第6話 時は進むあなたと共にー6(了)

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「お前は――あの時の火の見櫓の半鐘、のだな」

 灯は男へ言い聞かせるように問いかけた。男は瞬きを忘れて灯の言葉を受け止めていた。


「オレは、復元品……?」

「あの火の見櫓は、それから四十年ほど後の大火の際、下の会所ごと燃え崩れてしまったと記録に残っていた」


「もう存在しないはずの半鐘の付喪神なんてどういうことかと、頭を抱えていたらね、竜胆があなたから聞いたことで、謎が解けたのよ」

「『オレが開化したのは二十年前だ』と言ったらしいな」

 男は小さく、だがしっかりと頷いてそれを肯定した。


「鈴蘭が行った博物館に、百二十年前に作られたという半鐘の復元が展示してあった。しかもそれは、珍しいことに江戸時代の半鐘の欠片を使用して復元されていた」

「でもオレは……燃える町を見た」


「それはオリジナルの方の記憶だ。心臓を移植された人間が、その心臓の元の主の記憶や趣味嗜好を受け継ぐという現象がある。おそらくそれに近いことだろう」

「オレは……じゃあオレは、何だ? 何者なんだ!?」


 男は頭を抱えて叫んだ。目には混乱と恐れが浮かんでいた。灯はよく通る声で言い放った。


「お前は、お前だ。違う記憶に飲まれるな、江戸に在ったんじゃない。博物館に在ったんだ」

「オレは、博物館の、半鐘」

「そうだ。……俺に関する記憶のせいで、苦しめて悪かった。恨んで当然だ」


 灯は少し落ち着きを取り戻してきた男に深々と頭を下げた。あのときのように人殺しと罵られても、殴られても、それは自分が受けるべきことだと、そう思っている。


「俺は、人殺しなのだから」


「違います!」

 唐突に、声が響き渡った。声の主を振り返ると、そこには、トキがいた。竜胆と鈴蘭に支えられながらも、灯とそして部屋にいる全員に訴えていた。


「トキ、お前……」

「ついさっき、帰ってきたんよ。修から連絡受けて迎えに行ったら、灯はんの所に行くって聞かんくて」

「私たち二人で連れてきたの。過去でみたことを伝えるのが役割だからって」


 トキは壁に手をついて、ふらつきながらも灯の方へと歩いていく。眩暈で辛そうに歯を食いしばっているが、足は止めない。


「灯さんは、人殺しなんかじゃありません! 誰一人死んでないんです! 伊介さんが付けた火を抑えたんです」



 ふらついたトキを鈴蘭が支える。普段ならすぐ反応する灯だが、ぼう然と立ち尽くして、何も動けなかった。


 そのとき、男が「そうだ!」と声を上げて立ち上がった。少し体力が戻ってきたらしい。男は灯に歩み寄って、混乱も恐れもすっかりなくなった目で向かい合った。


「オレは、いや、『彼』はこう伝えたかったんだ。『あなたは人殺しじゃない。僕はそれをちゃんと知っている』と」

「……!」


 灯は息を呑み、何も言えずただ男を見上げた。男が言う彼とは、オリジナルの半鐘のことだろうということだけは灯も何とか理解した。男は、もう混乱なく落ち着いた様子で話し出した。


「オレは、作られたときから、彼の記憶をぼんやりと持っていた。復元品だということも理解して、博物館でたくさんのヒトに見られながら過ごした。それで、開化した時に、彼の記憶が映像として、現れたんだ」

「開化というワタシたちにとっての最大の転機で、移植の現象が強く現れたのね」

 女郎花の捕捉に、男はしっかりと頷いて続けた。


「それは洪水のようにオレの中に入ってきて、飲まれた。同時に、彼の想いとか言葉とかそういうのも流れ込んできたんだが、断片的で。『この少年』『言わなくては』『人殺し』『探して』『知っている』『伝える』と」

「それは――」


「オレのものじゃない強い想いが、オレの頭をどんどん埋めつくしていって、苦しくて、この記憶にある少年を探して人殺しだと言えば、この記憶と想いから解放されると思って、それだけを考えて、探した」


