第21話


水埜みずの…──」

 沼のほとりに立つ結沙は、そっと差し掛けられた傘の気配が明弘のものだったことに、もう平静でいられなくなってしまった。


 ──…なんで明弘が⁉


 狼狽しながらも、やがて思い当たる……。


 ──あおちゃんだ!


 そして思わず蒼に、ありったけの呪いの念を送ってしまう。

 結沙のその心の動きを知ってか知らずか、明弘の方は黙って傘をさしかけている。



「めずらしいね……」

 結沙は、すぐ隣に立つ明弘を意識しつつもすぐには声が出ず、もうこれ以上黙ってると気拙くなるタイミングになって、ようやく口を開くことができた。

「──明弘がここ来るなんて」


 そんな結沙に、とくに何を意識するでもないよう努めるように、明弘も口を開く。


「静かだな……ここは」

 目を瞑って、辺りに漂う音や匂いといったものを感じるような表情になって云った。

「結構好きだ、こういう雰囲気……」 それから深呼吸。


 結沙は、ドギマギとした目を明弘に向けた。明弘はきまり悪そうにも見える顔を結沙へと向ける。


 二人の目が合った。

 結沙が、明弘が確かに逡巡する気配を察して瞳を揺らせた…──。

 結沙の目が逸れてしまう前に、明弘は意を決しなければならなかった。


「……あのとき──」 明弘が結沙の目を見て口を開く。「……あんなこと言って、すまなかった。ほんとは俺、あんなふうになんか思ってなかった」

 神妙な云い様で続ける。

「──…ずっと謝れなくて、悪かった……」



 胸に刺さったものが、融けていく気がした。


 ──明弘、ずっと気にしててくれたんだ……。


 ずっと……ずっと気にしてくれてたのは、声音と表情から判る……。

 心の底から後悔していたことを今日やっと口にした、という緊張の面持ちが、そこにあったから…──。

 そうしたら、ちょっと怒りたくなった。


 ──それならもっと早く謝ってくれたらよかったのに……。そしたらあたし、こんなに……


 でも、怒るタイミングがない。

 自分がいまどんな表情かおになっているのかわからなくなったので、結沙は目線を外して面を下げる。

 でも、明弘の言葉だけは、耳が捉えて心に滑り込んでくる…──。


「──あおいにさ……言われた。

 俺が恥ずかしいと思ってたのは、ほんとは結沙にじゃなくて自分の小さなプライドにだろ、って……実際その通りだったから言葉もなかった」


 結沙は、はっ となった。


 ──…そっ……か……。

 今日、蒼が〝ここに居ろ〟って云った理由が、ようやくわかった気がする。


 ──…あおちゃん……。


 明弘が小さく深呼吸するのが聴こえた。


「今からでも許してもらえるかな?」

 優等生の明弘が不安そうに目を臥せ、そう云った。


 そんな明弘を見れば、結沙にはもう怒る必要なんてなくなってしまっている。

 結沙は、バネ仕掛けのように面を上げて、うん、と笑顔で頷いた。


「ありがとう」

 明弘はそう云うと、ようやく息を吐いて笑った。

 それは結沙が好きな笑い方だ。

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