リハビリ開始

 ガンの寛解が認められ、その上で、麻痺の残存が確定的になった以上、息子は自分の身体を自分で管理し、残った機能を最大限に活かして生活する術を身につけて行く事が求められる様になりました。抗がん剤治療もまだ終わりきらない2コース目と3コース目の間に、体調の良い時を見て、リハビリテーションが始められました。


 理学療法士のAさん。バレーボール選手のような長身、優男の理学療法士さんで、いまも息子の良きトレーナーとして、毎月お世話になっている方ですが、リハビリテーションが始められたこのタイミングで、初めて息子の病室に訪問して頂き、顔を会わせました。当時はまだ寝たきりの状態だった為、下肢だけではなく、上肢の筋力も低下してしまう恐れがあり、まずは横になったまま出来る筋力トレーニングと、動かせない下肢のストレッチを我々にも教えて頂き、毎日行うようになりました。


 ちょっと想像してみて頂けるといいのですが、息子の脚は、体育座りの要領で、膝を軽く曲げて座らせると、力なく左右どちらの方へ倒れてしまいます。そんな事は普通、絶対にあり得ないのですが、これが麻痺であり、神経伝達に異常がある状態なのです。この力の入っていない様子は、胸から下で起こっているので、脚だけでなく、実は腹筋や背筋にも力がなく、寄り掛かったり、手をついていなければ、座っていられない状態にある事が、リハビリを始めたこの頃に、確定的になってきました。Aさんの指導の下、胸から下腹部までを覆うコルセットの作成が決定。それだけに頼りすぎてもいけないので、背中を寄り掛からせず、手をついた支えだけで座る練習を始めました。健常な人なら、考えもせずに出来るであろう事が、やはり初めのうち、全く出来ませんでした。Aさんによると、


「胸から下が、宙に浮いている様な感覚」


なのではないか、との話でした。実際、息子の感覚に成り代わることは出来ないので、あくまでも想像でしかないのですが、自分の身体でありながら、胸より下の下肢は、自分の身体と認識出来ていないので、むしろ動作の邪魔になり、上手く操る事が出来ない。残された上肢で全ての動作を行っていくには、感覚の無い部分がどう動くのか、その感覚を、覚えていく他に、方法はない、と言うのです。


 さらに、ベッドに寝たきりにさせない為に、と、Aさんは車椅子を用意してきてくれました。抱っこして乗せてもらい、初めての車椅子操作。上半身が安定しないので、辿々しいものの、息子は初日から器用に乗りこなして見せました。


「運動神経は良い方ですかね」


とAさん。息子が保育園に通った5~6年、実はほぼ毎日迎えに通っていたわたしですが、特にずば抜けて優れて運動が出来る、という話は聞いたことがありませんでしたし、事実、園の運動会でも、一番足が速いとか、そういった事もありませんでしたので、わたしは、まあ、普通だと思います、と答えました。すると、ああ、なるほど、と思う話を聞かせていただきました。


 運動神経がいい、と専門的な方々が言う場合、その殆どは「頭で想像した身体の動きを、直ぐに取ることが出来る事」なのだそうです。一般的な、足が速いとか、◯◯というスポーツが上手いとか、そうした事は、すぐに順応出来る事の結果でしかなく、息子のこの場合も、幸いにも運動神経は良い方、という認識になるそうでした。そうしてまたここでも、息子は、前項でもあった様な妙に前向きな、学者肌な性格を発揮し始めます。自分の未知の部分を確かめるように、どうすれば上手く動かすことが出来るのかを確かめ始めました。この後の治療、リハビリにおいても、この性格は大いに、これを書いているいま現在も、息子を効果的に前進させてくれている様に思います。


 また、見事だったのは、妻でした。自作の「頑張ったらシールを貰える台紙」を作り、息子のベッドサイドに貼り出しました。筋肉トレーニングのノルマを設定し、達成したらシールが1枚貰え、何十枚かでゴールに辿り着く、というルールの物。これは保育園や小学校低学年等の現場でも、子どものやる気を継続させる方法として、実際に取り入れられているそうで、息子もその台紙にシールを集める事を励みにして、毎日のトレーニングを続けて行きました。妻は特に教育者ではありませんが、息子の性格をとてもよく理解していて、息子も厳しい状態にあるはずなのに、何故か楽しんでいるように見える程、前向きに取り組んでいました。わたしには、見事、としか言い様のない光景でした。

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