続・物書きは経験したことしか書けない?


今回は、ちょっとひねくれ考察であることを

先にお詫び申し上げます(苦笑)



創作界隈を巡っていると、以前取り上げたネタが、また取り上げられていて。

Twitterなんですけどね。


「物書きは経験したことしか書けない?」


やっぱりコレって物書きさんに突き刺さるテーマなんだなぁ、って改めて思います。


ちなみに、前回の尾岡の結論はやや分かりにくかったのかもしれませんが、

・もちろん空想力、想像力は大事

・でも経験ができたら、もっと力になる。

こういうことが言いたかったんですよねぇ。


でも、今回。インターネットの海で出会った言葉も、なかなか刺激的でした。

曰く、作家は経験したことしか書けないのであれば

「私は大量殺人者だ」

「異世界帰りだ」

「実はNTRれていたなんて知らなかった!」

と、これはこれで楽しい。


でも尾岡は、圧倒的多数の賛成があると

その対の回答を模索してみたくなるので、

今回は両方全部大事、と言う前回の尾岡的結論は捨てて「経験って大事かもね?」という、ヒネクレ理論で考察していきたいと思います。


いえす! へそまがり!

いえす! あんだーぐらうんど!



コトバンクで経験を検索してみました。

主には 実際に見たり、聞いたり、行ったりすること。

多くの皆さんは、こういう認識だと思います。


ただ、これを哲学的な領域に広げていくと、こういうワードがでてきました。


________________


生物体、とくに人間が感覚や内省を通じて得るもの、およびその獲得の過程をいう。体験とほぼ同義だが、体験よりも間接的、公共的、理知的な含みをもつ。


________________



さらに。



________________



哲学で、一般的には、感覚や知覚を介して実際に生じた主観的状態や意識内容をいう。



________________



非常に難しいのですが、

これはニンゲンのもつ知識というのは、

多くの人々、社会が積み重ねてきた。それこそ検証を積み重ねてきた「(客観的)経験」から成立している、という考え方です。

※自分なりに調べてみましたが、もし間違った解釈をしていたらご指摘願います。




つまり、実体験そのものの「経験」として捉えるのか

「知識」や「文化」の原泉はドコなのか、と考えるかで大きな違いがあると思います。



例えば。

「異世界ファンタジー」

それから

「なろう系」

どれも、完全無欠、自己のオリジナリティーと言えるのかというと。自己のオリジナリティーでなくても、そのお約束的世界観のなかで、作者のオリジナリティーにワクワクする。それこそが、まさに「なろう系」に代表されるライトノベルな世界、もしくはその一つだと思うんですよね。


文化――カルチャーを知ること。これって、本当に大事だと思います。

例えば、ミステリーを書く人が、ホームズを知っていること。

例えば、SFを書く人がアシモフを。ロボット工学三原則を知っていること。

例えば、ファンタジーが好きな人が、指輪物語を知っていること。


もちろん、知らなくて良いし。意図的に知る必要もない。

ただ、そういう世界を知ることで、世界は劇的に広がっていく気がします。


この考え方で有名なのは帰納法を提唱したフランシスコ・ベーコン。

①「Aさん(人間)は死んだ」

②「Bさん(人間)も死んだ」

③「人間は死ぬ」

(※ 参考資料である「死ぬほどわかりやすい哲学ブログ」より引用しました)


ちなみに合理論という考え方があります。

「今は、エロゲキャラの転生がブームか?」

「まだまだ幼馴染だ」

「ちょっと、そこを調べて書いてみるか」

って感じでしょうか?


いや、かなり語弊がある気がします。

まぁ、ココらへんはニワカですから許してください(笑)


でも、受け取った言葉を掘り下げて考察をするのは

やっぱり楽しいと思ってしまう尾岡は、ひねくれているなぁと

我ながら思うのでした^^;



【まとめ】

経験とは、もうすでに書き手が得ているものです。

(社会、環境を含めて)


自身をベースとするのは、体験です。

あとは、その自分を作り上げているクリエイティブな層を高めていくのか。

そもそも、オリジナルの空想力というものがあれば、

ドコからドコまでオリジナリティーなのか、という話もあります。


もちろん、これは盗作を推奨するものではりません。


様々なカルチャーから刺激を受けて。インスパイアされて、自分のフィルターを通して消化。もしくは再構築をしていく。

以前、交流があった方が

「錬金術」という表現をされていましたが、言い得て妙だと思います。

某漫画の表現は本当に鮮烈ですが

「等価交換」なんだと思います。


そう考えると、空想力というのは

実はすでに、ココに至るまでに

多くの人から花束としてもらっていた、

そう言える気がして。


それは本当に素敵なことだと思う尾岡なのでした。




■■■



今回の記事は「死ぬほどわかりやすい哲学ブログ」:経験論・経験主義とは?【死ぬほどわかりやすく解説】から引用、参考にさせていただきました。


これを期にまた哲学も再勉強してみようかしらと思う、尾岡でした。

人間って、フカいですよね(しみじみ

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