 顔を歪めた男は、その苦渋の日々を思い出しているのだろう。男は膝をついてうなだれた。竜胆が控えめに男に声をかける。


「うちの修理課に頼んだら、その欠片を取り除くんも出来ると思うで? 記憶の混乱もなくなるんやない?」

「もし取ったら彼は、どうなる?」

「ただの欠片になると、思う」

 竜胆の答えに、男はゆるゆると首を振った。


「それは、嫌だ。彼はオレなんだ。彼がいたからオレは作られたし、彼の記憶や想いも含めて、オレ自身なんだ。今はそう思う」

「そう。それは余計なこと言うて、堪忍な」


 晴れやかな顔をしてそう断言する男を見て、竜胆は穏やかに目を伏せてそっと身を引いた。

 男は、膝をついたまま、灯に向き直って頭を下げた。


「すまなかった。彼は、味方だと伝えたかっただけなのに、オレは傷つけるようなことを……」

「苦しんだのはお前の方だろう。自分じゃない記憶に振り回される気持ちは、本人にしか分からないが、想像は出来る。俺はあの後も人殺しと言われながら逃げる日々を過ごしたからな、慣れている。気にするな」


 灯はなおも謝ろうとする男の腕を持って立たせた。この男を苦しめていたものから解放出来たのなら、充分だった。


「慣れちゃ、だめです」

「ん?」

 支えている鈴蘭の手を離し、トキが向かってくる。その顔に浮かんでいるのは、怒りのよう。


「人殺しって言われることに、慣れちゃだめです! あたし、ちゃんとみてきたんです。灯さんは人殺しじゃないんです!」


 トキはよろけて灯の服を掴み、縋るような体勢になったが、それでも灯に訴え続けた。純真なその瞳を見ていられず、灯は目を逸らした。


「……確かにあの火事でヒトは死んでいない。だが、俺は燃える納屋を救えなかった」

「……」

 灯の低く沈んだ声音にトキは黙り込んだ。


「それに、結局俺は、納屋の火事を利用して逃げた二人に協力したんだ」

 灯の服を必死に握るトキの手をゆっくりと離させ、鈴蘭にトキの体を預けた。トキとは目を合わさず、背中を向けた。


「元はといえば、伊介が使ったのは俺の火だ。俺は、納屋を壊してしまったんだ」

「いえ、灯さんは、町を守ったんです」


 背中にトキの凛とした声が刺さった。初めて聞く声音だった。思わず振り返ると、トキは灯をまっすぐに見つめていた。


「火をつけたのは、伊介さんの意思です。灯さんが納屋までで火を抑えていなければ、町全体を巻き込んだ大火事になっていたかもしれないんです。町を、人々を救ったんです」

「でも、納屋が燃えて壊れたことに変わりはない。あいつは俺を恨んでいるはずだ」

 床に視線を落としながら、灯はトキの言葉を突っぱねた。


「あのさあ」

 今まで静観していた鈴蘭が、苛立ちが滲んでいる声を上げた。


「なんで、その子の気持ちを勝手に決めつけてるの?」

「は?」

「だから、なんで恨んでるって決めつけてるの。その子がどう思ってたかなんて、わかんないじゃん」

 鈴蘭に続いて、竜胆が口を開く。表情や声から察するにこちらも多少苛立っているよう。


「灯はん、自分のせいやって責めて続けることで、なんや救われた気になってるんと違う?」

「いや、俺は……」


 このことを知られれば、お前のせいだと責められ、軽蔑されると考えていた灯は、管理課の仲間たちの反応、言葉に戸惑っていた。


「ともるんが本部に入るときに、ワタシが言ったこと覚えてる?」

「え、ああ」


 本部に入る際、女郎花の彩で灯自身の彩は〈火をともす〉であることを知った。指先から火を生み出し、それを制御することが出来る。が、二度と能力は使うつもりはないと女郎花に告げたのだ。女郎花はそれ以上何も聞かずにこう言った。


「『もし何か後悔があるなら、ここで付喪神たちの役に立てばいい』とそう言っていたな。だから、償いだと思って仕事をしてきた」

「ともるんが管理課に入って、たくさんの付喪神たちが救われたのよ。その人たちのことを見ないで、過去の贖罪としてしかみていないのは、その人たちに失礼よ」

「いや、でも……」

 それでも灯は戸惑ったまま、自分の手のひらを見た。



 ――この手が、誰かを救えた? 納屋を救えなかったこの手で?



