第9話 小さな約束

 歩く歩く歩く。

馬車で来た道を辿るようにしてひたすらに歩く。ミルラは気を張っていたせいか、今は糸が切れたように意気消沈していた。


 私は考える。この眼がミルラの一族を苦しめているのではないかと。


 リーシェラは既に生気を感じられない程に疲弊していた。死期が近いということは私もミルラも気づいたであろう。

そしてそれは我々にも訪れる可能性のある未来。


 私にとっては仮初の体であり、いつかは竜として戻れるかもしれない。しかし、ミルラは違う。

たった一つ一度きりの私にとっては短く儚げな命である。それを私のために捧げるということに対して、私は罪悪感すら覚えている。


 本当に不思議だ。人の身を得たことで、人に近い感性を刷り込まれたのかと疑ってしまうほどに不思議だ。

たった一人の命なんぞに私の心が揺らいでいるという実感は正直違和感でしかない。


 目の前を歩く少女は俯いたまま、重苦しい雰囲気を漂わせている。それが果たしてこれから辿る未来へと恐怖であるか、それとも葛藤であるのか。私には知りえないことではある。


 ただ、どうであるにせよ彼女を付き合わせる場合は出来るだけ迅速にことを進めなければならないということだけは分かる。

そして一つ確かめなくてはならないことがある。


「ミルラ。少し良いか?」


「はい。ヴァイス様なんでしょうか。」


彼女は気を使ってるのだろうか。その声はいつもと変わらないように聞こえる。


「あの社で暮らしていた頃、日にどれ程眼を使っていたのかは覚えているか?

大雑把で良いが。そして、聞にくいことではあるのだが、母親はどれ程使用していたかをわかる範囲でいい。教えてくれ。」


 使用頻度。仮にこの力が単純な疲労を伴うものではなく寿命そのものを縮めるものだと考えるならば、真っ先に必要となるであろう情報である。


 少しの沈黙。ザッザッと土の地を踏む音だけが寂しげに響いている。どれ程歩いたのだろうか。


「はい。思い出せる限りで話します。」


 ミルラはゆっくりと口を開く。


「私がこの眼のことを知ったのはきっと五歳.......いいえ、もう少し前かもしれません。私はたまに真っ青な世界と、銀髪碧眼の男性.......ヴァイス様がラウラ鉱山の麓の竜樹に佇む光景が見えていました。


月に数度.......幼かったので、はっきりとは分かりませんが月に三度くらいだったと思います。

そして私は十の時に家を出て、ラウラ街の竜樹の近くに社を建てそこでは月に一度だけ未来視として一般の方、そして首都やラウラ街と港町のエフラレルその他のいくつかの主要都市に訪れる事件についてを文書として送っていました。


月に一度そして一度に百回程だとは思います.......。

母は代々の伝統として月に二度主要都市のことを文書として送っていたとのことでして、個人の未来視は基本的にしない方向であると聞いておりました。」


 回数にしても彼女の母親が自身のために使用したことを考慮したとしても、多分ミルラは既にかなり危ないであろう。


「そうか。ありがとう。

だとするなら.......急がなければならない.......。

ミルラの体のことを考えると、もう眼は使わない方がいいのかもしれない。」


「いいえ。私はもう決めたのです。

ヴァイス様。貴方のために私は命を捧げると。ですから私は使います。何度でも。」


 ミルラの声は震えていた。私にはその意味が分からない。恐怖であるのか。それとも.......。


「いや.......。そんなことをしていてはミルラはきっと」


 私の声はそこで遮られる。


「私は.......。私はお母様がどんな人間であろうと尊敬しているのです。

私は例えお母様と同じような未来を辿るとしても、私の信じている信念のためにこの力を使えるのならそれだけで幸せなのです。」


 絶叫。彼女のその言葉はまるで心の叫びのようで。


「分かった。私がどう言ったところで変えることは出来ないのだろう。

しかし、一つだけ私の条件をのんでくれ。」


「条件.......ですか?」


「あぁ。ミルラもう二度と私のためにその眼を使おうとするな。元より私は死んでもいいと考えている。」


 ミルラが立ち止まる。驚いたのだろうと想像はつく.......しかし、私は実際生というものにそれ程執着は無いのだ。私が得たいのは神の知識のみ。

ミルラが亡くなってしまえばどちらにせよ私に勝利はないのだから、結局は私と彼女は運命共同体。


 このゲーム自体正直私に勝ち目など無かった。しかし、彼女の存在により見えた一筋の光明。わたしにはそれだけで嬉しかった。それだけで、私が彼女を生かしたいと考える理由としては十分すぎるのだ。


