第12話 傍観者

「何用か?」


 屋敷の前に来ただけだと言うのに突然話しかけられる。真っ白な服に身を包んだ男は見れば脇差を備えている。


「私達は首都から来た。クォンタムの地主には首都からの土産の品を渡したいと考えている。」


「土産? 見たところ一般人だろう貴様ら。それが地主に対して土産などと、そんなおかしな話があるか? 」


「あぁ。あるさ。」


 私は袖口の石を見せる。薄く緑色に発光するそれはきっとここの地主の使いなら意味も理解できるだろう。


「なっ.......!!」


 案の定彼はそれを知っていたようで慌てるようにして欠片に触れようとする。それを私は振り払い、しまいこむ。


「分かった。着いてこい。」


 私達はあっさりと屋敷内に入ることに成功した。屋敷内は日中の外よりも明るい。色々な装飾が光に乱反射してる様子はどこか面白いが自己顕示欲の塊にしか思えず不快感すらも覚える。


 一階部分は大きな広間とそれに続くような中庭がある。いくつかの部屋もありそうではあるが無駄な明るさや装飾からは生活感が感じられない。何か不気味な雰囲気は実に居心地が悪かった。


「離れるなよ。」


 真っ白な服の男は階段に目もくれず、広間の奥へと進んでいく。そして一つの部屋の前に立ち止まるとガチャガチャと何かか機械的な音をたて始める。しかしその様子は体に隠されよく見えない。


 ガチャリ。


 一際大きな音がする。そして頑強そうなドアが開かれる。


「先に入れ。」


 私達は押し込まれるようにして中へと入る。中は部屋では無く、薄暗い廊下のようになっており続く道は下へと続く階段となっている。


「地下.......? 」


「そうだ。行くぞ。言っておくが、ここの扉は私かユアン様の持つ鍵が無ければ開くことは無い。悪い気は起こさぬようにしておけ。盗人を逃がさないようにと作られてるのだ。」


 男は言うだけ言うと速歩で階段を下っていく。薄暗い階段は広間とのギャップのせいで酷い違和感を覚える。カツカツと言う音の異常な響き方からも、この階段にが相当に長いものであることを感じる。


「ただでさえ大きな屋敷だと言うのに、こんな地下まで造っているとはもう怖いくらいだよな。」


 シュラスが小さく呟く。男が何か言うかと思えばそういう訳でもない。


 どれほど下っただろうか。ようやく一枚の扉の前に到着する。帰りのことも考えると、レーネを旅館で休ませておいて本当によかったと思える。彼女がここに来ていたならば、負担も相当なものであろう。私は階段を振り返り、高く積み上がったそれをみてまた実感させられる。


「入れ。」


 またもや乱暴に部屋へと押し込まれる。だが、想像と違い部屋の中はかなり淡白なものだった。真っ白な壁。床はマーブル柄の石造りで多少の高級感を漂わせているが嫌らしい感覚はほとんどない。


 中央には簡素な椅子とテーブルが置かれていて、対面には座っていてもわかる大柄な男が座っている。焦げ茶色の髪をオールバックにした男は赤みがかった瞳でギロりとこちらを睨みつけている。


「誰だ。そこの下郎は。」


「ユアン様に献上したい品があると言うことでしたので連れて参りました。何やら首都からやって来たようです。」


 男は私達に話す生ぬるい声から想像出来ない程に通る声でそう言う。.......しかし、直後に何か硬いものがぶつかる様な衝撃が部屋に響く。直後ドタッと白い服の男は仰向けに倒れる。


「我は誰だ.......と聞いたはずであろう。名前すら聞かずに我の部屋までヌケヌケと連れてくるとは貴様はノミ以下のゴミクズである。」


 ユアンと呼ばれた男はそこに在るだけで圧倒的な支配感を私達を与える様な威圧がある。


「まぁいいだろう。それで貴様は何用でここへ来た。下らぬ用事のために我の時間を奪おうとするならば貴様らもそこのゴミと同じ運命しかないと知れ。」


 交渉.......の余地はどうやら無いようだ。ここに来てようやく古物店の店主が言った意味を理解し、欠片ばかり後悔する。退路は絶たれ、かと言ってただこの石を渡してしまえば二度と帰ってくることもないだろう。


