第6話 力のない者達
鷹丸は目を覚ました。肉片が散乱する床にうつ伏せになっている。
「どうして……!! どうしてですか
「我らを……!! 我らを喰わせれば良かったのに!!」
そんな男の嗚咽混じりの怒号を聞いて、飛び起きる。
鷹丸はその光景を見て、愕然とした。
息も絶え絶えの白飾様に弥彦と弥太郎が寄り添っている。白飾様の右腕と右足は失われていた。純白であった裾は破れ、赤黒く滲んでいる。
「腹は膨れたか……? 餓鬼よ……」
全員が生きている。晴姫にも傷一つ見当たらない。何があったのかは床に散らばる残骸が教えてくれた。
「あの何百もの触手と、その右の手足を捧げたのか……? 何のために……?」
鷹丸には理解できなかった。そうまでした意味がまるでないからだ。結局、白飾様は見るも無惨に衰弱している。
「はやく、私の血を飲んでください!」
弥太郎は懐から盃と短刀を取り出した。
そのまま、自身の手を切ろうとする。
だが、白飾様はそれを許さなかった。
「お前達からは血を抜いたばかりだ……。これ以上はいけない……」
人が鬼を憐れみ、鬼が人を憐んでいる。ますます鷹丸は混乱した。
「血で良いのですか……?」
晴姫は白飾様の前にしゃがむと優しく尋ねた。
「ああ、なんせ私は
それを聞くと晴姫は弥太郎から盃と短刀を手探りで受け取ると、そのまま自身の左手に刃を向けた。
「晴姫様!? なりません!!」
「良いのです。この鬼は、鷹丸様の内に潜む鬼を知っています。話して貰わねば困るのです。」
晴姫が力強く語ったその言葉に鷹丸は事態を理解した。
まただ。また晴姫は自身の仇を前にして、私を救おうとする。
しかし、鷹丸はその短刀を取り上げると、華奢で柔らかな肩を抱き、目の前の悪鬼から引き剥がす。
「なりません。鬼人は更に凶悪で、聡い。隙を見せれば熟練の封師ですら簡単に死ぬのです。晴姫様……。殺すか、殺されるかです……」
鷹丸は、優しく言い聞かせるように語る。
晴姫はその美しい顔を鷹丸に向けると、彼女も同じように語りだした。その言葉に鷹丸は愕然とする。
「鷹丸様……。それは殺す事ができる者の言葉です。殺すという決断の中で、殺される事を覚悟した
鷹丸はいつも殺す側にいた。人間であれば複数と戦えるだけの鍛錬を積んでおり、また劣勢になっても内なる鬼が全てを喰らう。殺される事を心配しなくて良い。それ故に、考えたこともなかったのだ。
力のない者が何を考えているのかを。
それは弥彦と弥太郎であった。
2人は両手をつき、その額を床に擦り付け、懇願した。
「どうか……!! 白飾様に血を……」
「お願いいたします……!! 恨み憎しみは当然のこと! ならば我ら兄弟の命でどうか……。どうか……」
再三訴えかけていたこの2人の言葉を白飾様は聞かなかった。そして、鷹丸は目覚めてからここまで、この2人をいない者のように扱っていた事は間違いない。
鷹丸は初めて耳を傾けた。
数年前、戦の余波により住む場所を失った民達は廃城に流れ着いた。そこに住む吸血鬼に、自分達の血を提供する事を条件に、安寧を約束させた。
要約すればこうだ。
この兄弟は自らの命よりも民の事を考えていたのだ。白飾様を失うことによって起こる絶望を理解している。
ここで白飾様を殺してしまえば、この鬼灯城はすぐにでも近隣諸国の侵略に合うはずだ。ここにいる民達を自身の選択が殺した事になる。鷹丸は人の死を背負い過ぎている。さらに背負うにはあまりにも骸の数が多すぎる。牛飼の老爺の町で見た最後の景色があの平和な城下町に重なってしまう。
「血を飲ませますね」
晴姫の言葉にこくりと頷く事しか鷹丸はできなかった。
晴姫は白飾様の前にかがみ、弥太郎と弥彦に助けられながら自身の左手を切る。ポタポタと盃には鮮やかな紅色が満ちていく。
そんな最中、白飾様は2人の兄弟を遠ざけると晴姫にだけ聞こえるように声を落として語りかける。
「晴姫。
「貴方があのご兄弟を庇ったりしなければ、思いつきもしませんでした。仲がよろしいのですね」
