薬界最強の薬

 髄注以上に、息子が、辛い、と泣いた治療薬があります。髄注は注射の痛みが問題で、それも3、4コース目まで行くと、手順が分かり、痛みもある程度は予測出来る様になったそうで、特に辛さはなかった、と話しますが、2コース目まであったその治療薬は、どう対処しても辛く、苦しい物でしかなかった、と息子はいまでも話します。


 その薬の何がそこまで辛かったのか、と言えば、これはわたしも息子の様子を目にしているので、よく分かります。その薬は点滴ではなく、内服する事になっていたのですが、信じられない程、苦いのだそうです。


 息子を担当してくれた看護師さんのひとりが、まあ、何というか、とても研究熱心な方で、入院して来る子ども達が飲む薬が、どんな物なのか、殆どの薬を1度味見(軽くなめる程度らしいですが)しているそうで、その薬について訊くと、


「あれは……ヤバいですね。間違いなく、薬界最強ですね」


との答えが。大人でも悶絶し、閉口する程の苦味、というのだから、どれ程のものか。少なくとも息子は、その余りの苦味に飲み込むことが出来ず、嘔吐し続ける羽目になるという、本当に厳しい薬でした。抗がん剤治療としては、比較的ポピュラーな物らしく、その時も、同じ病棟に、他にも内服処方されている子が居たらしいのですが、その全員が苦しみ、飲むことを拒絶するも、当然飲まない訳には行かず、無理にでも飲ませる、という、ちょっと恐ろしい世界の話を耳にしました。あの看護師さんが話した「薬界最強」は、もしかしたら「薬界」だったのかもしれません。


 薬界最恐、プレドニン。1コースにつき、5日間あったこの薬の内服は、初めのうち、なかなか上手く行かず、点滴に変えられないのか、と主治医に相談しました。しかし、CVカテーテルで入れる事は出来るものの、心臓に掛かる負担を考えると、出来れば内服させたい、と言われれば、これはやらざるを得ません。とはいえ、覚悟を決めても、味が変わる訳ではありません。苦い物は苦い。どうしたものかと考えていましたが、ここで、息子の、ちょっと変わった、と言いますか、息子特有の、性格とも言える行動が、克服に向けて効果を発揮しました。


 薬の服用は、我々親が居る時間は、基本的に看護師さんから任されました。つまり、ほぼ全て、我々が服用に付き合っていました。内服の方法を看護師さんから幾つか教えていただき、挑戦。粉薬を、如何にして味を感じることなく飲む事が出来るのか。市販の服薬ゼリーを使って良い、との事だったので、初めに試しましたが、失敗。スポーツドリンクに混ぜて良い、との事だったので、混ぜて溶かして、飲もうとするも、ドリンクの量が多すぎて失敗。失敗、と言っても、当然飲まなければいけない訳ですから、息子はその度、泣く泣く飲み干す訳です。すると、今度は溶かすスポーツドリンクの量を、息子本人が指定してきました。シリンジ(針なしの注射器)に入り切る量で薬を溶かす。薬を口に含むと同時に、スポーツドリンクで流し込む、というごり押しの作戦。息子が発案したこの方法が、思いの外、上手く行きました。その後も溶かす液体の量を増やしたり、減らしたり。流し込むのは水の方が良いのではないか、と言い出したり。我々両親と一緒に、試行錯誤を繰り返す息子。これが息子の性格でした。最初の方でも書きましたが、常に前向きに、必ず代案を考え続ける、という性格。自分で新しい遊びを作ったり、ひとつの物事に対して、こうではないか、それとも、この方がいいのではないか、と様々なアプローチを行う、妙に学者肌な子ども。その性格が、薬界最恐の薬を前に、克服するのにはどうしたらいいのか、という、難題を、遊びの様に取り組み始めたのです。仮説と実証実験の繰り返し。どこかの物理学者の様な様子で、自身の壁を乗り越える方法を、自分で探して行く、この姿に、わたしは自分の息子でありながら、ただならぬものを感じた事をよく覚えています。


 いまもこの時の話はよくしますが、やはり相当に厳しく、辛い体験だったと話します。しかし、時々、


「おれならプレドニンの苦さが分かるからさ、子ども達がもっと飲みやすい様な薬を作ってやるよ」


と言ったりします。何処まで本気かは分かりませんが、あの壮絶なるトライアル&エラーを目にした身としては、本当に作ってしまうのではないか、と思わずにはいられない所でもあります。

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