 しかし、目的である欠片を奪おうとすれば彼は容赦なく私達を殺すだろう。正解が一切見えない。言葉を探す.......が、次第にユアンには苛立ちが募っていくようで靴が地を鳴らす音が更に私達を急かせるように感じる。


「地主さん、アンタ不思議な石を集めているらしいって聞いたんだけど。」


「確かに私のお気に入りの一つに石があるが。それがどうかしたか? 」


「いやさ、俺たち首都からここに引っ越すことにしたんだけどその途中で不思議な石を拾ってさ。たまたまアンタが集めてるって話を聞いたから渡して少しでも贔屓にしてもらおうかと思ったんだ。」


 シュラスは表情を変えずに言い切る。迷い無く言い切るその様子には私も驚きを隠すのに精一杯だった。


「ほう。それは良い心掛けだ。ものには依るが場合によっては我手ずから貴様らには土地を与えてやっても良いだろう。見せてみろ。」


 シュラスは自身の服を弄る。しかし、そんなものはある筈もなく焦るように服をひっくり返し、漁り始める。


「申し訳ない、どこかに落としてきてしまったみたいだ。」


 アハハと苦笑いを浮かべるシュラス。ユアンは離れた私達たも聞こえるほどに大きなため息を吐いた。そして何か小さな呟きと共に何かが高速でシュラスへと飛ぶ。


カーーンという音。


 シュラスはいつの間にか抜かれていた刀で飛んできた何かを払い飛ばした。弾かれた何かは後方の壁へと当たり小さな衝撃と穴を開けた。


「我は失せろ.......と言ったはずだ。」


「知らないよ。失くしたって言ってんだからしょうが無いだろ。」


「だから、失せろと言ったのだ。」


 ユアンは立ち上がる。その背丈は想像を超えるほど高く、鞘から抜かれた大刀を持つその姿は鬼そのものだった。そして私には分かる。大刀を持つ手の逆、左手で蒼く光る存在。それが欠片であることが。


 何故彼がそれを大事そうに握っているのかも、それがどういう意味を持つのかも分からないが大事そうにしている様子から何らかの意味があるということだけは想像に容易い。


 ユアンはゆっくりと歩み始める。引きずるそれはガガガと床を削りながら圧力を増してくるようにすら感じられる。


 唐突にブンと振られる大刀。横に薙ぎ払ったそれの威力は髪を揺らす風圧から感じられる。直後、カーンと何か金属音が響く。そしてシュラスの真横数メートルの場所に甲高い音を残した小刀が落ちる。


 一瞬だが、見えた。


「ほう。目が良いのか、小僧。」


「奇襲のつもりならもっと上手くやった方がいいと思うよ。てか、そんな大柄な癖にさっきから小技頼みにしか見えないけどそんなに自分の剣に自信が無いの?」


 嘲笑したシュラスは言う。彼はユアンが大刀を振るうと共に放った小刀をいとも簡単に払い除けた。その重く長い長刀で。


 正直私は目を使っても何とか見えた所だった.......実力の差を感じさせられる。


「能ある鷹は爪を隠す。この様なことわざすらも知らぬだろう、小僧。貴様は相当な貧者と見える。たかだか様子見の一撃を躱した程度で図に乗るだけのことはある。」


「ふーん。意外と冷静なんだね。ただの単細胞かと思ったけど、割と器用みたいだし。でもそっちが一人なら俺は多分負けないよ。」


 シュラスは剣先を下へと向け、斜に構える。そしてふぅと小さく息を吐く音が聞こえた。ジリジリとゆっくり、ゆっくりとユアンは距離を詰める。私の事など見てないかの如く、その目はひたすらにシュラスを睨みつけてるようだった。


 ダンッ。私は左の足で強く床を踏みつけ、シュラスの少し後方で長刀を抜いた。そしてゆっくりと剣先をユアンへと向け構える。.......しかし、二人はそれを意に介する様子は無かった。唇を噛む。私が割って入った所できっと飛ばされて終わる。それは私のこの眼が今は何も見ることが出来なくとも分かる。