「灯さん!」

 トキに名前を呼ばれ、おそるおそる目線を自分の手から上げた。


「あたしは灯さんに救われたんです。あたしも、贖罪の一つに過ぎないんですか? ――嫌です。あたしを、ちゃんとあたしをみてください!」


 トキのまっすぐな想いに、あの日、火の見櫓越しに空を見たときからずっと目の前にあった霧が、さあっと晴れていくのを感じた。

 霧が消えて、自分を見つめる今と過去のセーラー服の少女の姿が重なった。


「そうか……トキ、お前が」

 灯はトキの頬に手を添わせて、今ここにいることを確かめた。トキは灯の手に自分の手を添わせて、自分はここにいると伝えた。


「灯さん、ただいまです」

「ああ、おかえり」

 トキはほっとして笑うと、糸が切れたように気を失い、その場に倒れ込んだ。


「おい、トキ!?」

「眩暈すごいのに無理してここに来たからかな。安心して気が抜けたんだね」

「医務室に運びます!」

「ありがとう、葵ちゃん。ほら、ともるんも手伝って」

「あ、ああ」





 トキが目を覚ますと、そこは医務室のベッドだった。


「あれ? あたし」

「トキ、目を覚ましたか! 良かった……」


 そういうと灯は力が抜けたのか、ベッドの端に顔を突っ伏した。すぐ傍には丸椅子があり、ずっと付き添ってくれたらしいことが分かる。


「灯さん、ありがとうございます」

「礼を言うのは俺の方だ。俺のために過去にいって、見届けてくれた。今を見せてくれた。……ありがとう」

 灯は抱えていたものを降ろして、和らいだ表情を浮かべていた。


「あたしは、灯さんのものですから」

 トキは得意気にそう返してみせた。いつものように「はいはい」と軽く流されると思っていたのだが、灯は真剣な眼差しでトキを見つめ返している。


「灯、さん?」

「……物が、持ち主に対してある程度の親愛を抱くのは自然なことだ。雛が親鳥を慕うような状況で、トキを俺に縛り付けてはいけないと、自戒していた」

 灯は火を生み出し扱う自分の手に視線を落として、自嘲気味に呟いた。


「こんな俺の傍にいてほしいと言うのは、自分勝手なわがままだ」

「そんなこ――」

「だが、もうそのわがままに抗えそうにない」


 灯の艶を帯びた強い目に見つめられ、捉えられた。次の瞬間、腕を引かれてトキは灯の腕の中にいた。


「俺にはずっとお前だった」

 トキを抱きしめる灯の手は少し震えていて、とてもとても温かい。


「時を超えて俺と出会ってくれた、トキ、お前しか考えられない。……傍にいてくれ」


 耳元に灯の声が触れて、その告げられた言葉に、トキは心が幸せと愛しさで満たされていくのを感じた。ぎゅっと抱きしめ返して、トキは素直な言葉で灯に想いを伝える。


「ずっとずっと、あたしは灯さんが大好きです。今までも、これからも、どれだけ時が経っても、大好きです」

「ああ」



***



 それから、いくつかの月日が過ぎて。管理課には非日常を経た、いつもの日常が流れていた。


 吹き抜けから一匹の鳩が上がってきた。トキは慣れた手つきで鳩を腕に留まらせてその紙に目を通す。


「灯さーん、鳩が来ました。『探しもの』の相談事だそうです」

「そうか。……トキ、お前今回メインでやってみるか」

「え、いいんですか!」


 トキは驚きと喜びとやる気で、顔を輝かせた。一人前になった部下を誇らしく見守るように、灯はそっと微笑んだ。


「まあ、サポートで俺も付くがな。札は何だ?」

「えっと、梅の札とあります」

「それを確認して、応接室に案内したらいい。俺はそっちの準備をしておく」

「はい、行ってきます!」


 鳩にお礼を言って受付に戻るよう飛ばしてから、トキは階段を降りた。灯が任せてくれた仕事に緊張しながらも、心はうきうきしていた。


 待ち合い用のソファに腰掛ける男性を見つけて、声をかけた。彼が立ち上がったタイミングで話しかけてしまい、驚いたが、梅の札もちゃんと確認出来た。最初の挨拶が肝心、とトキは男性を見上げた。



「今回の相談を担当する、管理課のトキです」



 その言葉を噛みしめて、トキは幸せに満ちた笑顔を浮かべた。






 ~了~

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つくもがみ統括本部ー管理課ー 鈴木しぐれ @sigure_2_5

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