「病気になっただけだからなあ」

「病気になっただけだからなあ」


 言葉のニュアンスは違っていたかも知れませんが、息子は首を捻りながら確かに、その様な言い方をしました。わたしはこの言葉に度肝を抜かれました。子ども特有の、根拠の無い自信から来る発言かとも思いましたが、息子は自分の身体に何が起こっているかを、正しく理解していました。下肢が動かない事。自分では立ち上がる事も、歩く事も出来ない事。排泄感覚が鈍く、尿も便も失禁がある事。それら全てが何故起こり、現状、それらが改善される事なく、日々続いている事を、身をもって理解していたし、医師からの説明も、しっかりとその内容を理解していました。その上で、息子は、おれは病気になっただけだからなあ、と言ったのです。


 病気になっただけ。ただ、歩けないだけ。身体の諸々に不調がある、ただ、それだけ。それは、例えば、走るのが遅いだけ、勉強が苦手なだけ、といった、造作もない事の様で、悩むまでもないだろう、とでも言いたげな顔をしていました。


 いま、これを書きながら思えば『子ども特有の根拠の無い自信』から導かれた言葉でもあったのだろう、と思います。実際、息子が学校に通えるようになるまでは、多大な努力が必要でしたし、多くの協力を頂かなければ出来なかった事です。それでも、息子は自分に何が起こっていて、どんなところが健常な人と違うのか、どんな困難が予想されるのかも理解した上で、ただ、それだけの事、と言い放ったのでした。


 昨今、自己肯定感の少ない子どもが多い、と見聞きした事がありましたが、息子にそれは当てはまらない様でした。何て事はない。どうせ取り戻すし。そんな言葉さえ聞こえてきそうな息子の表情に、わたしも、恐らく妻も、覚悟を決めました。息子が望む未来像を、そのまま描く事が出来るように、必要な環境整備はして上げよう、それ以上は、本人の努力次第。それはあくまでも、何もない、特別視もしない、必要以上に過保護にしない、普通の子どもとして育て上げる、という覚悟だったように思います。


 公立小学校への進学を希望し、我々家族は動き出しました。幸いな事は、我々が暮らす街の自治体の対応が、比較的理解のあるものであった事です。妻が参加してくれた入学説明会では、行政の教育委員会の方と、学校長先生に校内を案内してもらい、どこをバリアフリー化すべきかを打ち合わせし、その殆どを車椅子移動に合わせた形に改善して頂く事になりました。実際にそこへ息子が行った訳ではなかった為、また、この時点ではまだ、全身がねじ曲げる様な痙性もあり、どれ程の事が出来る様になるのかも未知数でした。それでも、受け入れの為に多くの人々が動いて下さいました。感謝という言葉では足りない思いを、わたしは抱いています。


『人生とは、出来る事に集中する事であり、出来ない事を悔やむ事ではない』


 この頃、わたしの少ない知識の引き出しから、どうにか捻り出して息子に送ったのは、宇宙物理学者のスティーブン・ウィリアム・ホーキング博士の言葉でした。言うまでもなく、息子は出来る事に集中している様に感じたので、送りました。励みにしろよ、というよりは、同じ様に考える人もいるんだなあ、という感じに話しました。いまも、息子とはこの言葉を言い合って日々を過ごしています。

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