 だとしても、ただ見ているだけでシュラスのおかげで欠片を集める等という事態では私の小さなプライドというものが許してはくれないだろう。


「いいさ。見なくても、見えなくとも。」


 ユアンの間合いは既にシュラスを捉えようとしている。息を呑むような圧力にもシュラスは一切の反応を示さない.......それどころか、低く構えを取ったその姿は後方からでも強いプレッシャーを感じる。それでも、私は。


 一瞬淡い光。握られたユアンの左手から鈍い光が漏れだした途端、強く踏み込まれた彼の足はシュラスの目前の床を踏み砕いた。駆け出していた私は長刀をユアンへと刺す用に強く突き出した。


 強い衝撃。ユアンの薙ぎ払いは私の突き出した長刀を払い、シュラスの長刀の剣先へと当たり強い衝撃が音となり部屋に響いた。私の払われた長刀は上へと強く飛ばされるが、なんとか持ちこたえる。


「ほう。よくぞ反応したものだ。」


 ユアンはシュラスの横へと伸ばされた大刀をゆっくりと上段へ持ち直す。


 ぴちゃん。


 見れば、シュラスの足元には大粒の水滴が音を立てて零れ落ちる。彼の長刀の剣先には亀裂が走り、折れかけたそれはひしゃげて先程の衝撃を声も無く物語っている。


「そこの邪魔が無ければ貴様のその首、きっとこの剣先の紅と共に斬り落としていただろうに。」


 ユアンは路傍の石ころを見るような、つまらないと言わんばかりの目を私へと向けた。


「言い訳か。危ういとは思ったけど、今切り落とせなかったことを後に後悔することになるよ。その石、知らなかったけどアンタのような奴にも使うことが出来るんだ。知ったからにはもう失敗はしないよ。」


 悔しさか、恐怖か。顔すら見えない私には分からないが、彼の肩は小刻みに震えている.......それでもその声には寧ろ増したかのような圧倒的な重みを感じた。俯き小さく何か言葉を発しているが、それが何なのかは私には聞き取れなかった。


 突然、シュラスは下段に構えた長刀をユアンの首元目掛けて振り上げる。不意で驚いたのか、ユアンは大刀で何とかガードしたものの、刀は上へと弾かれる。


「き、貴様あぁぁぁぁぁあ!」


 ユアンが叫ぶ。しかし、シュラスはお構い無しに長刀の中央に左手を添えると高速で剣先を押し込む。ユアンは何とか仰け反り躱したようだが、その左腕の上腕からは紅い水滴が零れ、足元を塗っていく。


 シュラスは崩れた体勢を立て直し、後方へと引いたユアンへと再び突進する。剣先を前方へと向けた突進はそれだけでも当たってしまえば軽々しく人の身など貫き、先程とは比較にならないほど赤黒く床を染めあげることが予想できる。しかし、そうはならなかった。


 前方へと向けられたシュラスの刀を一瞬にしてユアンの大刀が横から弾いたのだ。いや、正確には分からない.......弾いたように見えるが、その軌道は見えなかったのだから。


 甲高い音はシュラスの長刀の刀身、その中央を割る音だった。真横へと弾き飛ばされた純白の刀身は床を転がり、先端をから割れ床に転がった。


「終わりだな。貴様なんぞにやられる我では無いがこの身を傷つけた代償は安くは済まさん。貴様には時間をかけゆっくりといたぶりその末路にある死を焦がれさせてやろう。」


 シュラスは短くなったそれを呆然と眺めている。ゆっくりと持ち上げられたユアンの大刀。それは判決を下す悪魔のようで、無機質で機械的な一刀はシュラスの頭部を捉え.......てはいない。


 シュラスは短くなったそれで何とか受け流していた。しかし真正面から受け止めたせいか、腕力の差はモロに出たようでシュラスの体が泳いだ。


 グキッという鈍い音。満身創痍で耐えたシュラスの小さな身体をユアンの大木のような太い足が蹴り飛ばした光景。


 シュラスは腹部を抑え、倒れ込む。


「どうした、そこの。もう勝負は着いたようなものだというのに貴様はただそこで見ているだけか。


つまらぬ。そして不快だ。中途半端にしか割り込めぬ程度の輩が我の眼前にいること、それだけでも不快だ。」


 所詮はただの傍観者。ただ見る。ただ見届ける。そして何もしない。


 私の根本は第三者であり、当事者とは距離が遠いのだ。分かっている。何とかしなければいけないことも見ているだけで何か変わる訳では無いことも。


 しかし、長年の習慣というものは恐ろしい。私は二人を分析はしても体はたったの一度しか動かなかったのだから。今の言葉でようやく当事者であることを自覚させられたという程度なのだから。