「私は.......私は.......既に罪悪感や、負の感情によるものでは無くただ貴方のために生きたいだけなのです。

小さい頃から数え切れない程に見た姿。この世界の繁栄のために自身すらも捨て打って下さった.......誰も知らないとしても、私は見ました。私は知っています。


たとえ叶わなくても、それが無礼なモノだとしてもこの感情は既に変えることが出来なくなってしまっているのです。だからお願いしますヴァイス様、私を貴方のために使ってください.......。」


 震えている。


「頼む。私のことを思うのならば尚更その身を大切にしてくれ。ミルラが居なくなってしまえば私はもうどうしようも無くなってしまう.......。

だからのんでくれ。」


 震えていた。それは私もだった。


「わ、分かりました。ですが場合によっては破ってしまうかも知れません。それだけはどうか御容赦ください。」


 仕方がなく私は認める。


「私が何を求めているか。私がどうしたいか。話すべきなのだろうな。

神は四人.......いや、四匹の中から後継者を選ぼうとしている。四匹はそれぞれ未来を見通す眼を持っている.......そして、やらなければやられてしまう。


私は元々諦めていたんだ。片目しか持たない私は飛ぶことが出来ない、片翼を剥がれた鳥だった。

しかし、ミルラ。お前のおかげで私は飛べる。


十分。十分すぎるんだ。例え負ける運命があったとしてもそれが不意なものだとしたら仕方がないと私は切り捨てることが出来る。だから良いんだ。


死んだとしても。それだけは頭に入れて置いてくれ。」


 私はゆっくりと歩き出す。振り返ればミルラもつられるようにして歩き出していた。


 ゆっくり。想定を遥かに越えた時間をかけて道場へと戻った。時刻は既に八時。ミルラの生家を出たのはまだ明るく、時刻はとしては四時頃だったはずのため通常より四倍以上もかかったようだった。


 しかしシュラスもレーネもそこには居なかった。ミルラは着くや否やのうちに余程疲れていたのか、道場の畳の上で眠りについた。


「ミズキ、何か掛けるものを貰えるか?」


 道場の奥、短い廊下を経てすぐの所には一つの広い部屋があり私はそこに居たミズキへと声を掛ける。


「ん、そこのを使いな。」


 私は指さされた方向を見る。そこには四つの布団が積まれていた。私はよろよろになりながら、それを道場へと運んだ。

そして掛け布団の一つをミルラへとかけた。


 私は眠る気になれず、長刀を振ることにした。体も刀も重い。しかし、振れば振る程に分かる。

途中レーネとシュラスが帰ってきた。彼らも疲れていたようで直ぐに眠りについたが、私は気がつけば明るくなるまで振っていた。


 夢中だった。朝を感じた途端に体の疲れを一気に感じた。汗に濡れた体でその場で横になるが、どこか気持ちが悪い感覚にすぐ体を起こす。


「あれ、アンタそんなに汗だくでどうしたんだい?」


 フワァ〜と大きな欠伸をしたミズキが少し気怠げに道場へと歩いてくる。彼女は昨日のラフな格好とは変わって、社にいたような袴を身につけていた。


「眠れなかった故、今の今までこれを振っていたのだよ。」


 私は長刀をコンコンと叩く。ミズキはそうかと小さく言うと大きく伸びをしていた。


「ん?格好が気になるかい?

