第6話 時は進むあなたと共にー5

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 家の手伝いがあるという珠は外出し、トキは階段横の部屋で一人文机の前に座っていた。紙と筆を借り、手紙を書こうとしていた。


 懐中時計が直れば、珠たちからトキの姿は見えなくなる。お世話になっておいて突然消えることはしたくなかった。


「でも、なんて書いたらいいんだろう。今から消えます、も変だし、未来に帰ります、うーん」


 トキは、ごろんと畳に寝転がって天井を見つめた。そうして文面を悩んで考えて、結果書いたのはシンプルなものだった。



『珠さん、弥一さん、お世話になりました。急ですが、帰ることが出来そうです。黙っていなくなってごめんなさい。ありがとうございました。 とき』



 弥一が修理の段階で針を動かしているのか、書いている途中、何度か筆に触れられなくなった。置き手紙は正解だったかもしれない、とトキは思っていた。


「少し、下に行ってみようかな。納屋ってどこにあるんだろう……」

 無事に書き終えたトキは、あの男が言っていた納屋を探してみることにした。店の邪魔にならないよう、ひっそりと階段を降りて、一階を探索する。ふと、伊介を初めに見た裏口が目についた。


「よいしょっと」

 トキは裏口を押し開けて、裏庭と呼べるようなスペースと、人が住むには小さい建物を見つけた。


「あった」


 おそらくこれが納屋。トキはそっと近づいていく。すると、見覚えのある行燈が納屋の入り口に掛けられているのを見つけた。


「灯さんの行燈、だよね? やっぱり」

 トキは行燈に近づき、以前見せてもらった灯の行燈の記憶と照らし合わせる。やはり、間違いない。ふと、行燈の陰からこちらを見ているツボミに気が付いた。


「あ、小さい灯さんだー」

 ツボミの灯を見つけて、思わず手を伸ばしたがすぐに引っ込める。触れても、いいのだろうか。トキのことなど知らない灯に触れても。


「少し、だけ」

 トキはツボミではなく、行燈そのものに手を伸ばした。少し、ほんの少しだけ、と言い聞かせて行燈に触れようとしたが、その手は空を切った。


「え」


 トキは驚いて自分の手を見て固まる。そのとき、納屋の中から外へ向けて声がした。


「おい、そこに誰かいるのか」

「あ、伊介さん」

 顔を出した伊介は辺りを注意深く見回して、首を傾げながら戻っていった。


「誰かいたような気がしたが、気のせいだったか」

 伊介の目にトキは映ってはいなかった。針が、動き出したようだった。


「弥一さん。こんなに早く直しちゃうなんて、本当に凄いです。ありがとうございます。珠さん、短い間でしたがありがとうございました」


 そう呟いたトキの声はわずかに寂しさが滲んでいた。が、深呼吸を一つして、気持ちを切り替えた。


「火事の原因を、ちゃんとみる。あたしは灯さんのために、過去をみる!」


 まずは弥一の作業場に行って時計を回収しなければ。そう思って踵を返そうとしたら、納屋の中から伊介以外の声が聞こえてきた。


「伊介さん、本当にいいのですか」

「ああ。沙世、お前と一緒になるためには、駆け落ちしか道はない」

「わたしなんかのために、お家を捨ててはなりません」

「こんな家よりも、沙世の方が大事だ。この先ずっと、傍にいてくれ」

「……はい」


 トキは納屋の入り口からそっと中を覗いてみた。伊介とそう一つの声の主、伊介の想い人の沙世がいた。


「はわわわ」

 見てはいけない場面を見てしまったようで、トキは手で顔を覆った。指の隙間から見えてはいるのだが。


「じゃあ、今夜決行しよう」

「本当に、するのですね」

「ああ」

 その会話を最後にして、納屋の中は静かになった。


 今夜、起こる。懐中時計を手元に持っておかなければならない。トキは弥一の店に急いだ。




「お邪魔しますー……」

 もうヒトからは見えないのだが、黙って家に入ることはやはり憚られる。一応挨拶をして、奥にあるらしい作業場に向かった。


 一人がなんとか作業が出来るその部屋は、ぜんまい仕掛けの箱や、緻密な細工がされたグラスなど、様々な物でびっしりと埋めつくされていた。机の上だけは綺麗に整頓されていて、そこにトキの懐中時計は置かれていた。自身の命の半分であるそれを手に取って、ぎゅっと握りしめる。


