第8話 「…えっ?」

「…えっ?」


 卒業式。

 生徒と保護者でごったがえしてる教室がイヤで廊下に出ると…


「と…父さん…?」


「よっ。」


 父さんがスーツ姿で立ってる。

 まあ、いつもそんな恰好はしてるけど…

 今日はネクタイまでしてる…!!



「どっどーして?」


「どーしてって、娘の晴れの日には、やっぱな。」


「だって、絶対来ないって言ってたじゃない。」


「気が変わった。」


 あたしと父さんが話してると。


「…どうやら、華月かづきには母さんが見えないみたいね…」


 父さんの後ろで、拗ねた唇の母さんが言った。


「母さんまで?」


「せっかく二人で来たのに、華月かづきったら千里ばっかり。」


「妬くな。」


 母さんの言葉に、父さんは嬉しそう。


 び…

 びっくりした。


 母さんは何度か授業参観に来てくれたことがあるけど…父さんに関しては、学校行事には絶対参加しないって言ってたのに。

 幼稚舎の時、一度だけ来てくれたけど…それっきり。



「入学式ん時、来てないしな。」


 桜花はエスカレーター式だから、入学式は中学の時だけ。

 あの時は、おばあちゃまが来てくれたっけ。



「没収。」


 突然、父さんがあたしの眼鏡をとって、自分のポケットにしまった。


「あ…でも…」


「これも、ほどけ。」


 続いて、あたしの三つ編みをほどく。

 母さんが、あたしの前髪をかきあげて。


「いつもの華月かづきね。」


 バッグからピンを取り出すと…あたしの前髪をクルクルとしてトップで留めた。


「よくも長年ブスを通したな。」


「…失礼ね。」


 爪先を見つめる。

 …どうしよう。

 叫んじゃいたいほど、嬉しい。



「…ねえ、あれって…」


 ふいに、教室から声が聞こえる。


「…かみ千里ちさとじゃない?」


「えっ…?どうしてこんな所に…?」


 父さんは芸名のままだし、母さんはを素性を明かしてないうえに顔も知られてない謎のボーカリスト。

 クラスの誰一人、あたしが有名人の娘だなんて知らない。



「目立ち始めたな。じゃ、先に体育館行っとくか。」


 父さんが、周囲を見渡して言った。


「うん。」


「あ、きよしは何組だ?」


「六組。」


「じゃ、あいつんとこも寄って行こうか。」


 父さんが、母さんの肩を抱き寄せる。


「もう、こんなとこで。」


「おまえ、この校舎使ってたのかよ。」


「二年まではね。」


「あははは。そっか、卒業してないんだっけな。」


「誰のせいよ。」


「俺のせいかよ。」


「千里のせいよ。」


「俺が何したっつーんだ。」


「あら、忘れたの?」


「ゆっくり聞かせてもらうとするかな?」


「もう…」


 父さんが母さんの腰をグッと抱き寄せて、耳元で何かささやいてる。

 あたしは目を細めながらそれを見て。


「…ちょっと。」


 たまらず声をかけると。


「え?」


 二人はキョトンとした顔で振り返った。


「仲がいいのはいいんだけどさ…目立ってるから、早く行けば?」


 あたしが駆け寄って小さく言うと。


「目立ってるのは、俺らだけのせいじゃないと思うけどな。」


 って、父さんはあたしを指差した。


「じゃ、あとで。」


 歩いてく二人を見送って、あたしは教室に入る。

 嬉しくて、つい…顔がニヤけてたかもしれない。


「……」


 ふいに、注目を浴びてることに気付く。

 眼鏡がないせいで、いつもより視界が広い。


「…おはよ。」


 あたしは普通に挨拶して席に座ると。

 父さんと母さんの後ろ姿を思いだして、また嬉しくなってしまったのよ…。




 * * *



華月かづきちゃん!!おめでと~!!」


 グラウンドに出ると、紅美くみちゃんが走ってきた。


「あ、ありがと…紅美くみちゃん。」


「やっと、いつもの華月かづきちゃんで来てくれたね。嬉しかったな~。みんな、華月かづきちゃんのこと見てるんだもん。」


 父さんに眼鏡を没収され、三つ編みもほどかれ、母さんに前髪を上げられたあたしは…すっかりモデルの『華月かづき』で。

 卒業式の最中、めちゃくちゃ目立ってしまって。


「写真お願いします!」


 なんて頼まれて、何人の人と写真を撮ったか…


 不思議だな。

 髪型と眼鏡だけで、こんなに変われてたなんて。



華月かづきちゃん、頑張ってね。モデル。」


