第7話 白飾様

「お二人は先ほど、旅立たれました」


 天守閣の高座。ぐったりと座る白飾様に、弥彦は声をかけた。

 白飾様は天井を見上げ、ため息を漏らすと右腕が無くなったことを確かめるようにその肩をさする。


「欲を出すと痛い目を見るものだね……。ひと月くらいで力は大体戻るだろうが、それまでは苦労をかける……」


「何を言っているのですか。そのくらい、まつりごとの範疇でどうにかなります。お任せください」


 弥彦の力強い言葉に、白飾様は驚いた。彼がここまで凛々しくものを言った事があっただろうか。昨日の出来事が与えた変化なのだと理解すると、白飾様は頭巾に隠れて微笑んだ。


「私は民から血を集めて参ります。そのまま安静になさっていてください」


 弥彦の姿が見えなくなると、開かれたままの襖から覗く青空を眺めた。ゆっくりと白い雲が流れていく。


「あれからもう8年か……」



 *

 

 しがない鬼人であった私が長い旅を経てたどり着いたのは、風になびく廃城だった。どこかに腰を落ち着けたい。そんな中、月の良く見える景色とその近くに小さく咲いた鬼灯を気に入り、この城に住むことにした。



 食事には困らなかった。近くでは頻繁に争いが起きている。転がっている死体から血は得られた上に、武装をした者共も時折この廃城に迷い込んでくる。

 不自由のない生活に満足しつつも、その平坦な毎日に退屈を感じ初めていた。


 その夜は強い雨が降っていた。天井から漏れてくる雨に嫌気が差しながらも、その雨音に耳を澄ます。数十人の足音が混ざっているのに気がついた。

 だが、まだ遠い。朽ちた天守閣からその足音の方角を見ると、老若男女が悪意に満ちた武者達に襲われている。その最後尾では二人の若者が武者達と刃を交えながら人々を庇いら必死に逃げる時間を稼いでいた。

 

 この城を逃げ場所としているのだとすぐにわかった。


 ひとり、またひとりと死んでいく中、続々と人々はこの城まで辿り着いている。

 二人の若者はまだ、城の外だ。逃げ遅れた老人のために必死に時間をつくっているが、その身体には傷が増えるばかり。彼らはお互いを庇い合うことで、死を回避している。


 そんな光景を見て、なぜか師の言葉を思い出した。


【肉を喰わず、血を啜るだけの吸血鬼きゅうけつおには最も情けない鬼だ】


 その通りだと思っていた。鬼人となった今でも人を襲ってまわらないのは、その自覚と劣等感からだ。同じ年月を生きた鬼はもっと強いことを知っている。そのために慎ましく生き、それが自身が健全でいられる理由だと自負していた。


 だが、今でも驚くのは師がこの後に続けた言葉である。


【だが、私はそれが羨ましい……。吸血鬼は

 唯一、鬼だから……】


 

 あの武者達をことに決めた。

 理由をつけるなら、この言葉を思い出させたからだ。


 雨除けのために、薄汚れた白い布を頭と上半身に被ると天守閣から飛び降りる。

 賊に囲まれた二人の若者の前に降り立った。


 面白い光景だ。いやらしく笑っていた者達の顔が一瞬で恐怖に変わり、その膝を振るわせている。力を振り回す人間の「自身は弱者なのだ」と理解する瞬間が堪らなく、私を興奮させる。


 他愛なく無数の触手でその者達の血を飲み干すと、その萎れた死体ゴミを遠くに投げる。


 存外、腹が満たされた。


 逃げてきた者達は適当な部屋に閉じ込めて、また明日にでも喰らおう。


 そう思い振り返れば、先ほどの若者二人は泥となった地に両手と膝をつき、額を擦り付けていた。


「すぐにここを立ち去ります……。どうか、あの者達はお見逃しください……」


「我ら兄弟の命でどうか……。どうか……」


 この兄弟は弱者として慎ましく生きているのだと理解した。恐怖よりも、絶望よりも、懇願が先に来るほど彼らの人生は情けない。

 

 それがたまらなく気に入った。


「取引をしないかい?」


 これが白飾として生きるはじまりだった。


 力の弱い人間のために周囲の木々を伐採し、運ぶ。家を作るために、城を修繕するために多くを必要としたが、鬼の力と数多の触手を持つ私には容易い作業だった。

 美味い血を飲むために、奴らの餌として猪や鹿などを狩りに行くこともあった。

 城が形になり始めると次第に賊が襲う事も多くなる。それを蹴散らせば蹴散らすほど、周囲の村から移り住む者が多くなった。


 城の存在が周知され始めると、鬼である事を隠すために全身を白で覆う。


 あれから一年が過ぎ、民達は本心から私を敬うようになった。


「白飾様! 城壁の周りに鬼灯の種を蒔いてみたんです! お好きなんですよね?」


 鬼灯城となったのはとある女性の好意からだった。皆が寝静まった夜は鬼灯を眺めている。それを誰かが見ていたようだ。


「白飾様はご存知ですか? お盆の時には先祖が帰ってくるための目印として、これを飾るのですよ」


 自分の好きなものが、彼らにとって大切なものであったのだ。


「ならば沢山植えると良いよ。その方が、君達がここにいると気づいてもらえるだろうから」


 そう、なんの気無しに言った言葉に皆えらく感動していた。人間にとって、死者と故郷は特別なものだと初めて知る。故郷を捨てる事でしか生きられなかった者達。そんな彼らの思いもあって鬼灯の海ができあがった。


