第5話 白と黒

「おかえりなさいませ。白飾ハクショク様……」


「えっ……?」


 晴姫ハルヒメは口に手を当て声を漏らす。

 先程まで白飾様だと思っていた人物が、鬼に向かいその名を呼んだからだ。


「ただいま。今日も政務、ご苦労だったね」


 その鬼は若く優しい声をしている。


 ゆっくりとその鬼は晴姫の横を通り過ぎると、高座に腰を下ろした。


「他に生き残りは?」


「いえ。ただ、偶然居合わせた旅人が助太刀に入り、ここまで護衛を。今は弥太郎ヤタロウに見張らせています……」


「うん、それなら明日、彼をここに。外に出すわけにはいかないからね」


 晴姫はこの鬼が本当の白飾様である事を理解した。そして、賊に晴姫を拉致するように依頼した張本人であることも。


 晴姫が鬼の気配を察知できると知り、人による影武者を作ったことは彼女にも理解できる。だが、賊に依頼を出して襲わせた意味とその目的がわからない。


 晴姫は胸に手を当て、ゆっくりと息を吐いた。


 困惑をどうにか鎮め、冷静になって考えなくてはならない。助かる方法はきっとあるはずなのだ。絶対に生きてみせる。


 私は生かされたのだから。


 まだあの方に「さよなら」も言えていないのだから。



 *


 鬼への対抗手段は一つしかない。煌術コウジュツを用いて、封じる事だ。

 封印に成功すれば、その鬼の姿は黒い石に変わる。

 だが、あそこにはがあった。


 鷹丸は身をもって知っている。鬼を殺せるのは鬼だけなのだと。


「あの鬼を殺すとは、とんだ大物がいるぞ……」



 鬼は、人を喰らえば喰らうほど成長する。その有り様を歌った詩がある。鷹丸はそれを思い出した。


【小鬼は喰らって鬼となる。鬼は育って知恵をつけ、知恵をつければ——。】


 あの牛鬼は知恵をつけ始めた鬼だ。力は通常の鬼よりもさらに強く、人の言葉を理解し、道具を使う。劣勢と思えば逃げる事ができる。そんな鬼を殺す事ができる鬼。


【知恵をつければ人をまね、鬼人となりて人智を超える。】




 天守閣に辿り着いた鷹丸は腹の中が煮えたぎるのを感じた。


 白飾様はその腕の裾から無数に伸びる、縄のように細い灰色の触手で晴姫を締め潰そうとしていたからだ。



 その身長は六尺1.8メートル程で人間に近い。鬼を超えた存在。やはり鬼人だ。


「素晴らしい煌ですね。まさか、全く触れられないなんて!」


 そんな白飾様の声で鷹丸は気づく。彼女の煌がしっかりと盾の役目を果たし、その圧力は華奢な身体に伝わってはいなかった。


「晴姫様ァ!!」


 そう叫ぶと晴姫の恐怖と孤独に歪んだ表情が少しだけ和らいだ。


鷹丸タカマル様……。私は大丈夫です」



 鷹丸はこんなにも怒りを覚えた事はなかった。なぜあのような素晴らしい女性に、こうも立て続けに不幸が起こる。彼女に残った婚約者の存在も、両親の死も、薄汚いあの鬼が仕立て上げた演出だったのだ。


 なぜ、あの鬼が晴姫を狙うのか。それを瞬時に鷹丸は理解した。

 人より何倍も強い煌を持つ彼女の血肉が、鬼にどれだけの力を与えるか。どれだけ成長の糧になるか。


 あの悪鬼は、喰らうためにこの状況を仕立て上げたのだ。帰国途中に賊に襲わせれば、彼女の死を偽装できる。門からすぐに牛車に乗せられたのも、彼女の存在を多数に知らせないためだ。喰ったとしても怪しまれない。


 晴姫を救う。その鋼鉄のような鷹丸の意思と怒りで滾ったその身体は微塵の迷いもなく、攻撃を開始した。


 鷹丸は矢筒に手を伸ばす。最初に狙ったのは、呆然と立ち尽くす白飾様であった。

 その者に向かい弓を力一杯に引き、殺意を込めて矢を放つ。


 鬼は彼女に触れられない。ならば彼女を殺すのは人間なのだ。


「なるほど。存外、悪くない選択ですね」


 ふと、放たれた矢が消えた。


 「弥彦ヤヒコ。ぼーっとしないでください。死にますよ」


 鷹丸は咄嗟にその声の主を見た。白飾様の袖から垂れる一本の触手があの矢を掴んでいる。よく見ればその触手の先端は牙のように鋭く尖っていた。


「空中で掴んだのか!?」


「そうですよ」


 その時、鷹丸の右腕に激痛が走る。


 瞬きほどの刹那、矢を掴んでいた触手が鷹丸にまで伸びている。彼は視線を痛みの元に向けると、先ほどの矢がその右腕に突き刺さっていた。


 鷹丸が立つ位置は、既に射程圏内である事を白飾様はその一挙動で知らしめた。この距離であれば簡単に殺せる。それほどにあの触手は遠くまで伸び、高速で動かせる。にもかかわらず、鷹丸が行動を起こすまで放置していたのはそもそもが眼中にないからだ。ひとりの旅人を取るに足らない存在だと思っている。