 ふいに、紅美くみちゃんが、あたしを抱きしめて言った。


「うん。」


「でも、寂しいな~…華月かづきちゃんが卒業しちゃうと。」


沙都さとちゃんが入ってくるじゃない。」


沙都さと華月かづきちゃんじゃ、次元が違うよ。」


 沙都さとちゃんは、詩生しおのバンドのドラマー、希世きよちゃんの弟で。

 いつも紅美くみちゃんにくっついている。



「あー、誰かと思えば、詩生しおちゃんか。」


「…えっ?」


 あたしに抱きついたままの紅美くみちゃんが、耳元でつぶやいた。


「グラウンドの真ん中、すごいファン群がってるよ。大変だね~アイドルは。」


 ど…どうしよう…

 詩生しおの名前を聞いただけで、すごくドキドキしはじめてしまった。

 これじゃ、紅美くみちゃんにバレちゃう。


「…あ、ファンをふった。」


「…え?」


「一人で、こっちに来てる。」


「ひ…一人で?」


 やだ。

 ドキドキが止まらない…


「…何くっついてんだよ。」


 背後に、詩生しおの声。


「えへへー、うらやましい?」


「く…紅美くみちゃん。」


「あー、華月かづきちゃんの肩って細いなあ。」


「…離れろよ。」


「おっ、妬いてるね?」


「るせっ。」


「じゃ、離れない。」


 紅美くみちゃんが、いっそう強く、あたしを抱きしめる。


「おまえ、沙都さとが探してたぞ?」


「いいの。あんなハイテンションの中坊相手、結構疲れるんだから。」


「四月から晴れて同じ校舎だ、ってはしゃいでたぜ?」


「帰っても一緒にいんのに。」


 こうやって、話してる間も。

 紅美くみちゃんは、あたしにベッタリ。


「…華月かづきに話しがあんだから…離れろよ。」


 は…話?


「妬いてる?」


「……」


 あたしは、紅美くみちゃんと詩生しおの間で固まったまま。

 何をしゃべったらいいかわかんなくて、黙ったままでいると。


「…妬いてるよ。妬けるから、離れろよ。」


 詩生しおが、すねた子供のような声で言った。


 …妬いてる?


「最初からそう言えばいいのに。」


 紅美くみちゃんは、あたしから離れると。


「じゃあね、ごゆっくり。」


 って歩きかけて。


「あ、そうだ。」


 あたしに向き直った。


「え?」


「卒業、おめでと。」


 あたしの頬に、軽くキス。


「くっ紅美っ!」


 詩生しおが、怒鳴る。


「あははは、じゃあねー。」


 笑いながら走ってく紅美くみちゃんを見送って。

 あたしは、恐る恐る詩生しおの影を見つめた。


 …話って…話って…

 やっぱり、あれかな…


 キス…の、こと?



「ったく…紅美くみの奴。」


 詩生しおはブツブツ言いながら、あたしに…近付いた。


「…おい。」


「えっ…え?」


 振り向かずに返事だけすると。


「…こっち向けよ。」


 案の定、不機嫌そうな声で、この言葉。

 グラウンドの真ん中では、今度は父さんが囲まれちゃってるのが見える。


「あー…父さん…大丈夫かな…」


 あたしが小さくつぶやくと。


「こっち向けって。」


 詩生しおが、あたしの肩を掴んで向き直させた。


「っ…」


 驚いて、ひきつった顔をしてしまった。

 そんなあたしの顔を見て、詩生しおは少しだけ目を細めて。


「わりぃ…痛かったか?」


 って…あたしの肩から手を離した。


「う…ううん…平気。」


 あたしは、うつむいたまま答える。


「…おまえさ…」


 詩生しおが、低い声でしゃべり始めた。


「なんで?」


「…え?」


「なんで、あの時…ごめんって…」


「……」


 やっぱり。

 聞かれるとは思ってたけど…

 そんなの、あたしにだって、わかんない。

 あの時…詩生しおに触れたいって…そう思ったのは事実だけど…



「…俺とキスしたの、そんなにイヤだったのかよ。」


「いっいやだなんて…」


 初めて顔をあげて…詩生しおと目が合った。

 …心細そうな、子供みたいな目をしてる…



「…なんて…言っていいのか…わかんない。」


「なんだよ、それ。」


「……」


「…俺は…」


「……?」


 ふいに、詩生しおが真顔になった。


「俺は…おまえが好きなんだぜ?」


「……」


 思わず、口を開けて見つめてしまった。

 詩生しおは今…あたしを好きって言った?


