【再生Ⅱ】

再会

 双子の妹たちが二人揃って何かを煮込んでいる。

 ぐつぐつ

 ぐらぐら

 熱湯の中から覗くのは、爬虫類の手足。

 得体の知れない蟲の数々。

「お兄様の眼が治ったら、今度はフルコースを振る舞いましょ」

 こくり、と隣に佇む姫は白猫のブランを抱きながら頷く。

「お兄様は狡いの。お父様にいつも可愛がって頂いて。私たちなんてペニスが無いってだけで相手にもされないわ」

 再び隣に佇む姫がこくり、と頷く。

「よし、じゃあ味見させましょ」

 金色のスプーンで異臭を放つ液体をすくう。

 息を吹きかけ、十分冷ます。

 それから隣の姫が抱え、口を開かせたままにしている猫の喉に流し込んだ。

 猫はすぐに暴れ出した。

 普段聞くことのない、叫びとも悲鳴ともつかない妙な鳴き声を上げている。

 姫は抱えていた手を放し、猫は床に落ちる。

 しかし受け身を取れず、床の上へ不様に転がる。

 そのまま酷く痙攣し、泡を吹く。

 そして最後に糞尿を漏らすと、眼を剥いて絶命した。

「凄い! とっても強力ね!」

 歓声を上げる姫に、姫が耳打ちする。

「そうね、今度はこれを慎重に薄めなければね。もしお兄様が死んでしまったら一大事だもの……」

 そして姫は女中を呼びつける。

「ゴミを片付けて。――ああ、それと、新しい猫を連れて来てね。早急に」

 そのやり取りを、隣に佇む姫は見ていない。

 彼女は窓辺から見える、外の木に止まっている白い鳥を見ている。

 その瞳は深紅だ。

「……不吉」

 ぽつりと呟いたが、隣の姫には聞こえなかった。


 ◆◇◆


 王子は眼が見えない分、敏感に反応した。

 次に何をされるのかが分からないので、より身体を震わせ、声を上げた。

 そんな王子に、王はかなりご満悦だった。

 そして内心、眼が見えない状態というのもなものだとさえ考えた。

 いつもよりも執拗に身体を揺さぶられ、欲を吐き出された。

 始終、恐怖と苦しさに喘いでいたせいで、王子の喉はカラカラに乾いていた。

 舌は干上がり、唇もすっかり乾燥している。

 浅く短く呼吸をするので精一杯だ。

 王が帰ったあとも、王子は寝台から身動き一つできずに横たわっていた。

 連日続く恐怖から隈がべっとりと影を落としている。

 見開かれた目に光は無い。

 頬には涙の痕が残っていた。

 白い鳥は出窓に降り立ち、それからくちばしを開いた。

『王子様。お久しゅうございます。覚えておいでですか? 私のことを』

 それはいつかの悪魔だった。

 だが、王子には思い出せなかった。

「誰……? ごめんなさい、今、目が見えないんだ……」

『それはさぞ御不便なことでしょう』

 悪魔は片羽を広げた。

 それから王子へ目掛けて勢いよく両羽を羽ばたかせた。

 一枚の羽根が抜けて、王子に向かって飛ぶ。

 羽根は王子の身体に溶け込んだ。

 すうっと金色こんじきの光が王子を一瞬だけ包む。

 すると王子の視界に光が戻った。

『視覚神経を麻痺させる毒だなどと――随分と性悪な姫君たちですね』

「……鳥が、話すなんて……」

 寝台に起き上がった王子は少し驚いた顔をした。

 そうして言葉を続ける。

「いいんだよ。あの子たちは私と遊びたいだけなんだから……」

『それで命を落とされたらどうします』

 鳥の姿をした悪魔の問いに、王子は力なくにこりと笑う。

「それなら心配無用だよ。あの子たちは私を殺す気なんて無いんだから。一緒に遊んで欲しいだけなんだ。あの子たちには友人と呼べる者がいないから」

 悪魔は目を細め、ほう、と言う。

『では、王妃は随分と薄情ではありませんか? 遊びの延長とは言え、一人息子が失明しているというのに、心配する素振りも、優しい言葉の一つもくれなかった』

「お母様は十分心配しておいでだよ。――けれど私はいずれこの国を背負う者。甘やかしては私のためにならない。だから、あえて冷たい素振りをなさっているんだ。……だから……何も問題は無いんだよ……」