 その情報は鷹丸にとって救いだった。


「鷹丸! 弟をどうしたァ!!」


 事態をやっと飲み込んだ偽物がその頭巾を脱ぎ捨てて、鷹丸に真っ赤になった顔を向ける。浅黒い肌をした三十代ほどの男。普通の人間だ。


「白飾様! 兄上! ご無事ですか!?」


「弥太郎! 無事か!」


 弥太郎も天守閣に現れた。これで鷹丸は三方向から囲まれる。


「晴姫様……。耳を塞いでいてください」


 鷹丸はそう優しく晴姫に伝えると、自身の腹を鉄槍で貫いた。

 

 彼は喉から逆流する血を吐き出し、声が出ない。故に心で思うのだ。


 初めてだ。この力があって良かったと思えたのは。望んで出すのも初めてだ。最早、城下の人々が何人死のうと構わない。

 彼女は生きられるのだから。


 頼むぞ、悪鬼。



 鷹丸は槍を引き抜くと、白飾様に歪んだ笑顔を向ける。

 次第に身体の力が抜けていく。視界が遠くに離れていく。

 その感覚が今日だけは心地よかった。


「なッ!?」


 白飾様は咄嗟に触手を伸ばした。

 無警戒だった旅人から、禍々しい鬼の気配が溢れてくる。

 まるで水墨画のように濃淡のある黒い炎が青年を包み込んでいく。


「弥彦!! 弥太郎!! 私の背後に!!」


 晴姫はその白飾様の言葉を聞いて声を漏らした。

 だが、彼女には見えていない。その触手で自身の背後に彼らを運ぶその姿は、鬼の行動のそれではなかった。


 白飾様は立ち上がる。

 晴姫に向けていた触手は袖の中へと引き込まれていく。鷹丸に向けての臨戦態勢。だが、その姿が完全に悪鬼に落ちるとその息を呑んだ。


「その姿……。奥州オウシュウ(東北)の餓鬼か!? なぜ!?」


「奥州の餓鬼……? この鬼を知っているのですか!?」


 晴姫の問いも、漆黒の鬼の咆哮で届かない。

 すぐさま白飾様は触手を放つと、餓鬼の右腕へと巻きつき宙に浮かす。

 だが、それを餓鬼は容易く噛みちぎった。

 

 漆黒の鬼はそれを咀嚼し、飲み込み、もっと寄越せと言わんばかりに大きく叫ぶ。


「狂気の餓鬼よ……。お前は何をそんなに飢えている……?」


 白飾様は乾いた笑いとともに尋ねた。

 だか、餓鬼は低く唸るのみである。


 言葉が交わせないとわかると、白飾様は何百もの触手を服の下から現した。その純白の衣装は破け、灰色の肌が露出する。触手は両肩から伸びている。


 そしてすぐさま、何百という触手の群れは荒波となって、餓鬼に襲いかかった。

 うねり、迫り、その物量で餓鬼を飲み込む。


 飲み込んだかと思えば、白飾様はまるで雑巾を絞るかのようにギチギチとその触手の束を捻り、荒波のようであったそれを圧縮させはじめた。餓鬼を押し潰すために加えた力はどれほどか。聞いた事もないような奇怪な音がその中から聞こえてくる。

 


 だがその音こそが異変であると、すぐに白飾様は気がついた。その音はこちらにゆっくりと着実に近づいてきているのだ。

 固く閉ざされたはずの触手の中を真っ直ぐにこちらへ、あの餓鬼が進んできている。無数の触手をねじ切り、喰いちぎっている。


「全く……。彼女さえ喰えていれば、勝てたかな?」


 諦めたように白飾様はそう言った。外側の触手から一本また一本と、自身の両肩に戻していく。


 餓鬼は消えていく触手の波から顔を出した。

 喰い荒らされた触手が床に転がっている。餓鬼を拘束するものはもう何も無い。


「「白飾様ァ!!!」」


 突然、白飾様の背後にいたはずの兄弟がその身体を大きく広げ、餓鬼の前に立ちはだかった。


「我らを囮にどうか!白飾様ァ!」


 その泣きそうな声に、あの兄弟は白飾様にすがっているのだと晴姫は気がついた。自分が死ぬことよりも、主が死ぬことをあの2人は恐れているのだ。


 それがわかった時、晴姫の身体はその強い意志を持って導かれた。

 兄弟に迫り来る餓鬼。そこに彼女は割って入ったのだ。身体を大きく広げると、その神々しい光は広く展開し、餓鬼を阻む。どんなに餓鬼が暴れ狂おうと揺るがない光。晴姫に恐怖はない。


「白飾様。私は貴方を許しません。ですが、もし貴方が救ってくださるのでしたら、私も救います」


 盲目の娘から放たれたとは思えない力強い言葉。だが、その内容に白飾様は呆れていた。


「私が誰を救うんだい? 君か? いや、弥彦と弥太郎のことかい?」


「鷹丸様も含めて、この場の全員をです」


 晴姫の提案に白飾様は笑った。



【助かる条件を教える代わりに、奥州の餓鬼について知っている事を全て話す。】

 


 白飾様はそんな事かと快諾をする。

 そして、約束通りその条件を彼女が話すとさらに大きく笑うのだ。


 部下二人の必死の抗議をよそに、白飾様はある決断をするのだった。

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