出逢った後に 5
「すまないが君はあそこへは行けない──」
脚を動かすことのできない良樹に、傍らの男は思ってもいないだろうことを言うような口調で、そう云った。
「見るのも語るのもここからで、ということでお願いしたい。そういう決まりだ」
無茶なことを云う人だ、と良樹は思った。
宏枝の背は視界の先、ずっと遠くにあって声なんて絶対に届かない。
風のうねりの中で、その小さな背中は一人ぼっちで、今にも視界の中から消えてしまうのではないかと思える。
──ここから、見てるだけしかできないのか……。
そうするうちも、脚を動かそうともがいてみたものの、ついに良樹は、この状況に抗えない事実を認めた。
力が抜けた。
この男、傍らに立つこの長身の男が、そのように状況をコントロールしていることが、何となくわかる。
敗北感にも似た感覚を噛みしめ、良樹は先ほどから脳裏に浮かんでいた、ある飛躍した考えを口にしてみた。
「死神、……ですか? あなたは」
「違う」 これは即答だった。「──しかし、キミたちにとっては、それに似たものに見えるのだろうな」
──やっぱり、そういうことじゃないか……。
良樹は訊き返す。訊いてどうなるものでもないことは、口を開く前からわかる。
「中里を殺しに?」
男が勘弁してくれ、と云わんばかりに、溜息ともつかない息を吐き出した。それが返答のつもりだったらしいが、良樹は納得できないとばかりに語を重ねた。
「なんで中里なんだ……世の中人なんてたくさんいるじゃないか……誰が決めるんだよ?……どうやって選ぶんだよ……そんな権利があるのかよ、アンタら……」
ちゃんとまとめて話せないのにイラついた。感情だけが昂って、言葉だけが口を吐いて出る。
それは滅裂な想いの連なりだった。
でも、どんな言葉を云い連ねても、結局のところ、本当に言いたいことは、ただ一つ……。
──彼女を連れて行かないでくれ。
男はひとしきりの間、ただ黙って聴いていたが、やがていい疲れて勢いを失った良樹の言葉尻を捉えて遮った。
「別に私が殺すわけじゃない──」 不思議な声音だった。「彼女が〝死ぬ〟んだ。……自分で」
良樹は男を見上げた。言葉が出てこない。
京都での、嵯峨嵐山での彼女の笑い顔を思い浮かべた。あれは死ぬ人間の浮かべる笑顔だったのか……?
そんな良樹に、男は初めて顔を向けた。少し笑ったようにも見える。
男は良樹の目を真っ直ぐに見て、噛んで含めるよう云った。
「……加えて正しく云うのなら、あそこに居る彼女は──よく訊けよ、少年。──あそこに居る彼女は、いま正に〝死んでいって〟いる……。──宮崎良樹、きみはいま、中里宏枝が正に死を受け入れようという渦中に居合わせているわけだ」
その持って回った言い回しに、何か引っ掛かるものを感じる。
──まてよ……
ある考えが良樹の脳裏を掠めていった。
「それって……」
──まだ、死んでない、ってことか?
自分のその考えに、まだ確信を持てない良樹は、恐る恐る、男の目を見る。
「死にゆく身、というわけだが、それ以上でも以下でもない……
男の口元が、今度こそはっきりと綻んだように感じ、良樹のその考えは、確信に変わる。
──いまなら、まだ間に合う! でも、いったいどうやって……
良樹のこころが色めいた。
一体何ができる?
「呼べばいい──」
良樹のこころを読んだのだろうか。正面に向き直り視線を外した男のその声は、優しい声だった。
「ただ呼ぶんだ。魂とは、惹かれ合い呼び合うものなのだから」
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