『……ほう……』

「――それで、貴方は一体誰? 目が見えるようになっても、前に会ったことがあるようには思えないのだけど……」

『私をお忘れですか、ベリアル様。以前、中庭でお会い致しましたでしょう? そして満月の晩に再び会う約束を致したはずです』

 悪魔の言葉に王子は空を確認する。

「ああ、本当だ、今日は満月だったんだね。――では、貴方はあのときの悪魔なの?」

『そうです。思い出して頂けて安心しましたよ。望みはお決めになりましたか? ベリアル様』

 鳥の姿の悪魔は部屋に舞い降りた。

 それから人の姿に変わった。

 中庭で出会ったときと全く同じ、金色の髪と深紅の瞳をした執事の姿だ。

「望みは……何も……。ごめんね」

 悪魔は一瞬だけ絶句し、

『――そんなはずは無い……私を呼び出すための資格はその眼だ!』

 それから激高した。

『だが、深紅の眼を持っているからと言って必ず私が出向くとは限らない。心の底に強い渇望があるからこそ私は現れる。お前にはあるはずだ! 押し殺している望みが!』

 荒ぶる悪魔に臆することなく、寧ろ王子は小首を傾げた。

「そうかな? でも、私には本当に望みが無いんだよ」

 悪魔はすっと感情を落ち着かせた。

 激昂したとてなんになる、そう己に唱えて。

『――……良いでしょう。貴方は望みを自覚していらっしゃらないご様子。――ですので、私は貴方の魂が満足するまでお傍に仕えましょう。それを契約と致します』

「私が満足したかどうかなんて、貴方に分かるの?」

『ええ分かりますとも、ベリアル様。私は人の魂を喰らう者。その魂に関しては熟成の度合いがよくよく見えるのですよ。――ですから心配は要りません。本当に貴方が満足された時、私は貴方の魂を頂きます。貴方が満足できるまで、私は貴方にお付き合い致しますよ』

「!」

 王子の表情が一気に曇った。

 お陰で悪魔は戸惑った。

『……何故、悲しむのですか……?』

 まさかそんな顔をされるとは思いも因らなかった。

 悪魔の問いに、王子は苦しそうに言う。

「貴方は、『私が満足するまで』という先の見えない契約で私に縛られるのでしょう?」

 私のことを愛しているわけでもないのに。

 言葉にされなかった声を悪魔は聞いた。

 ごくり、と知らず喉が鳴る。

『私を哀れむと……?』

「王以外の人間はね、皆、心の底では私を疎んでいるんだ。――なのに王の手前、私を愛している振りをしている。本当は私に何も与えたくないし、関わりたくもないのに、皆、愛している振りを一生懸命しているんだよ。そして私はその愛で生かされている……。愛していない者を愛そうとするのは、とても辛いことなんだと思う。だから、契約のために私と関わらなければならなくなるなんて、申し訳ないと思って……」

 基本的に嘘を吐くことを生業としている悪魔は、嘘を見抜く力にも長けている。

 だから王子の言葉に嘘偽りが全く無いことが分かって感動していた。

 どうしてこんな目に遭ってまで人のことを第一に考えられるのだろうか。

 この王子は神が好みそうな美しい魂を持っている。

 絶望感に苛まれながらも純真さを失わない、無垢な魂だ。

 やはり食べたい。

 この魂を何としても味わってみたい――。

『私はこういった生き方を自ら好んで行っているのです。――いや、まず私が貴方を疎んでいると早合点しないで頂きたい。私は悪魔です。気に入らない者の魂など、耐えてまで喰らおうなどとは思わない』

「……そうなの?」

『ええ』

「……そう、なの……」

 悪魔の言葉に、王子は安心したかのようだった。

 むしろ、なんだか嬉しそうな表情さえ浮かべて。

 それから意を決したように王子は切り出した。

「貴方が言った通りにね、本当は――ちゃんと望みがあるんだ」

 おや、と悪魔は目を細める。

「貴方が少しでも私を好いてくれたからこそ、貴方に面倒をかけないように、ちゃんと望みを教えるね」

 その心境の変化に、悪魔の理解は追いつかない。

 元々、悪魔の思考と人間の思考の仕組みは違う。

 価値観も違う。

 故に悪魔にとって人間の情の移り変わりほど難しいものはない。

 しかし望みを言う気になったのだから、それはそれで良しとしよう。

 悪魔は王子の言葉を待った。

 王子は悪魔を見上げると、言った。

「私はね―――――殺されたいんだ」

 その瞬間、笑顔を浮かべたままの、王子の双眸から涙がぽろぽろと溢れた。

 頬を流れ落ちた涙は月の光に照らされて宝石のように煌めく。

 悪魔は思わずその涙を舌ですくい、舐め取った。

 塩辛いはずの涙は、酷く甘いような気がした。

 驚いた王子は悪魔の深紅の眼をじっと見詰めている。

 しかしすぐ涙が溜まり、視界がぼやけて悪魔の姿が揺らぐ。

 悪魔は再び身を屈めると囁いた。

『今晩はもうお休みください。大分お疲れのご様子です』

 そして王子に深く口付けて眠らせた。

 擦り切れた身体を清めてやり、清潔な服を着せてから寝台に寝かせてやった。

 最後に肩口まで毛布をかけてやり、さらりと頭を撫でる。

 間違いない。

 こいつはこの上無く稀な獲物だ。

 なんとしてでも魂を喰らいたい。

 そして悪魔は白い鳥に姿を変え、窓辺から飛び去った。

 満月は煌々こうこうと悪魔の白い身体を照らした。

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