「よし、頑張ろう」

 カチコチと規則正しく針が動く音を聞いて、トキは気を引き締めた。





 夕暮れ時。宵の星たちが輝きだしている。


 トキは裏口の辺りで待機していた。観察、調査をするなら少し距離があった方がいい。それに、触れられないとはいえ万が一巻き込まれては大変である。



――そこからの出来事は、トキにとってまるで映画を見ているような心地だった。


~~


 納屋の入り口に掛けられた行燈のツボミ――灯は、持ち主である伊介と沙世の会話を聞いていた。今日二人の駆け落ちが決行されることを知っている。


 ――俺にも、何か出来ればな……。


 長い間、大事に使ってくれたことへの恩返しをしたかった。ずっと見てきた彼の、彼なりの幸せを掴んでほしいと、灯は思っていた。


「本当に、この家を捨てることになって、いいんですか」

 沙世が不安げに伊介に問いかけている。伊介はその手を取って、安心させるようにぎゅっと握りしめた。


「沙世以上に大切なものなんてない。それに、俺は親父と合わないからな」

「子どもたちに着物をあげたこと、知られてしまったのですか」

「ああ……」


 ぼろぼろの着物、とも言えないようなものを身につけて道端にしゃがみ込んでいた子どもに、伊介は上等な着物をかけてやっていた。そういうことを家に内緒で何度もしていることを、道を照らす明かりとして傍にいた灯も知っていた。


 伊介は力なく体を縮こませて、子どものようにその膝に顔を埋めた。沙世はそっと伊介の背中に寄り添った。


「……俺は、呉服は金持ちだけのためのものじゃないとずっと思ってきた。貧しい子どもや女中にも隔てなく同じ着物を、と。だが、親父は聞く耳を持たなかった。親父には代々続く家を守ることが第一だった」

