リハビリ専門病院へ

 2018年2月下旬、4コース目の回復期も終わり、血球の数値は未だ常人よりは遥かに低いものの、一時退院の許可が出ました。がん治療入院終了後、リハビリテーションを目的とした病院へ転院する、その準備として、同病院の入院前診察を受ける為です。


 よくよく考えてみれば、制度の性格上、当然と言えば当然な事なのですが、保険診療をしている兼ね合いで、入院中は他の病院の診察を受ける事が出来ない(厳密に言えば恐らく、自費であれば出来る)という縛りがあり、息子も書類上は外泊ではなく、退院をして、自宅で一泊過ごしてから、その日を迎えました。


 高速道路を走らせ約二時間。息子が長時間同じ姿勢では居られない為、途中のSAで休憩を挟みつつ、更に目的地最寄りのICで降りてからも三十分以上。たっぷり三時間以上の時間をかけて、その病院に辿り着きました。


 冬季パラリンピックの種目に、チェアスキーという競技があります。文字通り、座った姿勢でスキーを滑る競技ですが、この病院はそのチェアスキーを開発した、発祥の地だそうです。

前の年の12月に再整備されたそうで、元々あった技術や知識、経験に、最新鋭の設備が加わった、とても綺麗で、様々な事が行き届いた病院でした。広い廊下、広いトイレ、それだけでもかなり感動しましたが、何より凄まじいと思ったのは、広いエレベーター。ちょっと想像出来ない程大きな物で、それが四基、病院の中心で動いていました。リハビリテーションを行うPT室は、部屋、というよりも、冷暖房が行き届いた体育館、といった趣で、これは凄い病院に来たな、と思いました。


 外来で、入院前の体調と、病状を確認。当然、がん治療中の病院から、情報提供は行われているので、その答え合わせをする様な診察でした。担当して下さったのは、ベテランの女性医師の方。年齢を言うのは失礼かもしれませんが、60代近いのではないか、と思いましたが、とてもハキハキと、明るく話す方で、特徴的だったのは、初対面の息子に、我々を経由してではなく、直接話すようにしていた事でした。後で思うと、それで息子がどんな性格か、入院してリハビリをやれそうか、の様子を見ていたのかもしれません。息子も息子で、物怖じしない性格な為、真っ直ぐに、自分の病状と身体の様子を、自分の語彙で伝えていたので、わたしは極力、言葉を発しない様にしていました。


 諸々が伝え終わり、先生が、


「じゃあ、この病院においでよ、君なら大丈夫だ。うん」


 と息子に言いました。続いて息子の手を取ると、にっこり笑って、


「手が動くから良かったじゃない! うちの病院は凄いからね。なんだって出来るようになるよ。君なら、この手なら、出来るようになるよ!」


 と言いました。


 この言葉、どの様に思われるでしょうか。手が動くから良かった、とか、そういう問題ではない、と思うでしょうか。そんな風に思う方もあるかもしれません。しかし、わたしも、妻も、この言葉にほっ、とした思いを抱きました。誰かにそう言ってもらえたら、わたしも妻も息子も、どんなに楽だろう、と思っていた、まさにその言葉でした。何かを失った訳ではない、まだ、これから手にする事が出来るのだ、という希望が、我々の胸の奥に灯火となって小さな光を放った瞬間だった様に思います。


 だからでしょうか。診察を終えた後の息子は、やる気満々の様子で、早くここでトレーニングしたい、と言っていました。


 が、先んじて少し書きましたが、日本全国から、この病院を頼りに患者が集まる為、息子の時で既に入院は50名待ちの状態でした。実際には息子の症状の希少さ、重篤さ、また入学直前であり、早い復学が望まれる等の理由から、これよりも早いタイミングで入院可能の連絡を頂くことが出来ましたが、兎に角、この時には転院を待機する期間が出来、息子はこの翌日、がん治療病院へ再入院したのでした。

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