 ユアンの向ける路傍の石ころを見るような目の意味も分かる。それはそうだろう。だって彼からしたら私はただそこにあるだけのものにしか過ぎないのだから。


 先程の突きにしてもきっと石ころにつまづいてしまったせいでトドメを刺し損ねた程度にしか思ってないだろう。いや思っている。


「どうした。言葉すら喋れないというのか。我は虚偽の申告で我を貶めようとする道化も好かんが同じ様にただ何も出来ないグズは更なる嫌悪の対象なのだ。」


 吐き捨てるように言うユアン。私のアイディア、私のためにここへ来たというのに何も出来ずただシュラスは怪我を負った。


「否定する余地すら今の私には無い。しかし、ただヌケヌケと眺めるのもここで終わりとする。」


「今更か。貴様、自分の目を見た事はあるか?

その無気力で無機質なそれは既に死人よりもタチが悪い。首ごとたたき落としてやろうか。」


 ユアンの左手が鈍く光る。シュラスはこの唐突な攻撃にやられていた。欠片が人間にも作用するのかは分からない.......しかし、あれは偶然ではないはずである。


 私は長刀を強く握る。ユアンが物凄い速度で突っ込んでくる。少なくとも知ってなければ不可避の一撃だっただろう。私は、上段から振られたそれを剣先で受け止め肩口から流す。


「何ッ」


 軌道をずらされ、私の横を大刀は勢いよく通り地面へと突き刺さる。体勢を崩したユアンはこちらへと縺れるように倒れてくる。


 フッと息を吐き、左手の掌を正面へと突き出し右手の長刀を後方へと回し右足を支点としてコマのように回る。加速された掌はユアンの胸元を捉え、鈍い感覚と共にユアンの体を後方へと飛ばした。


 巨体は弾けるとまでは行かないものの、ユアンは胸元を抑え悶絶している。私は長刀を左手に持ち替え、正面を薙ぎ払うように振るう。


「あぁぁぁあァァ!」


 ユアンの左手が一層強く光り、彼の体は後方へと飛んだ。私は勢いよく振ったそれに振り回されるように右へと流れながらなんとか長刀を握り直す。しかし直後に眩い光と共に、ユアンの大刀が目の前を掠めていた。なんとか反応し仰け反ることで難を逃れたものの不意の一撃は終わりを告げることとなっていたかもしれないと額がじわりと濡れる。


 私は握り直したそれを斜に構え、飛び掛るべく重心をゆっくりと下げる。しかし、足に鋭い痛みが走る.......同時に後方の床.......そこから強い衝撃が轟音と共に広がる。


「小技。小僧にはそう言われたが、当たってしまえば貴様のその細い体どこでも致命傷だろう。」


 私の右足を切り裂き床を抉っていたのは小さな刀。しかしそれは反応出来るかどうかなどというレベルをとうに超えた恐ろしい一撃だった。


「見た目の割には随分と芸達者ではないか。だが、その人の身には余る力。そろそろその体も限界が見え始めてるのでは無いのか?」


 口元から流れる鮮血。明らかに乱れた呼吸。確実に打撃やこの戦闘によるものではないことが分かる。元々人のためのものでは無いのだから、無理に使おうとすればいつかは副作用が出ることが分かっている。


「ふん。貴様に何が分かるというのだ。」


「全てだ。ただし、話したところで何か変わる訳では無い。」


「そうか。傍観者如きが思い上がるな。貴様が全てを分かっていた所で我を払い除けるような手段は持ち合わせては無いのだろう。所詮は見ているだけ、向き合ってしまえば何も出来ずに淘汰されるだけの存在なのだから、黙って死ねい。」


 ユアンは低い声でそう言い放つと、大刀の先端をこちらへと向け低く構えた。先程までとは違う重圧。いつこちらへと飛び掛かってくるか分からないようで、鏡合わせの状態で互いに固まる。