「家畜だとしても、何年か共に過ごせば情が湧くんだよ……」
晴姫はそっと床に盃を置くとその場を離れた。
そして、白飾様は彼女の血を一口だけ飲むと盃を床に置いてしまう。息は整い、傷口も塞がり始めている。だが、全快とは到底言い難い。盃にも血はまだ残っていた。
「これで十分だ……」
晴姫がなぜと言いかけると白飾様は言葉を続けた。
「貴方を監禁し、死ぬまで血を採取し続ける算段だった。そんな私を救ってはいけないよ。取引の範疇にだけ生かしておくぐらいが、互いにとって楽で良い」
晴姫は俯いた。
両親が殺された直接の原因を作ったとはいえ、自身の提案で衰弱した者をそのままにしておくのは気が引けた。故にケジメのつもりで血を与えた。
だが、白飾様はそのケジメを受け入れず、配慮で返した。2人がここを去るまでの間、手を出す事ができないほどの傷を残す事で少しばかりの安心を与える事ができる。
だが、「それでも……」と晴姫は思ってしまう。
「さぁ約束の、奥州の餓鬼について話そうか。さて、どこから話せば良いのやら……」
晴姫の様子を見かねた白飾様はポツリポツリと話し始めた。
「私の師は最も情けない鬼とは吸血鬼だと言った。肉は喰らわず、血だけを飲む。そのため成長が他の鬼と比べて断然遅い。だが、最も憐れな鬼はと聞かれた時、それは餓鬼だと答えた」
餓鬼とは本来、成長のない鬼である。
それは餓鬼が喰おうとするものは全て、触れた瞬間に燃え上がり、跡形もなく無くなってしまうからだ。それ故に常に飢えており、時が経つほどに弱くなっていく。次第には人を殺すこともできなくなる。そんな存在が餓鬼である。
だが、100年以上前、奥州に特異な存在が現れた。それは喰おうとするものではなく、自身を燃やし続ける餓鬼である。何かに飢えたように全てを喰らい、奥州全体で長い時を暴れ回った。唯一無二の存在として『奥州の餓鬼』と全国に知れ渡るのだが、ここ20年ほどでその目撃情報はピタリと止む。封じられたという報せもないまま、次第に世間から忘れられていった。
「まさか、人間の中にいるとは思わなかったよ」
「確かに俺の生まれは奥州です。そんな鬼だったとは……」
100年以上も暴れ回り、誰も封じることのできなかった鬼を、対処できる封師が存在するのだろうか。鷹丸にはそんな不安が積もっていく。
「この鬼を倒す方法はないのでしょうか?」
「知っていれば、このような姿になっていないよ」
そう笑う白飾様だが、一呼吸置いて「だが……」と言葉を続ける。
「私の師なら、知っているかもしれない。奥州の餓鬼と同じく、100年以上生きている鬼だ」
「鬼に頼れと!? いや……」
人の力の及ばない代物ならば、人を超えた鬼に頼るというのは悪くない。そう鷹丸は考えた。教えてもらえないのならば、自害して殺し合いを強制できる。納得がいき、すぐに彼の決意は固まった。
「師は
そうして、鷹丸と晴姫は城を出て、町に降りる。二人は手を繋ぎ、その足元を綺麗な満月が照らしていた。既に祭りは終わり、町そのものが寝静まっている。
鷹丸を留めておく為に弥太郎が取った宿にそのまま2人は泊まった。
疲れのせいか、すぐさま眠りについてしまい、気がつけば朝日が窓から差し込んでいた。
鷹丸は晴姫を優しく起こすと二人はまた手を繋ぐ。
入浴や食事、旅に必要な買い物を済ませると、門へと向かった。
ふと、鷹丸は前方からやってくる男に目がいった。
おんぼろの笠を被った中年の男、雨も降っていないのに
その男は天守閣を見て笑っていた。
通り過ぎてもなお、あの笑顔が鷹丸の頭に張り付いて離れない。
「どうかしましたか?」
「いえ、何でもありません」
鷹丸は頭を振りその顔を追い出すと、握った手の力を緩めた。
晴姫の歩調に合わせ、旅が始まる。
目指すは相模国。
内に潜む餓鬼を封じるために鷹丸は街道を歩みはじめた。
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