第6話


 後半が始まると、目に見えて状況が一変していた。

 A組の三人組に最初に仕掛ける役割を蒼から引き継いだ浩太は、チームメイトには中盤のパスコースを消させることだけに専念させ、自らはドリブルする相手をボランチの位置の蒼とで挟みこむ。相手が苦し紛れでボールを前に出しても、蒼の背後のスペースは明弘がカバーしていた。

 前半あれだけ回っていたA組のパスの流れは、試合が成立する程度には封じ込まれていた。


   *  *


「なんか葉山くんと蒼ちゃん、息が合ってきてる?」

 興奮気味の結沙の声が隣から訊いてきても、わたしはコウちゃんから視線を外すことができずに、ただ生返事を返しただけだった。


 ──コウちゃん……高校生なんだ。……それはそうだよね。


   *  *


 この劇的な展開の中心で駆け回っている蒼と明弘、そして浩太の三人に、周囲の女生徒たちの注目も俄然集まってゆく。B組への黄色い歓声の割合が増えていった。


 ただ、守りは安定してきたものの攻めの手札がないのは変わっていなかった。

 得点を挙げるためにはどこかで無理をしなければならない。

 この場合のそれは、後半の半ば過ぎ辺りだった。


 三人組の一角から出てきた苦しまぎれの縦パスを明弘が足元に収めるよりも早く、浩太は右サイドを駆け上がっていった。

 それを視界の端に捉えた明弘が長いフィードを繰り出すのと同時に、蒼もまた中央を猛然と駆け上がる。浩太はボールに追いつくと、敵陣の深い位置でセンタリングと見せかけ切り返した──。

 後半を戦ってみて判ったことだが、あのGKはザルじゃない。B組の攻撃陣じゃ蒼くらいしかゴールできそうになかった。

 その蒼は今ゴール前へと入ってきたところだ。


 浩太はそのままゴールラインに沿って相手DFに突っかかっていくと、ペナルティーエリアへの侵入を図る。ワンフェイントで抜き去るつもりだったが、そこで引き倒された……。自分のプレーに息を吐くしかない。


   *  *


「──ナイスチャレンジ……」

 仰向けに転がった浩太に、葛葉蒼が右腕を差し出して云った。

 俺が腕を伸ばしてその腕をとると、蒼は力を入れて引き起こしてくれた。


 山之辺明弘もバックラインから上がってきていた。

 俺は二人に視線をやり──…このフリーキックで1点返す──と目で確かめた。二人も真っ直ぐに目線を返してきて静かに頷いた。


「俺が蹴る……いいか?」 蒼が訊いた。俺は黙って頷いて返す。


「葉山……、右足だったな?」

 ペナルティーエリアへと向かう俺に、明弘が訊く──…利き足のことだ。


「──どっちでも……俺、左も蹴れる」

 俺が答えると、明弘は頷いて相手バック陣の中に入って行った。



 B組は、そのフリーキックから1点を返した。



   *  *


 校庭の端にある水飲み場で顔を洗った蒼は、クラスメートの輪とともに校舎へと消えていく浩太を見送った。

 その表情がこれまでとちょっと違っているように明弘には思え、思い切って云ってみた。


「もう、いい加減いいんじゃないか?」 落ち着いた声音で云う。「たとえあいつに記憶がないとしても、〝葉山浩太〟は悪いヤツじゃないだろ」


「そうだな……」 蒼は思いのほか素直な声で答えた。「──ただ……ほんとに何も覚えてないんだな……、あいつ……」


 そう云った蒼の顔は、茜と同じように、本当に寂しそうだった……。



   *  *


「かっこよかったね……コウちゃん」

 結沙の声は、まだは後半のB組の健闘に興奮冷めやらない様子だった。

「後半だけなら1-1だよ」


「うん……」

 わたしは、自分の知らないコウちゃんに感じた〝複雑な思い〟に目を伏せて云う。

「──葉山くん、東京でサッカー部だったんだね……」


 結沙はそんなわたしに、あまり感情のない声になって云った。

「そういう……もんなんじゃない……」

 云いながら、結沙の目線は校庭の端にある水飲み場にいるあっくん明弘を追っていた。


 そんな結沙の顔を見て、それから結沙の視線を追ってあっくん明弘と蒼を見て、そして最後にまた結沙を見る。


 そんなわたしに…──、


「──あたしたちもう、人間ひととして生きていくしかないんだよ、きっと」


 そう云った結沙の顔はいつもの結沙のものと違う、どこか切なさの混じる大人びて醒めたものだった。

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