魔女の愛した使い魔

小金瓜

魔女の愛した使い魔

 あの山の中にはまじないを使う魔女が住んでいる。山のふもとの村人たちはしばしばそう話していた。

 そしてそれは単なる噂話ではなく、事実だった。あの山には確かに、クリームヒルデという名の、緑色のローブを着た若い魔女が住んでいたのである。

 クリームヒルデの住む小屋は山の中腹にある。そこで彼女は一体の使い魔と一緒に、ハーブを育てたり薬を作ったりして暮らしていた。

 村人たちとの交流は少なくない。丸太小屋の戸を叩けば、彼女は話に応じるだろう。必要とあれば薬を売ってくれる。それでも村人たちは、気さくな彼女の連れている使い魔が、奇怪に思えてならなかったのだ。




 さてその魔女クリームヒルデは、小屋の中でロッキングチェアに座っていた。そして膝の上に使い魔を乗せて、その身体をブラシで梳っていた。


 使い魔の名は、ニーナ・ザ・ブルーム。少しばかり大層なそれはクリームヒルデが贈った名前だった。


「でね、ニーナ。木こりのパットがぎっくり腰になったっていうから、薬を届けに行ったんだけど……あの老いぼれったら、塗り薬を口に入れようとしたのよ!」

「パットの爺さんも、もう年なんだねぇ」


 ニーナは幼い少女のような声で喋る。綺麗に色づいた飴玉を瓶の中で転がすような、そんな甘さと涼やかさを持った声だ。

 クリームヒルデは魔女であるから、枯れることの無い花や、百の彩を持つ宝石といった、美しくて不思議な宝物をたくさん持っていた。それでもクリームヒルデにとっての一番の宝物は、この愛らしい声で喋る使い魔のニーナだった。


 ロッキングチェアがゆらゆら揺れる度に、クリームヒルデの茶色く長い巻き毛が、左右に忙しなく動く。そしてその巻き毛はニーナにぺしぺし当たっていた。

 それでもニーナは、クリームヒルデの膝の上から逃げ出さず、ずっと大人しくしていた。お喋りに熱が入ったクリームヒルデは、もう満足するまで止まらないということを、ニーナはよく知っていた。


「それから、今度ソフィーとクリスが結婚するんですって。あたしもお祝いの席に招待されたから、一緒に行きましょ」

「……え? うーん、ニーナは行かなくていいよ。クリームヒルデ一人で行ってきて」

「どうして? あたしが招待されたんだから、使い魔であるあなたも一緒に来るのが筋だと思わない? というか、来なさい」

「……」


 クリームヒルデの口調は有無を言わさぬものになる。それでも黙りこくるニーナの態度に、クリームヒルデは少しだけ目を伏せた。そしてニーナを抱きしめて、今までよりずっと優しい声で言った。


「あなたが、自分の姿がパーティーに相応しくないと思っていることは知っているわ。それでも、あなたはあたしの大切なパートナーよ」


 クリームヒルデは、ニーナが弱気になると決まってニーナをその腕で抱きしめた。クリームヒルデがニーナをパートナーに選んでから、それは幾度となく繰り返されてきたことだった。


「何回も聞いたよ……でも、やっぱりニーナに使い魔は向いてないと思う」

「まったく、どうしてあなたはそんなに自尊心が低いのかしら。あたし、あなた以外の誰だって使い魔にするつもりはないのに。それに、あなたやあなたの仲間ほど、魔女に相応しいパートナーはいないのよ」


 困ったように言うクリームヒルデの声に重なり、部屋に数回響くノックの音。クリームヒルデはニーナを抱えたまま玄関に走って行き、片手で戸を開けた。クリームヒルデの着る緑色のローブの裾が、床に擦れて音を立てた。


「はぁい。クリームヒルデ、元気ぃ?」


 戸を開けて最初に目に飛び込んできたのは黒い布の塊だった。しかしよくよく見ると、ちゃんと手足と頭の付いて人のかたちをしたものであることが分かる。


「マルグリット……あなたねぇ、ちゃんとサイズの合うローブを仕立ててもらいなさいよ」

「うっさいわね、あたいにはこれが一番なのよ」


 ぶかぶかの黒いローブを着た小柄な魔女、マルグリットはクリームヒルデの旧友だった。旧友を外に放り出しておくわけにもいかず、クリームヒルデは呆れ顔をしながらもマルグリットを家の中に招く。