 息が詰まる。呼吸をしてしまえば決定的な何かが起こってしまうような胸騒ぎから、息を止めただユアンを見る。


 瞬きすらも許されない睨み合い。向けられた切っ先から呪われたように目を離せない。


 ゆらり。陽炎の様にユアンの剣先が揺らめいた。本当は揺れてないのかもしれない.......しかし、私は足に力を入れ前方へと跳躍する。突き出すように出される互いの剣先が交錯し、軌道が逸れる。こちらの刃は肩口を掠め、ユアンの剣先が私の頬に赤い一筋の跡を残す。


 私は右側へと逸れた長刀を床へ突き刺す。ガキィという嫌な音、私はその柄を右手で引きその反動で左拳をユアンへと叩き込む。狙いは左腕。


「ウガァァァア」


 獣の様な叫び声。私の拳は狙い通り、シュラスの傷付けた左腕の傷周辺へヒットし叫び声と共に蒼く光りを放つ欠片が転がった。身長の高さが仇となったかユアンの拾いに行く速度は私には追いつけないようで、転がる欠片を私の左手が掴む。


 蒼く鈍い光が私の体を包む。冷たさを感じるが寒くは無く、火照った体に霧雨を降られた様な言い難い心地良さが巡る。


 奇妙な映像が脳に直接拡がる。それが何かは分からない。しかし、目の前に広がる何か黒く蠢いているものは人間によく似ている.......いや、見た目では分からないのだが何故かそう脳内に響くような感じさせるような自身ですらも形容できない感覚。


 きっと上手く表現するならば、私の感じてるものに別の者の感覚を上書きされているような。私自身は蠢くそれを気持ちが悪いと感じているはずなのに、上書きされる感覚はそれを人間と評して受け入れているようで私の感じた気持ち悪さが無理矢理希釈されていくようだった。


 その奇妙な感覚が全身を巡り、ゾワっと全身が総毛立つのを感じる.......。視界の端で一本の腕が伸びる。私が動かしてるのではない。それは白銀に輝く龍の腕。何かに操られるようにして動くソレは十の字を描くように空間を引き裂いた。


 言葉にならないような轟音。強い衝撃波が辺りに広がるが、私の体.......そう龍の体にとっては少々強い風程度のものだった。そして真下に広がる大地は抉れ大きな溝を残して大陸は四つに分断されていた。


 感覚がある。いや、感覚が戻った。左手に握られたそれ。きっと見せられたのだろう、これの記憶を。


 しかし、一つ目の時とは大きく違った。まるで私が当事者であったかのような程に鮮明に気持ちの悪い感覚がクリアになったいまでさえも後を引くように残っているような気がする。


「我のものだ。それは我にのみ所有を許されたもの。」


 揺れるように視界の端で巨体が動くのが見える。私は咄嗟に飛び退く。よく見れば、口の端からは赤黒い液体が滴るユアンは重そうに大刀を引き摺り睨みながら前進している。


「すまない。」


 聞こえているか。そんなことはどうでも良かった。そう、私はこれをどう使えばいいかという事を既に感覚だけで理解している。既に目的も、鍛錬の成果も荒方は分かった。もう、面倒であると言い切ってしまってもいいだろう。


 私は欠片を握る左手の力を強める。強く握るとそれは押し返すように膨れ上がったように感じた。私は右手でユアンを引っ掻くように振るった。


 ズバッ。切断音が聞こえた。そして目の前の大男の体には四本の真っ赤な線が走り力なく前のめりに倒れた。右手を払えば床には赤い水滴がいくつも散らばる。


「行くぞ、ミルラ。シュラスは私が背負う。」


「は、はい。」


 ミルラは放心していたようだった。力無い返事だが特にそれに反応を示す気にもならない。


 刀を拾い、担ぐ。ぐったりとしているシュラスを背負い、私は出口へと歩く。血に濡れた私の体。きっとミルラが見た光景はこれなんだろうが、まさか返り血のみでここまで濡れるということは私ですらも想像していなかった。出口の鋼鉄のトビラ。私は右手で目の前を引き裂く。あれ程までに重厚だったように感じたそれも紙のようにあっさりと鉄くずに変わった。