「旦那さまのお考えも、正しいのだと思います。家を守ることは何より優先されるものですから。ですが、わたしは伊介さんの考えが……好きです」

「沙世……」


 二人は見つめ合い、伊介が沙世の頬にそっと触れる。沙世は目を伏せてその手に頬をすり寄せた。伊介の手が沙世の顎を持ち上げ、目線を上げさせる。沙世はそっと目を閉じた。


 その時ふいに外から足音がして、二人は神経を緊張させた。足音はこちらに近づくこともなく遠ざかっていった。詰めていた息を吐き切って、伊介は宣言した。


「あまり時間もない。今からここに火をつける」

「……はい」

「火事で騒ぎになったらそれに紛れて、この町を出る。二人で暮らせるところを探そう」


 ――何!? 火事を起こす? 町を焼く気なのか。いや、二人が逃げ切るにはそれくらいの騒動が必要かもしれないが……。


 灯は伊介の言葉に動揺し、体を揺らしたがせいぜい行燈が風に揺れたようにしか、ヒトには見えていない。


「準備はいいか?」

 伊介に言われ、沙世は風呂敷包みを抱えて頷いた。伊介はよく乾いた細い木を手にして、行燈の火に近づけた。


 ――だめだ、火付けは重罪だ。逃げられない。


 灯は伊介に訴えかけるが、それが届くことはない。ただ、火が大きく揺れるだけ。

 やがて火がついた木を納屋の柱に立てかけるようにして設置した。火は柱、壁を伝い、徐々に納屋全体に広がっていく。


「熱っ!」

 沙世を先に出し、後に続いて出ようとした伊介の腕に燃え始めている木材が当たってしまった。


「伊介さん! 大丈夫ですか」

「ああ、大丈夫だこれくらい。早くここから離れよう。じきに人が集まってくる」

「はい」


 走り出す二つの足音を聞きながら、灯は自分の周囲に朝日に似たまばゆい光が生まれているのを感じた。その光は広がり、そして一カ所に収束した。


「これは――」

 一つの行燈がたった今、開化したのだ。


 灯は、藍色の浴衣に黒い帯、そして黒の羽織を身につけて、立っていた。自分の手のひらをじっと見つめた。開化した瞬間から、自分は何が出来るのか、灯は把握していた。


「止めなければ」


 灯は燃えている納屋の一部に触れ、内側に渦を巻くイメージをした。すると火は納屋の内側へ内側へと入っていく。灯の彩である火の制御は、灯がその物に触れつづけていることが条件のようだった。


「くそっ、もっと早く収束出来ないのか。おい、壊れるなよ」

 灯は納屋のツボミに言うが、炎に邪魔されてどこにいるか分からない。目の前で物が壊れていく様など見たくない。


 隣人が火事に気付き、騒ぎ始めた。それはすぐに周辺に伝播し、町内には火の見櫓の半鐘の音が響き渡る。


「嘘……納屋が」

 少し離れたところに避難した伊介の家族が納屋をぼう然と見ているのが分かった。


「この時間には、納屋には誰もいないな?」

 父が家族、奉公人、女中に向けて問いただす。すると、一人の女中がほとんど悲鳴のような声で叫んだ。


「先ほど、納屋に入っていく伊介さんと、沙世を見ました……!」

「なんだと!?」

「兄さん!!」

 反射的に駆けだそうとした珠を、弥一が羽交い絞めの状態で必死に止めた。


「珠! 行っては駄目だ!」

「でも、兄さんが! 離して!」

「危険だ! ……なんだ、あいつ」


 弥一が、灯の存在に気が付いたようだった。灯も、弥一に気づかれたことに気づいたが、納屋に触れる手を離すわけにはいかなかった。今の火の勢いのままだと母屋にまで火が広がってしまう。


「あいつが火をつけたのか!?」

「そんな……。兄さんは殺されたの……?」

「この、人殺し!!」

「人殺し!」

「沙世ちゃんを返して!」

「人殺し!」


 ――!?


 灯は予想外の展開にすぐにこの場を離れようかと考えた。が、頭を振ってそれを振り払った。まだ燃え盛る火を放っておけば納屋は確実に壊れてしまう。それに。


 ――町の人々に伊介と沙世は死んだ、と思わせておけば、二人が捜索されることはない。俺が火付けで人殺しということにすれば、こっちに注意を引ける。


 灯は手のひらに集中し、徐々に火の勢いを弱く、小さく出来るようになった。最小限の火消しで対処出来るようにまで。しかし、一歩間に合わず納屋はほぼ燃えてしまった。


「すまない……俺は、お前を救えなかった。開化があと少し早ければ……っ」

 灯は唇を噛みしめて納屋に謝罪をした。激しい後悔と無力感でその場を動けなかった。


 が、火消しの足音が裏庭に迫ってきて、灯は羽織を脱ぎ、頭から被ると夜の闇に溶け込むように、その場から走り去った。

 伊介と沙世が逃げ切れるように、灯は途中で羽織を捨て、注意を引きながら走った。



「上手く、撒いたか?」

 走りっぱなしで、灯は肩で息をしている。路地で身を隠しながら、周辺を用心深く見渡す。この辺りは静かで、灯は腰を下ろして少し休むことにした。


 空を見上げれば、町で一番高い建造物である火の見櫓と目が合った。伊介と沙世が駆け落ちしたことは、町人たちには知りようがないが、町全体を見下ろせる火の見櫓は、全てを知っていることになる。


「秘密にしておいてくれよ」


 灯は火の見櫓に向かってそう呟き、唇に人差し指を当てた。


~~


 トキは、灯と同じように肩で息をしながらも、その全てを見届けた。瞳から流れ落ちる一筋の雫をぬぐうことはせず、ひっそりとその言葉を呟いた。


「……『時よ、進め』」


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