2017年12月15日

 緊張入院から1ヶ月が経ったこの日、再び主治医のY医師から、現状説明が行われました。タイミングとしては、治療の1コース目が終了し、2コース目が始まったばかりの時でした。


 悪性リンパ腫、ステージⅢ。下肢麻痺あり。肥大した腫瘍が脊髄に浸潤、神経を圧迫する事で麻痺が認められるダンベル型腫瘍という状況。この圧迫を早急に解除しなければならない、しなければ一生涯に渡って麻痺が残存する。最大限に緊急を要する症状であった為、病理診断が確定する前からのステロイド剤投与が行われ、そのまま他の抗がん剤も平行して投与。化学療法1コース目を終了した形になります。

 

 この日、Y医師から伝えられたのは、1コース目終了時点でのCT、MRI検査の結果でした。救命病棟から始まり、神経科、血液腫瘍科、HCUの医師、看護師の方々の迅速な対応のおかげもあり、主たる病巣と、転移が認められた全ての箇所で、腫瘍の寛解(消失)が伝えられました。実際の診断画像を見せていただきながらの話でしたので、わたしも写真は記憶に残っています。1ヶ月前の夜、救命病棟の個室で目にした画像とは、明らかに異なる、綺麗になった背骨とその周辺。まるでそこに何かがあった事が嘘の様な、あの夜、わたしは何かの幻を見たのではないか、と思ってしまう程の、余りにも何もない画像でした。Y医師は、まだ1年後、5年後、その先まで油断は出来ませんが、と前置きした上で、命の危険があった状況から脱した、と言えるのではないか、と話しました。


 しかし、同時にわたしも、恐らく妻も、想像したと思います。余りにも何もない画像。にも関わらず、息子はその日も、ベッドから自分では起き上がる事は出来ていませんでした。立ち上がる事も出来ませんでした。トイレに行きたいという感覚は分からず、足を触っても、触られているかどうか、それすら曖昧でした。


 Y医師も、その現状を一つ一つ、確認する様に言葉にしました。そして、


「お伝えしにくいのですが」


 と言いました。そこで、言葉が止まりました。先の言葉を言い淀んだY医師の目にあったのは、涙でした。6歳という年齢で自立、歩行、その他下肢、正確には胸から下の機能をほぼ失った息子を想った物か、それとも自分の治療を力不足と想った物だったのか、わたしは、恐らくその両方だったのだろうと思いますが、Y医師は僅かな間、言葉を紡げず、わたしはその瞬間に、全てを理解し、覚悟しました。


 環境を整えて行く必要があります。Y医師が続けたのはそんな話でした。今まで出来ていたことが出来なくなる。自宅でも、今後入学する事になる学校でも、息子が生活する環境を整えて行く必要がある。息子には、新しい自分の身体を管理し、残った機能を最大限に活かして、生活する術を身につけてもらわなければならない。その中で、様々な葛藤に苦しむ事も当然考えられ、心のケアも整える必要がある。何もかもが大きく、根底から変わる事を一つ一つ、丁寧に話していただき、わたしは理解と覚悟を確かな物にして行きました。


 寛解が確認された、とはいえ、全部で4コース予定された抗がん剤治療を、途中で切り上げる事にはなりません。しっかりと飲みきらなければならない薬、と言うものは、身近にもありますが、化学療法も同様との事でした。また、この時、Y医師から、もう少し治療が落ち着いて、体調の良い時に状況を見て、本人への告知も行おうと思う、と言われました。この時は、余り深く考えなかったのですが、それが後々、前例が殆ど無い事をする運びになるとは、思いもしませんでした。

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