育てた様に思います。親元にいるよりも、ただただ近隣の小学校に通っているよりも、息子は広い世界を捉える視野を持って、退院して来ました。


 それは、時系列で言えば、勿論、数ヶ月先の事になります。ソーシャルワーカーの方に提案された時には、そこまでの事は予想出来なかったし、期待出来る様な身体の状態でもありませんでした。しかし、この時まで来ると、わたしも妻も、ある程度以上の覚悟が決まっていました。息子なら、どちらを選ぶのか、息子が『取り戻す』為の最短距離は何処なのか。復学支援会議の場に息子は居ませんでしたが、何となくわかる気がしました。


 それでもその場では決定を避け、息子の希望を聞く時間を頂きました。ただ、いまはまだ、義務教育よりも、身体の事を優先すべき、というのが、集まった方々の見解であり、何処に行くにしても、リハビリの為の転院は必須との事でした。


 闘いは、まだ道半ば、でした。

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