 そして、城を故郷とする子供達が増える頃には、民は百を大きく超えはじめる。


 鬼灯城として、近隣諸国に認知されると小さな戦争がはじまる。

 それに応じて、人間社会や周辺の国との力関係も理解する。


 民を、彼らの故郷を守るためにはもっと力が必要だと思い始めていた。


 そこにとある噂が飛び込んでくる。

 強い煌を持つ少女の噂であった。




 *


 白飾様は自身と環境の変化に笑った。

 振り返ればあの時は、何も考えずに取引を申し込んだのだ。民に好かれる城主になるなんて思ってもいなかった。だが、退屈はあれからしていない。


 木の軋む音がする。誰かがこちらを目指して城内の階段を登る音だ。そして、すぐに足音が聞こえるようになる。成人男性の重い足音。

 弥彦か弥太郎が血を運んでくる時間。

 この兄弟は私のかけがえのない友人だ。

 兄の弥彦は、政治を行なってくれている。弟の弥太郎は民達の声を聞いてくれている。


 鬼灯城となってから、私は何度も助けられている。力が弱まってやっと、そのことに気がついた。


 感謝を、日頃の感謝を伝えよう。


 だが、現れたのはボロボロの笠を被り、蓑を着込んだ男であった。青空を背後にその格好は実に奇妙で、また無精髭を生やした口元は笑みを浮かべている。その顔の大部分は笠で影になっていた。


「鬼人か……。それもだいぶ弱っているな? 運が良い」


 その男は両手に一丁ずつ、短い鉄砲を持っていた。その先端に付けられた刃がキラリと光る。


 自然と乾いた笑いが私の口から溢れ出た。


「これはまた、やけに荒んだ封師だ……。どこで聞きつけてきたのやら」


 この封師からは明確に、封じる意思が感じられる。

 今の私には抵抗する力もない。逃げる事もできない。そんな事はこの封師も気づいている。


 奴は何も話さなかった。ただこちらに近づき、二つの銃口を向ける。


 

 どうしようもない状況。ふと、頭に浮かぶ親しい者達を思い、ゆっくりと瞳を閉じる。


 私にできることを全うしよう。


「なんのつもりだ……?」


 封師の冷たい声色が背中から聞こえてくる。

 その冷たさの中に困惑を感じる。

 それも無理はない。


 目の前の鬼人が、片方の手足が欠けた身体で土下座をしているのだ。

 懸命にその額を床に擦り付けて懇願する、その情けない姿を今、封師は見せつけられているのだ。


「あなたが門から入り、この天守閣に来るまでにすれ違った者達……。その者達とその家族を守らねばならない……!! どうか見逃して欲しい!!」


 私の心からの想いであった。あの時の二人の弱者のように、誇りなどは土に汚し、名誉などは泥に漬ける。


「断る」


 だがそれでもと、額を強く床に押し付ける。


「多くの命を守るためです……! 封師ならばどうか、あの罪のない者達のためにお見逃しください……」


 銃口は変わらずこちらを向いている。

 封師は飢えた獣が唸るように大きく息を吐いた。


「お前の守る民の数は幾つだ? それはお前が殺した数、いや、これから殺す数よりも多いのか? 」


 封師が吐き出した息と言葉には苛立ちが含まれている。


「私は彼らの守っています。数で測る事はできません」





 弥彦と弥太郎は階段を駆け登っていた。血を入れた瓶をかかえ、その重さに満足げな表情を浮かべる二人の足取りは羽毛のように軽い。


すぐに天守閣に辿りついた。

 

「……ん?」


 空いているはずの襖が閉まっている。

 兄弟は目を見合わせた。

 

 誰が閉めた?

 

 弥彦は嫌な予感を吹き飛ばすように、襖を強く開け放つ。


 それと同時に飛び込んできた絶望が、二人に襲いかかった。


 高座にひとつ、黒い石が転がっている。

 見慣れた純白の公家衣装の上で輝いている。


 その手からは瓶が溢れ、その破片と中身が床に散る。


 「あ、あ……」


 ゆらゆらと歩き、二人は高座にしゃがみ込んだ。弥太郎は震えた手で公家衣装を掴み、抱きかかえる。そこに残った微かな温もりが彼の心を貫いた。





 封師は門を出た。天守閣から響く絶望と悲しみに背を向けている。


 鬼灯が風に揺れる音も、この城が戦火に呑まれる崩壊の音も、この男には聞こえていないのだ。

 それほどにその足は一度も止まる事はなく、振り返る事もなく、街道の先へと消えていった。

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