 マルグリットはローブのフードを外すと、部屋の中をじろじろ見回した。それは気心知れた仲ゆえというよりは、マルグリットの遠慮のない大胆な性格のためであった。

 特にその行為を気に留める様子も無く、クリームヒルデはマルグリットに訊ねる。


「で、何の用なの? いきなり押しかけてきて」

「あんた、マンドレイク育ててない?」

「あー……育ててるけど」

「一つでいいからさ、葉を分けてほしいの。もちろんお礼はするから」


 捲し立てるマルグリットに、クリームヒルデは了承の返事をした。


「ニーナ、薬用の包装紙を取ってきて」

「ん、わかったー」


 ニーナが包装紙のある棚の方へ行ったのを見送ると、クリームヒルデは窓際に並べられた数々の鉢植えをあらためる。

 鉢植えは全て、日当たりの良い窓際に置かれている。そこに生えているのは全てハーブや薬草の類い。整然と並べられたその鉢植えの中から、マルグリットお望みのマンドレイクを探し当てるまで時間はかからなかった。

 クリームヒルデはマンドレイクに特殊な薬剤を吹き付けて眠らせた。そして薬の効果がが切れない内に葉を数枚もぎ取る。


「このくらいの用事だったら、使い魔を寄越せば済むんじゃないの?」

「今日のロビンはおやすみよー。使い魔にだって休暇は必要だもの」


 ロビン。マルグリットの使い魔である蝙蝠の名前だった。嫌われ者の蝙蝠に、駒鳥ロビンなんていう愛される鳥の名を贈ったのは、マルグリットなりの愛情なのかもしれない。

 葉が綺麗に取れると、丁度そこに、巾着袋を引っ掛けたニーナが近付いてきた。ありがとう、とニーナに礼を言い、クリームヒルデは巾着袋から包装紙を出す。


「……ねぇ、クリームヒルデ」


 静かに、マルグリットはクリームヒルデに言った。


「なに? マルグリット」


 マンドレイクの葉を丁寧に紙に包みながら、クリームヒルデは答えた。


「あんた、相変わらず使い魔は『それ』なんだね」

「そうよ。……悪い?」

「悪くはないけど、変わってる。最初の内は、あんたの気の迷いかと思った」


 その言葉を聞いてクリームヒルデはむっとした。そして隣に居るニーナを撫でながら、負けじと言い放つ。


「変わってなんかいないわ、あんただって『持ってる』くせに。それに、あなたが今着ているローブを一番と言ったように、あたしにとってはニーナが一番なの」

「あはは、怒らせちゃったかな。悪かったわ」


 笑顔で謝罪するマルグリット。クリームヒルデも、その言動に悪気が無いことは長年の付き合いでよく分かっている。

 元々本気だった訳ではないが、クリームヒルデは怒りのやり場に困ってしまった。


「……とにかく、用が済んだんならさっさと帰りなさいよ」


 クリームヒルデは葉の包まれた包装紙を巾着袋に突っ込むと、それをマルグリットの手に押し付けて言った。


「ええ、そうするわ。お礼の品は後でロビンに持って行かせるから」


 マルグリットはフードを被り、再び顔が見えない布の塊になる。手足もろくに出ていないサイズ違いのローブに身を包むと、クリームヒルデに別れを告げ小屋から出て行った。

 クリームヒルデは窓の外を見る。晴れた空に、箒に跨って空を飛ぶマルグリットの影が消えていくところだった。


「ねぇ、クリームヒルデ」


 それまで黙っていたニーナに名を呼ばれ、クリームヒルデは振り返る。


「マルグリットと喧嘩した?」

「喧嘩じゃないわ。あいつはいつもああだし、あたしもいつもこうよ。あなたもよく知ってるでしょう、ニーナ」


 さあ、さっきの続きをしましょう。そう言ってロッキングチェアに腰掛けるクリームヒルデに、ニーナは緩やかな動きで近付いてきた。


「やっぱり、マルグリットの言ってることは正しいよ」


 ニーナはクリームヒルデの膝の上に戻らなかった、代わりに、泣きそうな声で呟いた。


「ニーナは、ちゃんとした使い魔になれない……」

「馬鹿言わないの」


 クリームヒルデは叱咤するようにニーナに言う。


「ニーナ、もう一度言うわ。あなたやあなたの仲間ほど、魔女に相応しいパートナーはいないのよ」

「そうなの?」

「そうよ。偉い魔女も、古い魔女も、皆あなたたちの助けを借りて生きてきたの」

「……ニーナも、クリームヒルデを助けられる?」

「もう十分助かってるわ! あなたが居なかったら、あたしは空さえ飛べないもの」

「ほんと? ほんとに?」

「ええ、もちろん。おいで、あたしの大切なニーナ」


 クリームヒルデはそう言うと、腿を叩いて膝の上に来るように促した。

 それを聞いたニーナ・ザ・ブルームほうきのニーナは、ふわりと宙に浮かぶと、クリームヒルデの膝の上に、自分の身体をそっと預けたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

魔女の愛した使い魔 小金瓜 @tomatojunkie

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説