これは剣道着っていうもんだよ。アンタももし着替えたいって言うなら貸してやるけどどうすんだい?」


「折角だ。借りれるというならここでの指導をして貰ってる間はお借りしたいが良いか?」


ミズキはニカッと笑うと、奥からビニールに包まれた布の塊を投げて寄こした。布だけだというのに、持ち上げるそれはずしりと重かった。


「特別に、ここの上級生用のもんをくれてやるから感謝しな。アンタはここでアタシの指導を受ける時は必ずそれを着てやるんだ。


そしてアンタ、そんな汗だくじゃ気持ちが悪いだろう?ここの奥、ワタシが昨日居た部屋の右側に行くとシャワー室があるからシャワーでも浴びてきな。


門下生達はあと一時間もすれば集まっちまうからそれまでにアンタ用のメニューを叩き込むからね。」


 私はミズキの指さした方へと歩く。シャワー室と言うだけあって、タイル張りの床にドアだけの小部屋が四つずつ右側と左側にある。

私はその中の一つに入る。キュッと蛇口を捻ると上に備え付けられたノズルから水が拡散して体を包む。


 聞いた事はあったが、実際に使うのは初めてで心地よい冷たさがとても気持ちいい。しかし、包む水は段々と温く、熱く感じ始める。


「熱い!」


 背中に強烈な熱気を浴びた私は驚き、水が当たらないように壁面まで体を寄せる。何事かと思い、周囲を見渡すと蛇口の付近にもう一つ捻りがある。

熱と冷の表示があり、それは熱の限界付近まで捻られていた。私はそれを冷の方へと半分ほど捻る。


 先程まで熱く、触れたくなかったお湯は少し体が冷たいと感じる温度にまで下がっていた。

私はそれで体を洗い流し、ついでに先程まで着ていた濃紺のローブを水で流す。そしてそれをシャワー室横にある脱衣所のあるハンガーへとかけ剣道着へと着替えた。


「すまない、待たせた。」


 剣道着というそれは着てみると更に分かるが、かなり重い。身体中を何かがまとわりついてるようで、思うように動かずワンテンポ遅れて信号が伝達されているような感覚だった。周りへと目をやると、ダルそうに入口付近で体を伸ばす三人の姿がありシュラスはぎこち無い私の動きをどうやら笑っているようだ。


「重いかい? アンタの望み通り出来るだけ早く上達させるならそれくらいの方がいいだろう?

取り敢えずお喋りは剣を学びながらでもいいわね。」


 ミズキはポイッと軽そうに長刀を投げつけてくる。本当に不思議なのは、受け取ると驚く程に重い木製の長刀を私より細身であるはずのミズキがいとも簡単に放ってくることだ。

私は受け取った長刀を、斜めに構える。


「いつでもかかってきな。まずはアンタがこんな時間まで練習してたっていう素振りの成果を見せてもらおうじゃない。」


 私が目指していた一つにシュラスの見るからに重そうな横薙ぎの振りがあった。朝までやっていた素振りの中で最も濃くイメージしていたそれ。


 斜めに構えた長刀の鍔の辺りを視点として柄の端を手前へと強く引き、加速された切っ先はミズキへと向かう。私は鍔に当てた右の手を柄の端へと移動させることで支点を柄にする。


 ブワンと大振りのそれが横を薙ぐようにミズキへと斬り掛かる。ガギィィィィと木材同士が当たったとは思えない音が響き、腕には強い衝撃が走る。完全な手応え。今までの感覚とは明らかに違かった。


「驚いたな。まさか.......一日でこれ程までに鋭い一撃を放てるまで成長しているとは.......。」


 ミズキの持つ長刀の切っ先には細いが確かな亀裂が走っていた。


「アタシが上手く受け流せないとは.......いや、別にアタシは自惚れているつもりは無いけど、経験も知識も無い者の攻撃をいなせない程未熟者では無いはずなのよね。


アンタ.......本気で打ち込めばうちの流派の真髄に辿り着くのもそう遅くないね。」


 ミズキは驚いたと言わんばかりの表情だが、その仕草にはどこか悔しさが滲んでいる。負けず嫌いであることは既に顔の至る中に書かれていた。


「そう持ち上げるな。一日程度の技術、褒められるほどのものではない。」


「過度な謙遜は相手に失礼ってことだけは覚えておきな!」


 ミズキは笑いながらそう言った。私はミズキによりいくつかの素振りを指導され、その後に集まってきた門下生と共に技術を学んだ。

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