 階段を上り、その先の扉も右手で引き裂く。痺れるような感覚を感じたが、簡単に扉は破れた。


「何事ですか。」


 音を聞きつけたのか、数人の白服が集まってくる。しかし、血塗れの私を見たからだろうか皆その場でバッテリーが切れたかのように静止して固まる。どうかするつもりは毛頭ない。


 私は入口へと歩みを進める。


「ユアン.......様は? 」


「貴様たちの主は私が殺した。敵討ちなら止めはしないが、何もしないならこちらは貴様たちに危害を加えるつもりは無い。」


「ユアン.......が.......死んだ.......。」


「ユアンが死んだ!?」


 驚いたことに白服達は驚きと共に表情を歓喜に綻ばせ、自身の白い服を脱ぎ捨てて行く。


「ありがてぇ、ありがてぇ。」


「どういうつもりだ。私は貴様たちの主を殺したのだぞ。」


 こちらが驚くことになるとは思いもしなかった。しかし、聞かずにはいられない。


「俺たちはアイツに弱味を握られたただの奴隷だったんだ。もし、本当にアイツに従えているならば侵入者をむざむざ主の元に連れていくことを許容しないだろう? 俺たちは見逃した。そういうことなのさ。


だが、もう俺たちは自由の身だ。あいつの溜め込んだ財宝を貰っておさらばするぜ。お前も欲しいか?


お前は俺たちの恩人だ。分け前が欲しいと言うなら誰も止めるヤツは居ないだろうよ。」


 白服たちの一人が顔を紅潮させて饒舌に喋る。


「いや、結構。だが、弱味.......いやあのユアンという

者が一体どういう人物だったか。知りうる限りで良い私に聞かせよ。」


「そんなことでいいのか? いや、だとしてもまずは最低限の謝礼だ。これは受け取っておいてくれ。


安心しろ。これは俺たちからの気持ちだから。」


 男はジャラりと金属質の重みを感じさせる巾着袋を手渡してくる。本来受け取るべきではないものではあるが、今後ミルラに資金を頼るべきではないと考えれば受け取らないという選択を取れなくなっていた。


「ここの奴らってのは皆貧乏でそこから這い上がることもなかなか出来ない奴らばっかなんだ。お前、ここの人間じゃあないだろう?

この街に来て思わなかったか? 金への異常な執着や役職への拘り。人間というものの醜い部分を。」


「そうだな。私の知る都市に比べれば金への執着は多少ばかり大きかったな。」


 街の雰囲気、そして宿の男を思い浮かべる。あまり色々回った訳では無いが薄々感じていた。


「そうさ。だからここの連中は皆貴族を恨んでいたしあわよくばここを脱出しようと船に忍び込んだり馬車に忍び込んだり、金目のものを盗んだりした。


貴族達もそんな俺らを忌み嫌って、ヘマこいた奴らの家族までも殺したりしている。だからなんだろうな。交易に必要な街のはずなのにここはいつも殺風景で栄えていかないのさ。


話が逸れたが、ユアンも元々は金のないただの乞食だった。だが、アイツは俺らの行動を貴族に売っていくことで金と権力を手に入れた。そしてあれだけの巨体だ。権力と腕力でいつの間にかこの街で一番の金持ちにまでなっていたのさ。俺らは皆あいつの踏み台。そしてあいつはこの街にある少ない資金も資金源になりそうな海沿いの漂流物も全てを独占しようとした。


俺らに這い上がるための手段は既に欠片も残って無かったのさ。追い詰められた俺たちはアイツに雇われる以外に生きる道を無くした。生きてるのがぎりぎりの最低以下の賃金。少しのミスでもあいつは許してはくれない。ただし侵入者をいたぶるのは嫌いではなかったようでそれだけは余り責められなかったが。


そういう訳で俺たちはもれなく全員アイツに早く死んでもらいたかったわけなのさ。」


「そうか。悲しいな。」


「悲しい? いや。悲しかっただろう。今はもう幸せだ。清々してるし、俺たちはもう縛られることも無く自由に人生を謳歌できるのさ。」


「いや、悲しい。実に残念だ。」


 考えたこともなかった、実に悲しい。私たちは屋敷を後にし、宿へと向かった。血塗れの見た目でも周囲の反応はひたすらに薄いものであった。

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