出逢った後に 2
バスを二路線乗り継いで、N大I病院の敷地内のバス停で降りた良樹は、ガラス張りの新館玄関から入ってすぐの総合案内で場所を訊くと、3階の集中治療室の前へと急いだ。
治療室前の安っぽいソファに、青ざめた顔の和服の婦人の姿だけがあった。
二重ガラスのドアの中の室内では、緑色の術衣姿が忙しなく動き回っている。状態はかなり悪いらしい。
良樹は、憔悴した婦人に会釈して、ソファに腰を下ろした。何がどうできるわけでもなく、何をどうするということでもなく、ただ状況の推移だけをじっと見守る、ことしかできない……。
廊下の先のエレベータが開き、ばたばたと駆け寄って来る音がした。
「──おば様っ、……宏枝っ……ごめっ……おそくなっ……」
取り乱し、声にならない声で泣きじゃくる女子高生──進徳館高校の空色の制服姿のその少女を、小柄な婦人はソファから立ち上がって迎えた。そのしゃんとした小柄な背筋に、宏枝の母親と、それから宏枝の面影があるように、良樹は感じた。
「美緒さん、ありがとうねっ……来てくれて、ほんとにありがとう」
気丈に聞えるその凛とした声の内に、自身の涙を必死に押しとどめている響きを感じて、良樹は〝その時〟が来ることが、もう決まっているということを理解した。
美緒と呼びかけられた女生徒は、あとはもう声を押し殺して泣くだけで、その肩にそっと優しく手を添える老婦人の姿を、良樹は見ていられなかった。
その時、集中治療室の二重のドアが開いた。マスクを外しながら医師が沈痛な面持ちで出てきた。老婦人のところまで進むと、二言三言、何事かささやく。口元をおさえた婦人が、はじめて両の手で顔を覆った。
──終わったらしい。
医師に促され、婦人は集中治療室の中へ入っていった。
美緒が、声を上げて泣いている。
良樹は、ぼんやりとその現実を見やっていた。目の前を現実が映画のワンシーンのように流れていく。
やがて、白いハンカチをぐっしょりぬらした婦人が二重ドアから出てきた。
懸命に涙をこらえて見上げた美緒に、やさしく頷いてみせる。それから良樹の方を向いた。
「宏枝のお友だちですね?」 立ち上がった良樹の前で、頭を下げる。「宏枝を見てやってくれますか」
一瞬、躊躇われた。
見てしまえば、あの映画のシーンは現実となってしまう──。
そんな怖れに、あらためて婦人の顔を見た。その目が、宏枝にとてもよく似ていると思った。
「……はい」
それで、良樹は肯いた。のろのろと立ち上がった美緒とともに、二重ドアの中へと歩き出す。
照明の光量が急に落ちたのはその時だった。ぼんやりと辺りを見回す。なぜか頬に風を感じ、薄暗くなった周囲に目が慣れてくると、良樹は荒涼とした荒れ野の中に一人でいた。
──どこだよ……ここって……
その非現実的な風景の中に居る自分を混乱するでもなく自然に受け入れていることを、良樹はさして不思議と感じなかった。
色彩に乏しい世界の果ての風景の先に、良樹は何かの存在を感じる。
遠くに人影があった。
荒野のただ中、露出した岩に腰掛けている小さな背中には、確かな見覚えがある。
──中里。
良樹は、やっと見つけたその後ろ姿に、しばし放心した。もうずっと彼女に会っていない気がする。
彼女の元へ行こうとする、……脚が動かない。
そのとき、側にいる何者かの気配に、はじめて気付いた──。
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