「まさか、全然気付いてなかったとは言わねえよな?」


「ど…どうして?」


「俺は俺なりに…意志表示してたんだぜ?CDを一番に聴いてもらいたかったのだって、華月かづきのこと好きだから…」


「……」


 CDを一番に聴かせてもらえた件については、いい奴…って。

 あたし、それくらいにしか思ってなかった。

 確かに…ただの友達じゃ、そんなこと…


「…おまえ、俺のこと、どう思ってんだ?」


「え…?」


「どうして、キス…拒まなかった?」


「……」


 見つめたまま、言葉が出ない。

 どうしてって…



「あ…あたし…」


「……」


「あの時、詩生しおに触れたいって思った。」


 詩生しおは、首を傾げて…少しだけ、優しい目になった。


「でも、まさか…キスなんて思ってもみなくて…ボーッとしちゃって…気が付いたら、キスしちゃった…って、急に罪悪感っていうか…」


「罪悪感?おまえ、俺とキスして罪悪感?」


「あ…ああ、ち・違う…その…なんて言えばいいの?」


 すごく困って。

 結局、詩生しおに問いかけてしまった。


「なんてって…俺に言われても。おまえの気持ちを聞いてんだよ、俺は。」


「あたしの気持ち…」


「…俺のこと、別になんとも思ってないなら…」


「……」


「…なんとも思ってないのか?」


 ふいに、詩生しおが悲しそうな瞳で、あたしの顔をのぞきこんだ。

 詩生しおに見つめられて、あたしは赤く…って。

 どうして、赤くなるの!!あたし!!



「なっなんともだなんて…」


「…ハッキリしてくれ。」


「どうして?どうして、急に…」


「急じゃねえよ。ずっと、こういうチャンスを待ってた。」


「……」


 チャンス…?


「なんかさ…俺、妙に目立ち始めたし。華月かづきにも嫌な思いさせちまったみたいだし…絶対、俺らってスレ違いのまんまかもなって思ってたんだ。」


「…詩生しお…」


「俺、きっともっと忙しくなる。華月かづきだって、そうだろ?」


「う…うん…まあ…」


「そしたら、もう会うことだってままならなかったりするじゃん。」


 …そっか。

 詩生しおと、今までみたいに気軽に会ったりできないんだ…


「だから、ハッキリしときたかった。俺の気持ち……おまえの、気持ちも。」


 ドキ。

 あたしの気持ち…


「あたしは…」


「うん。」


「思ってることでいい?」


「…ああ。」


「あたしは、詩生しおのこと…一番居心地のいい奴だと思ってる。」


「…居心地?」


「一緒にいて、なんて言うのかな…あたしがあたしでいられるって言うか…心が安らぐって言うか…」


「……」


「ごめん、うまく言えない。だけど、それは他の人にはないことなの。」


「…華月かづき。」


「ん?」


「それ、言い換えたら、何?」


「…言い換えたら?」


 一番居心地のいい奴=心が安らぐ=他の人にはない=……好き…?


 頭の中に図形ができて。

 目が泳いでしまった。

 そんなあたしの表情に気付いた詩生しおは。


「抱きしめても、い?」


 って…


「きっ聞きながら実行しないでよ!まだ返事してないっ!」


 あたしの返事も待たずに、あたしを強く抱きしめた。


華月かづき、すっげドキドキしてる。」


「やっややややっ!離して!」


 やだ!

 こんな、自分でも驚くほどのドキドキ!

 詩生しおにわかっちゃうなんて!


「いいじゃん、俺だってドキドキしてるし。」


「うっ…嘘…」


「ほんと。」


 とりあえず、暴れるのをやめる。

 少しだけタバコの匂い。


「……ねえ、詩生しお。」


 詩生しおの胸に、体を預けて…言う。


「ん?」


「…父さんが見てる…」


 あたしの言葉に、詩生しおは驚いたように離れると。


「逃げよう、華月かづき。」


 あたしの手を取って、校舎の裏に走ったのよ…。

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