出逢った後に 6

 ──貴女は、死にたいの?


 猫の目女の問い掛ける声が耳元に残る。

 宏枝は、小さく首を振った。


 死にたくない……死にたくなんて……ないよ……!!


 それは何かの呼び水だったのか──。

 生きていたときの記憶──〝思い出〟が、宏枝の中に甦ってくる。



 おばあちゃん。いつも凛として、ぽんぽんと飛び出す快闊な語り口の、明るくて、きびしくて、でもとても優しい──。


 あれは6年生くらい……はじめて喧嘩したときのことだ。

 些細なことで言い争いになって、癇癪を起こして二階の部屋に逃げ込むわたし。

 夕食にも下りてゆかず、そのまま知らんふりを決め込んだっけ。

 夜、机に突っ伏して寝たふりの私に、そっと毛布を掛けてくれたおばあちゃん。

 意固地なわたしは、目を瞑ったまま……。


 やわらかな毛布の温かさに包まれて、窓からの秋の夜風にのった虫の声と、遠くから届いた金木犀の匂いにくるまれて──。

 世界の美しさが五感に甦る。

 生きている、ってことは素敵なことなんだ。

 わたしのこころが、何かを求める。


 ──何? よく聞こえない

 ──そういうことは、ちゃんと言葉にするの



 美緒の目は綺麗だ。

 そう気づいたのは中学二年の夏だった。


 一生懸命に演じてる自分のあちこちに綻びが生まれるたびに、わたしのこころは溢れてしまって、親しい人に向かってしまう──。

 そのときはひどかった。誰かの言った他愛無い一言に、簡単に溢れてしまったわたしは、学校の屋上に逃げ込んで、心配してついてきてくれた美緒に当たった。


 ──わたしの家庭にわたしが勝手に感じてた引け目をぶちまけ、それでもみんなには憐れんでなんて欲しくない、と感情的になるわたし。


 そんなわたしに、美緒は云ったのだ。


 そんなのわからないよ、と──。


 誰も本当にはわかってなんてあげられないよ

 あたしはひろえちゃんじゃないもの。ひろえちゃんだって、あたしじゃない……


 でも、あたしがひろえちゃんに寄り添ってあげたい、って、思った気持ちは、本当のことなんじゃないかな


 その時に、美緒の目はとっても綺麗だと感じた。

 涙がぽろぽろと零れてきて、気が済むまで泣き通したあとにも、美緒は隣に居てくれた。

 黙って、ただ肩を寄せてくれてた、その美緒の優しさが、触れた肩の温かさが、甦ってきて思い出させてくれる。


 わたしは確かに、生きていたってことを。

 死にたくない。

 死んだらもう、あんなふうに優しい時間を過ごせない。

 あの優しい時間は、なくなっちゃう。


 ──そうだよ……なくなっちゃうんだよ

 ──いま諦めたら、今までのこと、これからのこと、もう、消えちゃうんだよ……


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る