治療開始直後の息子について

 HCUの項でも書いたかと思いますが、適切な治療、薬の効果というものは、やはりしっかりとした結果を呼び込むもので、治療開始してすぐに、顔色は目に見えて良くなりましたし、自宅では殆ど意識を失っている様な状況でしたが、しっかりと起きていられる時間が長くなりました。とは言うものの、元々悪かった顔色が多少改善した程度ですし、まだまだ眠っている時間が長かったですが。


 右腕に点滴が入り、膀胱には排尿用の留置型カテーテルが繋がり、殆ど身体を動かす事が出来ない様子でした。仮にそうした物が繋がっていなかったとしても、下肢麻痺が起こっている身体を動かす事は難しかったと思います。


 皆さんは『下肢麻痺』と言う言葉から、どんな状態を想像されるでしょうか。わたしは初め、両足を自分の意思で動かす事が出来ない、熱い、冷たいといった感覚がない『だけ』だと思っていました。実際、それだけで済む人もいるとは思います。しかし、息子の場合は残念な事に違いました。これは、正確な時系列で言えば、もう少し後にわかるのですが、息子の場合は、胸より下の全ての筋肉が麻痺していたのです。とは言っても、臓器には問題がなく、問題になったのは『神経伝達で意識的に筋肉を使う行為』に限定されました。では、具体的に、何が問題になったのか。それは排泄全般です。尿が貯まってきている感覚も、体外へ排出されている感覚もない息子には、膀胱内に留置するカテーテルで、外に繋がったバッグの中に、腎臓から送られた尿を排出し続ける、という方法が取られました。また、便についても同様に感覚がありませんでした。この頃はまだ、そもそも固形物を口にすることが出来なかったので、問題にはなりませんでしたが、念の為、紙おむつを装着する様になりました。


 そうした問題が浮き彫りになって行く中、我々親にとっても、息子本人にとっても、さしあたって最大の問題と言える物に突き当たりました。排泄の問題や抗がん剤の副作用等も脇に置ける程の問題で、それは小児特有とも言える問題でした。


 『病院にひとりは寂しい』


 息子はアテローム手術の時と保育園でのお泊まり会以外に、親元を離れて外泊等した事がありませんでした。6歳ですので、まあ、そういう子が多いと思います。しかし、上記2つ例で言えば、同じ部屋に誰かしらいるものでしたし、自分の身体に、何ら不安がない時の事でした。個室で、しかも明らかに意思通りに身体が動かない状況は、自分はどんな病気で、何が起こっているのか、医師から説明を受けなくても、本能的に不安が募った事でしょう。起きて意識のある時の息子は、わたしや妻に「今日は何時までいるのか、明日は何時に来てくれるのか」と何度も何度も、繰り返し訊いていました。


 息子が入院した病棟への出入りは、カードキーで管理されていて、両親用に2枚、病院から渡されたその入退室用のキーを使えば、24時間、いつでも出入り自由とされていました。ですが『泊まってはいけない』というルールがありました。つまり、横になって休む為には、1度は帰る必要がありました。


『24時間出入り自由で、深夜も病室にいていいが、寝泊まりしてはいけない』というルールは、初め、詭弁の様なルールだと思いましたが、いまにして思うと、横になって休む時間をしっかりと作ることは、長い闘病生活を支える側に、ちゃんと休む時間が必要だ、という配慮だったのだろうと思います。しかし、息子からしてみれば、そんな事はどうでもいい事で、寂しい物は寂しい訳ですから、自分が起きている間は病室にいて欲しいと言いました。


 医師でも、看護師でもない、親が、病床の息子に、何かをしてあげられるとすれば、傍にいる事ぐらいです。であれば、可能な限り、自分達に出来ることをやって上げたい、とは思いました。しかし、前項の通り、妻も体調を崩していた中で、さすがに24時間というのは不可能に思えました。そこで、息子に包み隠さず、病院のルールを伝え、わたし達家族のルールを作りました。息子がもっと幼い頃から、我が家はこうして、3人の総意の元に、取るべき方法や方針を決めてきました。病床にあっても、それは変えずにいたいと思い、3人で相談しました。


 結果、朝は7時から、夜は22時まで、誰かしらが病室にいる、というルールになりました。これは息子がもう少し病院になれると、1、2時間は短くなりましたが、基本的には変わらず、治療入院中の約4か月間、続けました。本当に、何をするわけでもなく、ただそこにいて、時々話相手になるくらいの事しか出来ませんでしたが、最近、息子に訊いてると、あれは良かった、と話していたので、何かの意味はあったのかもしれません。

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